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2012/03/05

ジョン・ミリングトン・シング著姉崎正見訳「アラン島」(25)

 

 パット爺さんは、彼が不死鳥と呼んでゐる、金の卵を生んだ鵞鳥の話をした。
 或る貧しい後家さんが三人の息子と一人の娘を持つてゐた。或る日、息子たちは森に薪木を拾ひに行つて、美しい縞のある鳥が木の間を飛んでゐるのを見た。その次の日もまた見た。一番上の兄は自分が鳥を追ふから、お前たちだけで薪木を採りに行けと弟たちに告げた。
 彼は鳥の後を追つて行き、晩に家に歸つて來た時、それを手に持つてゐた。皆んなはそれを古い鷄籠(とりかご)に入れたり、自分たちの食べる碾割粉(ひきわりこ)を與へたりした。――鳥がそれを食べたかどうかは知らないが、兎に角、自分たちの食べる物を分けた。それより外に仕方がなかつた。
 その晩、それは籠の中で一つの美しい斑點のある卵を生んだ。次の晩もまた生んだ。
 當時、そのことが新聞に出て、生んだ卵が金色をしてゐたので、金の卵を生んだ鳥と書かれて評判だつた。それは嘘ぢやない。
 翌日、子供たちが碾割(ひきわり)の石を買ひに行くと、店の主人は鳥を賣つてもらへまいかと云つた。それはかういふ魂膽であつた。店の主人はその子供たちの姉――着物一枚もない可哀さうなお人よしの娘――と結婚し、鳥を一緒に貰ひたかつたのである。
 それから後、子供たちの一人はその鳥の卵を田舍にゐた或る紳士へ賣つた。紳士は鳥はまだ持つてゐるかと尋ねるので、姉を妻に貰つてくれた人にやつた所だと答へた。
 「さうか」と紳士は云つた。「その鳥の心臟を食ふと、每朝自分の下から金の財布が見つかり、肝臟を食ふと、愛蘭土の王になるだらう。」
 子供は出かけた。――彼は可哀さに人のよい子供であつた。そして店の夫に話した。
 店の主人は鳥を持つて來て、それを殺し、自分は、心臟を食べ、肝臟は妻に與へた。
 子供はそれを見ると、大いに怒つて、紳士にその事を云ひつけた。
 「私の云ふ通りにしなさい。」紳士は云つた。「今夜、私は淋しいから、トランプをしに來ないかと、店の主人とその妻に云ひに行きなさい。」
 子供が出て行くと、彼は嘔吐劑を調合してウィスキーの幾ナギンかの中へうんと交ぜ、カードを置くテーブルに丈夫な布をかけた。
 店の主人は妻とやつて來て、トランプを初めた。
 店の主人は最初の勝負に勝ち、紳士からウィスキーの一啜を飲せられた。
 再びやつたが二囘日も主人が勝つた。それで紳士は彼にまたウィスキーを飮ませた。
 三囘目をやつてゐる時、主人夫妻は布の上に吐いた。そこで子供は、紳士に敎へられてゐた通り、それを拾ひ上げて、庭に持ち出したら果して鳥の心臟があつたので、それを食べた。翌朝、寢床の中で寢返りすると、身體の下から金の財布が出て來た。
 それでおしまひ。

Old Pat has told me a story of the goose that lays the golden eggs, which he calls the Phoenix:--
A poor widow had three sons and a daughter. One day when her sons were out looking for sticks in the wood they saw a fine speckled bird flying in the trees. The next day they saw it again, and the eldest son told his brothers to go and get sticks by themselves, for he was going after the bird.
He went after it, and brought it in with him when he came home in the evening. They put it in an old hencoop, and they gave it some of the meal they had for themselves;--I don't know if it ate the meal, but they divided what they had themselves; they could do no more.
That night it laid a fine spotted egg in the basket. The next night it laid another.
At that time its name was on the papers and many heard of the bird that laid the golden eggs, for the eggs were of gold, and there's no lie in it.
When the boys went down to the shop the next day to buy a stone of meal, the shopman asked if he could buy the bird of them. Well, it was arranged in this way. The shopman would marry the boys' sister--a poor simple girl without a stitch of good clothes--and get the bird with her.
Some time after that one of the boys sold an egg of the bird to a gentleman that was in the country. The gentleman asked him if he had the bird still. He said that the man who had married his sister was after getting it.
'Well,' said the gentleman, 'the man who eats the heart of that bird will find a purse of gold beneath him every morning, and the man who eats its liver will be king of Ireland.'
The boy went out--he was a simple poor fellow--and told the shopman.
Then the shopman brought in the bird and killed it, and he ate the heart himself and he gave the liver to his wife.
When the boy saw that, there was great anger on him, and he went back and told the gentleman.
'Do what I'm telling you,' said the gentleman. 'Go down now and tell the shopman and his wife to come up here to play a game of cards with me, for it's lonesome I am this evening.'
When the boy was gone he mixed a vomit and poured the lot of it into a few naggins of whiskey, and he put a strong cloth on the table under the cards.
The man came up with his wife and they began to play.
The shopman won the first game and the gentleman made them drink a sup of the whiskey.
They played again and the shopman won the second game. Then the gentleman made him drink a sup more of the whiskey.
As they were playing the third game the shopman and his wife got sick on the cloth, and the boy picked it up and carried it into the yard, for the gentleman had let him know what he was to do. Then he found the heart of the bird and he ate it, and the next morning when he turned in his bed there was a purse of gold under him.
That is my story.

 

[やぶちゃん注:「美しい縞」原文は“a fine speckled bird”。鮮やかで美しい色の小さな斑(ふ)が体中に散っている鳥。直前でイソップの寓話で知られる“the goose that lays the golden eggs”が出てくるものの、パット爺さんのそれはガチョウではない野鳥と思われ、それが“goose”ならば、広義のカモ目カモ亜目カモ科Anatidae の雁(鴨)の一種を想起すべきであろう。
「鷄籠」は原文“an old hencoop”で、これはわざわざ古いと言っている以上、日本の農家にあったような伏せ籠をイメージすべきであろう。
「碾割粉」原文“the meal”。ミール自体は広義に食事、狭義にはトウモロコシ・麦・豆等の穀類を挽き割って粗い粉にした食用加工品を言うが、ここは欧米で一般的な、イネ目イネ科カラスムギ属エンバク(燕麦) Avena sativa を脱穀して粗く製粉した “oatmeal”(オートミール)と考えてよいであろう。
「翌日、子供たちが碾割の石を買ひに行くと、」これは明らかな誤訳である。原文は“When the boys went down to the shop the next day to buy a stone of meal,”で、“a stone of meal”はオートミール1ストーン(1ストーン=14ポンド≒6.35キログラム)のこと。「翌日、兄弟たちが売店にオートミールを1ストーン買いに行くと、」である。オートミールの量が多いようにも見えるが、肉体労働者の三兄弟の若者に一人娘と未亡人に(食ったかどうか分からないとは言うものの)金の卵を産むカモのフェニックスの主食の食い分としては、そして金の卵を手に入れた彼らとしては、決しておかしくはあるまい。
「それはかういふ魂膽であつた。」原文は“Well, it was arranged in this way.”で、「で、まあ、その魂胆は簡潔に纏めるなら次のような次第で。」の意か。栩木氏は『で、話をはしょれば、こんなふうに話がまとまったわけです。』と訳しておられる。ここはこの後の原文が願望形になっているために姉崎氏・栩木氏の両訳とも苦心しておられる。要は次の段落では時間が経って、この通りに店屋の主が、策略通り、この娘とフェニックスをまんまと手に入れていることを聴く者に、わざと「知らせない」(推測させる余地と同時に吃驚させようとする効果を持った)ような時制構造となっているように思われる。
「その鳥の心臟を食ふと、每朝自分の下から金の財布が見つかり、」原文は“the man who eats the heart of that bird will find a purse of gold beneath him every morning,”。“beneath him”だから、「毎朝、彼が起きるたびに彼の体の下に」ということである。一見生硬に見えるが私はそうは採らない。姉崎氏の訳は逆に『「下に」ってどういうこと?』という、本話の最後のシーンの映像をわざと隠すように逐語訳されているのであって、そもそも、この後半の途方もない“the man who eats its liver will be king of Ireland”に至っては、『どうやって?』という民話の常套的なワクワク感が醸成されているのであってみれば(それは語られないのであるが)、私は楽しい面白い訳であると思うのである。
「嘔吐劑」“a vomit”。催吐薬(さいとやく)のこと。“emetics”“vomiting agent”とも言う。異物や毒物を嚥下した場合に嘔吐を誘発させて胃の内容物を吐瀉させることを目的とした薬物。エメチンを主成分としたアカネ科ボチョウジ属トコン(吐根)Carapichea ipecacuanhaを用いたトコン・シロップなどがある。
「ウィスキーの幾ナギンか」原文は“a few naggins of whiskey”。この“naggins”は“noggin”の訛か。発音は正に【nάgɪn】で、原義は小さなコップのことで、そこから少量の酒、一般には“1/4pint”で142ml。これは小さめのワイン・グラスに普通に注いだ量である。
「主人夫妻は布の上に吐いた」とあるが、妻は訳文でも原文でも薬を混入したウィスキーを飲んではいない。しかし吐いているからであろう、栩木氏は一回目の勝利のところで『紳士は夫婦にウィスキーを一杯勧めました。』と訳しておられる。しかし、すると妻はどうして肝臓を吐かなかったのか、という素朴な疑問が生じる。吐いたのか? ではアイルランドの王になれるそれは誰のものになったのか? 無粋と言えば無粋なのかも知れぬ。しかし私は気になってしょうがないのである。]

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