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« 宇野浩二 芥川龍之介 十六~(3) | トップページ | 雨にうたれて散る桜 »

2012/04/17

宇野浩二 芥川龍之介 十六~(4)

 『戯作三昧』が出てから半年ぐらい後に発表した『地獄変』は、芥川の全作品の中の代表作ちゅうの代表作のように云われているが、そのとおり、これは、代表作の一つであるとしても、芥川の絵空事の小説(というより物語)の下〔くだ〕り坂にかかりかけた頃の作品である。

 しかし、それはそれとして、さすがに、芥川は、その後、別の形の絵空物や小説を、つぎつぎと、工夫〔くふう〕して、書いた。(それについては、これも、後に述べるつもりである。)

 それから、『地獄変』は、(その文章だけで云うと、)芥川の他の小説の文章が、彫琢し過

窮屈になり、感情までなくなるが、『地獄変』の文章は、のびのびしていて、一種の感情もある、そのかわり、冗漫なところがある。一長一短というべきか。

 

『文藻〔ぶんそう〕』という言葉がある。相馬泰三が、むかし、(大正七八年ごろ、)私に、ある小説の大家の文章について述べた時、「君〔きみ〕、この文章には『藻〔も〕』がないよ、」と、云った、つまり、芥川の文章には『藻』がないのである。(ふと、思い出した、その時、相馬が、『藻』がない、と云った小説は、一代の名文家と称せられる、谷崎潤一郎の或る作品である。)

[やぶちゃん注:「文藻」この場合は、詩才・文才の意味ではなく、その作者個人の文章に特有な、独特の綾や色彩の謂いである。それにしても相馬の「藻がないよ」はなかなか面白いし、それを丁々発止に受ける宇野も面白い。芥川龍之介の文章に「藻」は充分にある――いや、あり過ぎる程に、ある――と思っている私でも、この掛け合いは面白い。この宇野の一段落には確かに彼等の言う『藻』がある。]

 

『傀儡師』におさめられている小説の中の一ばん新作は『毛利先生』である。

『毛利先生』は、芥川が現実的な小説に力〔ちから〕を入れるようになった、最初のキッカケになった作品である、なぜと云う批評家もあるが、『批評』という事になると、人さまざま、何とでも勝手な事が云える。だいたい、『毛利先生』は、芥川が、芥川らしい小説が書きにくくなったために、楽〔らく〕な方法で、回想を本〔もと〕にして、諧謔と皮肉で、小説らしくしたものである。

 回想を本〔もと〕にして、と云えば、この『毛利先生』と殆んど同じ頃に書いた『あの頃の自分の事』という小説のはじめに、芥川は、「以下は小説と呼ぶ種類のものではないかも知れない。さうかと云つて、何と呼ぶべきかは自分も亦不案内である、」と、ことわっている。

 嘗〔かつ〕て、(といって、二三年前には、)芥川は、『小説と呼ぶ種類ではないかも知れない、』というような小説は、断乎として、否定した人である。そんな小説は、小説ではない、と云い切った人である。

 それが、今、むかし軽蔑した『小説と呼ぶ種類ではないかも知れない』ような小説を、芥川は、書かざるを得なくなったのである。それが、つまり、『毛利先生』(これはちょいと小説になっているが)であり、この『あの頃の自分の事』であり、ずっと後の、『大導寺信輔の半生』であり、幾つかの、『保吉』物である。

[やぶちゃん注:「毛利先生」の私の電子テクストはこちら。]

 

 さて、芥川が生前に出した短篇集は、『羅生門』、『傀儡師』、『影燈籠』、『夜来の花』、『春服』、『黄雀風』、『湖南の扇』の七冊であり、芥川の死後に出された短篇集は、『大導寺信輔の半生』と『西方の人』の二冊である。

[やぶちゃん注:「芥川の死後に出された短篇集」は二冊どころではない。ざっと見ても没年(昭和二(一九二七)年末には『侏儒の言葉』、翌昭和三年には童話集『三つの宝』、昭和四年に『西方の人』、昭和五年に『大導寺信輔の半生』と続く。]

 この生前に出した七冊の中で、『黄雀風』と『湖南の扇』には主として身辺を書いた作品が多くはいっており、他の五冊のうちでは『影燈籠』が一ばん見おとりがする。

『影燈籠』の中には、『蜜柑』とか、『葱』とか、という現代の庶民の日常の何でもない事を題材にした小説がはいっているが、これは、いわゆる歴史物ばかりを書いていた芥川が、このような物を書いたという事で、めずらしがられただけの物で、ちょいと気のきいた小説ではある。が、唯それだけのものである。それに、『葱』は、あまり出来〔でき〕がよくない。

 それから、この短篇集には十四篇もおさめられてあるが、その中の、二篇は旧訳の翻訳であり、他の二篇は旧作と『小品四種』である。つまり、この四篇は、他の十篇だけでは一冊の本にならないので、「紙数の不足を補うため」に、入れられたのである。

[やぶちゃん注:「十四篇」は十七篇の誤り。『影燈籠』の収録作品は「蜜柑」「沼地」「きりしとほろ上人伝」「龍」「開化の良人」「世之助の話」「黄粱夢」「英雄の器」「女体」「尾生の信」「あの頃の自分の事」「じゆりあの吉助」「疑惑」「魔術」「葱」の創作、アナトール・フランスの「バルタザアル」及びイェイツの「春の心臓」の翻訳二篇の計十七篇である。「黄粱夢」「英雄の器」「女体」「尾生の信」のことを宇野は小品四種と呼んでいるものと思われる。]

 概して、この集におさめられている作品は、切支丹物でも、工夫〔くふう〕をこらして、現実的にはなっているが、以前のような覇気がない、それから、おなじ話でも、『犬と笛』は、『蜘蛛の糸』より、雑駁で、味がない、それから、『蜜柑』もちょっとした思いつきであり、『葱』は出来そくないであり、全体に、芥川らしい気負ったところが少しもない。

[やぶちゃん注:「犬と笛」は大正八(一九一九)年一月、『赤い鳥』に発表された童話であるが、『影燈籠』には所収しない(どころか、単行本には未収録の作品である)から見当違いの批評である(次の段落を読むと、彼のこの部分の批評は『影燈籠』への批評から、それが発刊される前年の大正八(一九一九)当時の芥川の作風への批判となっているのであるが、誰が読んでも『影燈籠』に「犬と笛」が所収しているようにしか読めないから、よくない文章である)。また、私は「犬と笛」を「雑駁で、味がない」とする一刀両断にも、宇野自身の評価自体、「雑駁で、味がない」物言いであると反論するものである。

「『蜜柑』もちょっとした思いつきであり」確かに『影燈籠』はマンネリズムに陥った芥川の作品集として後代では最も評判が悪いが、私はこの「蜜柑」は、芥川龍之介の現代物の中でも一番に挙げてよい名作と信じて疑わない。宇野の「ちょっとした思いつき」という二度の謂いには烈しく反論するものである。]

 芥川は一たいどうしたのであろう、――と、私は、これらの小説をよんだ時、一人で、気をもんだ。

 そこへ、『竜』が出たのである。大正八年の五月号の「中央公論」である。『竜』は、例の『宇治拾遺物語』の巻十一の「蔵人〔くらんど〕得業〔とくごふ〕猿沢の池の竜の事」から取材したものである。嘗て、(三四年前、)芥川は、『宇治拾遺物語』から素材をとって、彫琢された文章で、珠玉の短篇、と称されたような、幾つかの、小説を、書いた。ところが、今、おなじ『宇治拾遺物語』から取材した『竜』は、文章も、内容も、冗漫で、わざと延ばして書いたのではないか、と思われるほど、いたずらに冗長である。

[やぶちゃん注:「蔵人〔くらんど〕得業〔とくごふ〕猿沢の池の竜の事」は、一般には「蔵人〔くらうど〕得業〔とくごふ〕、猿沢〔さるさは〕の池の龍〔りよう〕の事」である。原話では龍は現れず、原話とは異なる。次文で宇野が言うように、宇野の梗概の方が、また更に増して原話の方が「はるかにおもしろい」とは、私は思わない。]

 蔵人得業が、人をかつぐつもりで、「三月三日この池より竜昇〔のぼ〕らんずるなり」と書いた立て札猿沢の池のほとりに、立てる。すると、大和は、もとより、遠く、山のかなたの、河内、摂津、和泉、その他の国国の人びとが、言いつたえ、開きつたえ、して、『登竜』を見物したいために、ぞくぞくと、集まってくる。蔵人は気が気でない。するとその三月三日の四五日前に、摂津の国から、はるばると、蔵人の叔母が『登竜』を見たい、と云って、たずねてくる。蔵人はますますあわてる。ところが、その三月三日に、偶然、大雨がふり、雷〔かみなり〕が鳴りはためき、雲がむらがりおこって、池の中から竜が昇天した。そうして、人びとは確かにそれを見た、と云った。ところで、蔵人は、その後、知人や仲間に、あれはイタズラであった、と、ふれまわったが、誰ひとりそれを真にうける者はなかった。――と、これが『竜』の荒筋である。ところが、この下手〔へた〕クソな荒筋の方が、書いた私が読んでも、本物の『竜』より幾らかおもしろく、この下手〔へた〕クソな荒筋よりも本元の『蔵人得業猿沢の池の竜の事』の方がはるかにおもしろいのである。

 されば、私は、この『竜』を読みおわって、タメ息をついたのであった。

 しかし、芥川は、さすがに、その頃の自分の事を、よく知っていた。その事を、私は、こんど、はじめて、つぎのような文章を読んで、知ったのである。

 樹の枝にゐる一匹の毛虫は、気温、天候、鳥類等の敵の為に、絶えず生命の危険に迫られてゐる。芸術家もその生命を保〔たも〕つて行く為に、この毛虫の通〔とほ〕りの危険を凌〔しの〕がなけれはならぬ。就中〔なかんづく〕恐る可〔べ〕きものは停滞だ。いや、芸術の境に停滞と云ふ事はない。進歩しなければ必〔かならず〕退歩するのだ。芸術家が退歩する時、常に一種の自動作用〔さよう〕が始まる。といふ意味は、同じやうな作品ばかり書く事だ。自動作用が始まつたら、それは芸術家としての死に瀕〔ひん〕したものと思はなければならぬ。僕自身「竜」を書いた時は、明〔あきらか〕にこの種の死に瀕してゐた。

(『芸術その他』)

 この文章を、芥川は、大正八年の十月に、書いているが、最後に、「おひおひ僕も一生懸命にならないと、浮かばれない時が近づくらしい、」と結〔むす〕んでいる。

 この文章には、芥川の、覚悟のようなものと、何〔なに〕か憤りのようなものも、感じられる。その憤りは、思うように小説が書けない事、それから、中篇小説『妖婆』が、失敗した上に、親友から手きびしい非難をされた事、それやこれやでイライラしていた事、等等から、来ているのではないか。

[やぶちゃん注:「藝術その他」とそれへの批評の反駁文「一批評家に答ふ」が私の電子テクストにある。参照されたい。]

 いずれにしても、大正八年は、芥川には、よい年〔とし〕ではなかった、過渡期の年〔とし〕であった。

 この大正八年に書いた『沼地』という短篇の中で、絵が思うように描けないために、「恐ろしい焦燥と不安に虐〔さいな〕まれ」た末に、気ちがいになった画家の絵を見てから、その画家の話を聞いて、「殆ど厳粛にも近い感情が私の全精神に云ひやうのない波動を与へた、」と、芥川は、述べている。

[やぶちゃん注:「沼地」も私の好きな作品のである。私が勝手にデュシャンの「薬局」を飾った電子テクストは、こちら。]

 芥川も、亦、大正八年には、幾度か、「恐ろしい焦燥と不安」に、さいなまれたのではないか。そのために、しばしば、夜〔よる〕、眠れない事も、あったのではないか。

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