宇野浩二 芥川龍之介 十六~(3)
『戯作三昧』は、『枯野抄』などとくらべると、手のこんだ作品である。菊池 寛がこの小説について、「彼の創作生活の告白ではなくて何であらう。ただ、彼が世の所謂告白作家よりももつと芸術家である為めに、曲亭馬琴を傀儡として、告白の代理をせしめたのに過ぎない、」と論じているが、これは、まちがってもいないが、いかにも菊池流の見方である。
立ち入った見方をすれば、銭湯の中で馬琴の小説を遠慮なく扱〔こ〕きおろす眇の男は、芥川のその頃ひどく気にいらなかった批評家の一人〔ひとり〕かもしれない。
それから、この小説の中に、「この年〔とし〕まで自分の読本〔よみほん〕に対する悪評は、なるべく読まないやうに心がけて来た。が、さう思ひながらも亦、一方には、その悪評を読んで見たいといふ誘惑がないでもない、」というところがあるが、これは、はっきり、馬琴の考え方ではなく、(もっとも、馬琴にもこういう考えはあったかもしれないが、)芥川が小説を書き出してからの気もちである。私の記憶ちがいかもしれないが、ある時、芥川が、私に直接はなしたのか、なにかの文章に書いたのか、まるで覚えていないけれど、「谷崎潤一郎は新聞を読まないそうだが、僕も新聞を読まないことにしている、」と述べたことがある。この『新聞』とは『月評』(つまり、毎月出る小説の批評)という程の意味である。これは、私の知るかぎり、芥川が非常に(人並〔ひとなみ〕以上に)『月評』を気にしていたという事にもなるのである。(この事について、芥川が新進作家時代に「新潮」の記者であり、それ以前に小説もたくさん書いたことのある、水守亀之助からの手紙の中に、「芥川氏が谷崎潤一郎が新聞の文芸欄をよまないといふのに感心して自分も見ないことにしたといふ一事は小生も直接にきかされました。ですから、あれは貴下も同様ぢかにお聞きになつたのでせう。同氏が文章の中に書いたのではなかつたと思ひます、」と書かれてあった。これは大へん為めになったので、うつしたのである。)
[やぶちゃん注:「眇」は「すがめ」と読む。片目の不自由なこと。「水守亀之助」(明治十九(一八八六)年~昭和三十三(一九五八)年)は小説家。大正八(一九一九)年に新潮社入社し、『新潮』の編集の傍ら、自然主義傾向の小説「末路」「帰れる父」等を発表した。参照したウィキの「水守亀之助」の記載によると、その後は数奇な人生を辿っている。]
それから、この小説の中で、馬琴が、一九、三馬、種彦、春水、その他と比較されるところがあるが、それらの作家の名を書く時、芥川は、同時代の作家たち(例えば、⦅『例えば』である、⦆潤一郎、弴、春夫、その他)の名を、頭〔あたま〕の中に、うかべたかもしれない。それから、やはり、おなじ小説のなかの、「大きな事を云つたつて、馬琴なんぞの書くものは、みんなありや焼〔やき〕直しでげす、」とか、「第一馬琴の書くものは、ほんの筆先一点張りでげす。まるで腹には、何にもありやせん。あればまづ寺小屋の師匠でも云ひさうな、……」とか、「……それが証拠にや、昔の事でなけりや、書いたと云ふためしはとんとげえせん、」とか、いうところなどは、世間でこういう非難をする事ぐらいは、『とっくに承知の助』と云わんばかりの芥川流の見得〔みえ〕とも取れるけれど、これらの言葉の底に、私は、やはり、一脈の悲哀のようなものを、感じるのである。
それから、この小説のおわりの方の、誰も問題にする、「根〔こん〕かぎり書きつづけろ。今己〔おれ〕が書いてゐる事は、今でなければ書けない事かも知れないぞ、」という言葉は、私には、悲壮に、聞こえる、悲壮、というより、悲痛な感じがする、そうして、その悲痛は、小説の主人公の馬琴ではなく、作者の芥川に、感じるのである。
「古人は後生〔こうせい〕恐るべしと云ひましたがな。」
「それは後生も恐ろしい。だから私どもは唯、古人と後生との間に挾まつて、身動きもならずに、押され押され進むのです。」
「如何〔いか〕にも進まなければ、すぐに押し倒される。」
これは『戯作三昧』の中の、華山と馬琴の問答であるが、実は、作者の芥川の心の中の自問自答である。つまり、「古人と後生との間に挾まつて、身動きもならずに、押され押され進む」
というような事を、二十六歳の芥川は、かんがえていたのである。
[やぶちゃん注:「根かぎり書きつづけろ。今己が書いてゐる事は、今でなければ書けない事かも知れないぞ、」私はこの芥川の『戯作三昧』の馬琴の台詞を読むと、彼の晩年の『闇中問答』の最後の台詞を思い出さずにはおれない。
僕 (一人になる。)芥川龍之介! 芥川龍之介、お前の根をしつかりとおろせ。お前は風に吹かれてゐる葦だ。空模樣はいつ何時變るかも知れない。唯しつかり踏んばつてゐろ。それはお前自身の爲だ。同時に又お前の子供たちの爲だ。うぬ惚れるな。同時に卑屈にもなるな。これからお前はやり直すのだ。
そうして私もまた、宇野と同じく、この言葉が『悲壮に、聞こえる、悲壮、というより、悲痛な感じがする』のである。]
それから、芥川は、おなじ『戯作三昧』の中で、馬琴が、『根かぎり書きづづけろ、』と何度も自分に呼びかけながら、堅く筆を握りながら、「自分の肉体の力が万一それに耐へられなくなる、場合を気づかつた、」と、書いているが、やがて、「自分の肉体が万一それに耐へられなくなる場合」があることに、気がつかなかったであろう。
しかし、芥川は、「自分の肉体の力が万一それに耐へられなくなる場合」がある事には、気がつかなかったとしても、自分の創作力がおとろえ行きづまってきた事は、うすうす、感じていた。
それが『戯作三昧』にかすかながら出ているように思われるのである。
馬琴に「根かぎり書きつづけろ、」と云わしたのは、芥川が自分をはげます言葉でもあったのだ、作者が意識しているといないとにかかわらず。

