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2012/04/17

宇野浩二 芥川龍之介 十六~(2)

 さて、何度も云うように、芥川が、『傀儡師』の中におさめられている小説を書いていた頃は、生涯のうちでもっとも脂〔あぶら〕の乗っていた時であった。

 私はかんがえる、「立てきつた障子にはうららかな日の光がさして、嵯峨たる老木〔ろうぼく〕の梅の影が、何間〔なんげん〕かの明〔あかる〕みを、右の端〔はし〕から左の端まで画〔ゑ〕の如く鮮〔あざやか〕に額してゐる、」と書き出し、「このかすかな梅の匂〔にほひ〕につれて、冴返〔さえかへ〕る心の底へしみ透〔とほ〕つて来〔く〕る寂しさは、この云ひやうのない寂しさは、一体どこから来るのであらう。――内蔵助〔くらのすけ〕は、青空に象嵌〔ざうがん〕をしたやうな、堅〔かた〕く冷〔つめた〕い花を仰〔あふ〕ぎながら、何時〔いつ〕までもぢつと彳〔たたず〕んでゐた、」と、芥川は、『或日の大石内蔵助』を、書きおわった時、昂然としたであろう。

 これはずっと前に何〔なに〕かの文章のなかに書いた事があるが、私が文学書生であった頃、友だちの中で、誰が云い出したか、「あれは『カキダシスト』だ、」「かれは『キリスト』だ、」というような言葉が一時〔じ〕はやった事がある。『カキダジスト』とは、「小説の書き出しのうまい人」という意味であり、『キリスト』とは、「小説の書き終るところの巧みな人」という意味である。

 この妙な言葉をつかうと、芥川は、この『或日の大石内蔵助』だけについて云えば、カキダシストとキリストとを兼ねている、という事になる。いや、芥川は、何を書くにも、カキダシストになると共に、キリストにもなろう、と心がけた人であったのだ。

 しかし、『或日の大石内蔵助』、『戯作三昧』、『枯野抄』、それから、『地獄変』、――と、これだけ読みかえしてみても、かぞえ年〔どし〕、二十六か二十七そこらで、よかれあしかれ、このような熟〔ま〕せた小説を書いた芥川は、何という早熟な男であったことよ、いや、『早熟』、というより、『頭〔あたま〕でっかち』(あるいは『頭がち』)というようなところさえあった。(「鶏頭〔けいとう〕やはかなき秋をあたまがち」⦅太祇⦆

 ところで、この頃〔ごろ〕、私は、ときどき芥川のいろいろな小説を、読みかえしてみて小〔こ〕ざかしい、と感じるこどもあるけれど、心にくい、と思う事もしばしばある。この数年来、かつて、(青年時代には、)芥川の作品を愛読した人たちが、芥川の小説は、今よみなおしてみると「徒〔ただ〕のお話」みたいで、案外つまらない、とか、「芥川さんには、何という代表作がありますか、コレという小説がないように思います、……」とか、云うのを、私はときどき、耳にする。そうして、私も、時には、ちょいと、同じような考えをする事もある。

 しかし、芥川は、やはり、一代の、奇才であり、鬼才であった、小説のよしあしは別として、世にも稀な才能の持ち主であった。

 

 たいていの批評家は、『或日の大石内蔵助』と『戯作三昧』と『枯野抄』とを、芥川が、昔の人の日常生活を書きながら、それに託して、自分の心事と感慨を述べているように論じている。が、私は、そうばかりとは思わない。

『枯野抄』について、室生犀星は、「彼は十分な縹渺や枯寂を『枯野抄』、ではあらはし得なかつたと云つてよい、」と云い、宮本顕治は、「彼等は枯野に窮死した先達を歎かずに、薄暮に先達を失つた自分たち自身を歎いてゐる、」と述べている。(この「薄暮に先達を失つた自分たちを歎いてゐる、」という文句は、『枯野抄』の中にある文句である、つまり、『枯野抄』の中から取ったものである。)

[やぶちゃん注:前者は昭和二(一九二七)年七月号『新潮』に載った「芥川龍之介の人と作品」から、後者は有名な「敗北の文学」(昭和四(一九二九)年八月号『改造』)からであるが、ここは宮本の引用が不十分(尚且つ不正確)なために分かり難くなってしまっている。ここでの宮本は先の室生の評を批判しながら、次のように述べているのである(引用は筑摩書房全集類聚版別巻所収のものに拠る)。

「枯野抄」も亦単に渺茫の趣きを覘〔ねら〕つてゐる作ではない。この作品に渺茫な枯寂が現はされてゐないと言ふ室生犀星氏は、結局氏自身の好みを語つてゐるに過ぎないであらう。一般的に言つて、氏の作品にいつもさうしたものを発見したがる、芥川氏を余りに東洋的な文人としようとする鑑賞家的悪癖である。「悲嘆かぎりなき門弟たち」は、必ずしも嘆きの中の悦び――芭蕉の人格的圧力の桎梏からの解放の悦びを持たぬわけではなかつた。彼等は「枯野に窮死した先達を嘆かずに、薄暮に先達を失つた自分たち自身を嘆いてゐる」。我々はこゝに、近代的個性の痛々しい自己省察を見せられるのである。

宇野の引用は『彼等は「枯野に窮死した先達を嘆かずに、薄暮に先達を失つた自分たち自身を嘆いてゐる」。我々はこゝに、近代的個性の痛々しい自己省察を見せられるのである。』と「彼らは」の後に引用の括弧を配し、尚且つ、せめてその後の一文を附してこそ宮本の(ひいては宇野が室生の評と並べた)意味が分かる。]

 この二人の説は、それぞれ、見当がはずれている。(もっとも、宮本の方はいくらか当を得ているが。)

 さて、芥川は、この『枯野抄』で、芭蕉よりも、(いや、芭蕉ではなく、)師の臨終に駈〔か〕けつけた幾人かの門弟たちの性格と気もちと腹の探り合いのようなものが、書きたかったのではないか。つまり、一と口に云うと、死にかかっている芭蕉の病床に侍〔はべ〕っている、骨と皮ばかりになった師匠の見にくい姿に「はげしい嫌悪の情」をおこしている其角、師匠の看病の一切の世話を一人でした事に満足しながら、それは、師匠の容態を心配する、というより、それを人に見せびらかせて誇りに思っているような自分のさもしい心を反省しているような去来、同座の人たちの心事をしじゅう冷静に観察しながら、師匠が死んだら、『終焉記』でも書いて、一〔ひ〕と儲けしてやろう、とたくらんでいる支考、師匠のつぎに死ぬのは、自分ではあるまいか、と思って、怯〔おび〕えている惟然坊、師匠が死ねば、「人格的圧力」がなくなるから、ノウノウと手足をのばせるであろうと、喜んでいる丈艸、その他を書いて、結局、「師匠の命終に侍しながら、自分の頭を支配してゐるのは、他門への名聞〔みょうもん〕、門弟たちの利害、或〔あるひ〕は又自分一身の興味、打算――皆直接垂死の師匠とは、関係のない事ばかりである、」という支考の『考へたやうな事』を、芥川は、書くつもりであったのではないか。

 芥川は、『一つの作が出来上るまで』という文章の中で、この『枯野抄』を書くまでに、三たび構想をかえた、そうして、三度目に、蕪村の『芭蕉涅槃図』からヒントを得て、この『枯野抄』を書いた、と述べている。

 それは、作者自身が書いているのであるから、本当であろうが、私は、この文章の中の「それを書くについては、先生の死に逢ふ弟子の心持といつたやうなものを私自身もその当時痛切に感じてゐた、」という一節に、心を引かれた。この『先生』とはおそらく夏目漱石であろう。

 ところで、これはずっと前に書いたことがあるように思うが、たしか、『傀儡師』が出てから間〔ま〕もなく、ある日、芥川が、目を三角〔かく〕にして、大きな前歯(上の歯)が一本〔ぽん〕かけているのが目につく口をあけ、徒児〔いたずらっこ〕らしい顔つきをして、内証話をするような低い声で、「――君〔きみ〕、ナイショだがね、『枯野抄』に登場する門弟たちは、漱石門下の人たちだよ、」と、私に、云ったことがある。

 ところが、『枯野抄』に出てくる門弟たちは、みな、いかに師の臨終の部屋の中であれ、およそ愛敬というものがなく、それぞれ、腹に一物〔いちもつ〕ありそうであり、一人〔ひとり〕として心を許〔ゆる〕せそうな人間がいない、ちかごろ流行の言葉をつかうと、『善意の人』が一人〔ひとり〕もいない、悪意の人はかりである。

 閑話休題、(あだし言〔ごと〕はさておき、)私は、この小説を読んだ時、まったくヤリキレない気がした、どんな社会でも、(たとえば、政治家とか実業家とか云われる人たちの社会でも、)このような妙な(イヤな)悪意の人たちばかりだけが集まる事はないゾ、と云いたいのである。これは、大げさに云うと、人間の心の地獄の図のようにさえ、思われるからである。

 芥川は、『地獄変』にあるような世にも恐ろしい事を書きながら、絵空事のようにしか、書けなかった人である。しかし、絵空事の物語を書けば、芥川は、一代の名人であった。『古今著聞集』に、「ありのままの寸法に書きて侯はば、見所なきものに侯ふ故に、絵空事とは申すことにて候」という文句がある。つまり、芥川の前期から中期までの間の歴史物(殊にいわゆる王朝物と切支丹物)の大部分は『絵空事』であるから、その絵空事の大部分は、成功しているのである。

[やぶちゃん注:「『古今著聞集』に、……」上巻の「三」に既出。該当箇所の私の注を参照されたい。]

 ところが、この『枯野抄』に出る人物は、みな、常識的な、ありふれた、俗人であるから、およそ絵空事にならない人たちである、つまり、その頃の芥川の小説にまったく不向きな人間であり、書くのに芥川の一ばん不得手な人間である。それで、芥川が、私に、内証話でもするように、ひくい声で、「漱石門下の人たちだよ、」と云ったのが、かりに本当であったとすれば、こういう種類の人間を書くことがもっとも下手な芥川が、カクカクコレコレの人間をあらわそうと思いながら、書いたのが、まったく別の性格の人間になったのかも知れないのである。又、それでなければ、本当に、『花屋日記』と支考や其角が書いいた芭蕉の臨終記のようなものを参考にして、芭蕉の臨終の座敷に集まった、其角、去来、支考、惟然、丈艸、その他の、風貌、性格、心理、その他を真面目に書いたのを、芥川が、私をからかうために、「あれは、漱石門下の連中を書いたのだよ、」と云ったのかもしれない。これは芥川のよくやる手であるからだ。

[やぶちゃん注:勿論、芥川は宇野を『からかうために、「あれは、漱石門下の連中を書いたのだよ、」と云った』のではない。寧ろ、芥川は「枯野抄」を読んだ宇野は、その性格から「まったくヤリキレない気が」するに違いなく、『どんな社会でも』、こん『な妙な(イヤな)悪意の人たちばかりだけが集まる事はないゾ、と云いたい』に決まっている、「枯野抄」は『人間の心の地獄の図のようにさえ、思』っているに違いないと確信したからこそ、芥川独特の露悪的性向から、わざと『「あれは、漱石門下の連中を書いたのだよ、」と云った』のである。因みに、枯野抄」電子テクストその他、高等学校現代文オリジナル枯野抄」授業ノートなどがある。御笑覧あれ。]

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