ジョン・ミリングトン・シング著姉崎正見訳「アラン島」第四部 (22) 本文完結
皆が行つてしまふと、私は暫く、酒場の椅子に腰掛け、愛蘭土語の新聞を讀んでゐる幾人かの靑年たちと話をした。それから學者と二人の物語師――二人共老人で船乘り――と一緒に物語や詩を書き寫しながら、長い夜を過した。殆んど六時間近くを勉強したが、事柄を段段と調べれば調べるほど、此の老人達は多くを憶ひ出してくるやうであつた。
「私は今夜、漁に出かける筈だつたのだ。」さう云つて一人の若者がはひつて來た。「併し、私はあなたに來ると約束をした。あなたは禮儀正しい人だから、私は約束を破るよりも五ポンドを捨てることにした。さあ、」――ウィスキーの盃を取り上げながら――「あなたの健康を祝します。グスベリの木であなたが棺を造るまで、またお産の床であなたが死ぬまで、生きていらつしやるやうに。」
皆も私の健康を祝つて飮み、また我我の勉強が初つた。
「あなたは詩人のマックスウィニーの話を知つてゐますかね?」と私の傍に坐つて、その男が聞いた。
「ゴルウェーの町で聞いた事がある。」私は答へた。
「さうかね、」彼は云つた。「『盛んな結婚式』といふ一篇をあなたに話してみよう。それは美しい一篇で、知つてゐる人は澤山ないだらうから。田舍に、或る可憐な召使の娘がゐて、その娘が或る可憐な召使の男の子と結婚した。マックスウィニーは二人を知つてゐたが、その時、遠方にゐて、歸るまで一ケ月かかつた。歸つて來ると、彼はペギー・オハラ――娘の名をさう云つた――に逢ひに行き、盛大な結婚を擧げたかと聞いた。ペギーはほんの中位であつたと答へ、矢張りよく忘れずにゐたと見えて、戸棚にウィスキーの瓶をしまつておいた。彼は爐邊に坐り、ウィスキーを飮み初めた。二三杯飮んでしまつて、爐で温かくなると、一つの歌を作り初めた。それがペギー・オハラの結婚式について作つた歌なのだ。」
*
When
they had gone I sat for a while on a barrel in the public-house talking to some
young men who were reading a paper in Irish. Then I had a long evening with the
scholar and two story-tellers--both old men who had been pilots--taking down
stories and poems. We were at work for nearly six hours, and the more matter we
got the more the old men seemed to remember.
'I
was to go out fishing tonight,' said the younger as he came in, 'but I promised
you to come, and you're a civil man, so I wouldn't take five pounds to break my
word to you. And now'--taking up his glass of whisky--'here's to your good
health, and may you live till they make you a coffin out of a gooseberry bush,
or till you die in childbed.'
They
drank my health and our work began.
'Have
you heard tell of the poet MacSweeny?' said the same man, sitting down near me.
'I
have,' I said, 'in the town of Galway.'
'Well,'
he said, 'I'll tell you his piece "The Big Wedding," for it's a fine
piece and there aren't many that know it. There was a poor servant girl out in
the country, and she got married to a poor servant boy. MacSweeny knew the two
of them, and he was away at that time and it was a month before he came back.
When he came back he went to see Peggy O'Hara--that was the name of the
girl--and he asked her if they had had a great wedding. Peggy said it was only
middling, but they hadn't forgotten him all the same, and she had a bottle of
whisky for him in the cupboard. He sat down by the fire and began drinking the
whisky. When he had a couple of glasses taken and was warm by the fire, he
began making a song, and this was the song he made about the wedding of Peggy
O'Hara.'
[やぶちゃん注:以下、底本では続くが、原文では行空けがある。
「學者」は注既出の通り、「郷土史研究家」。「物語師」は「語部」と訳したい。私は約束を「あなたは禮儀正しい人だから、私は約束を破るよりも五ポンドを捨てることにした。さあ、」原文は“you're a civil man, so I wouldn't take five pounds to break my word
to you. And now”で、これは別に彼が漁に出ていれば、その収穫で「五ポンド」を手に入れていた、それを捨てた、という意味では、あるまい。「あんたは礼儀正しい人だ、だからどんなことがあったって――たとえ誰かが俺に五ポンドくれてやると言ったとしたって――俺は約束を破らねえ、さあ、」という意味である。
「グスベリの木であなたが棺を造るまで、またお産の床であなたが死ぬまで、生きていらつしやるやうに。」
“and may you live till they make you a coffin out of a
gooseberry bush, or till you die in childbed.'”「グスベリ」はグース・ベリーでバラ目スグリ科スグリ属セイヨウスグリRibes uva-crispa。漢字では「西洋酸塊」と書く。和名の異名はマルスグリ・オオスグリ。イギリスでは音写すると一般には「グズバリ」。甘い果実をジャムに加工する。3メートルほどの落葉低木でとても棺桶の材料にはなりそうもない。なりそうもないから長寿の祝言となるのではなかろうかと推測する。「お産の床であなたが死ぬまで、生きていらつしやるやうに」とは、あなたが死ぬとすれば――それはあなたが生まれたばかりの時、ベビー・ベッドの中で死ぬまで――あなたの死はやってこない――あなたは今や大の大人になってぴんぴんしている――だからあなたに死はやってこない」という論理矛盾を用いた長寿の祝言と読む。
「詩人のマックスウィニー」“the poet MacSweeny”。シングも知っているからアイルランドでは相応に有名な吟遊詩人なのであろうが、不詳。識者の御教授を乞う。]
彼はその詩の英語と愛蘭土語の兩方を持つてゐたが、それは何處にでもあり、且つ他の通俗詩人の作と看做されるれてゐるので、此處に掲げる必要もないであらう。
私たちもう一遍、黑ビールやウィスキーを一廻りさせた。そしてマックスウィニーの結婚式の詩を持つてゐた老人は酒飮みの歌の一篇を見せてくれた。學者はこれを書き寫し、後で私が彼と一緒に飜譯した。――
*
He
had the poem both in English and Irish, but as it has been found elsewhere and
attributed to another folk-poet, I need not give it.
We
had another round of porter and whisky, and then the old man who had
MacSweeny's wedding gave us a bit of a drinking song, which the scholar took
down and I translated with him afterwards:--
[やぶちゃん注:以下、底本では行空けがあるが、原文では続く。
「彼はその詩の英語と愛蘭土語の兩方を持つてゐた」は、言わずもがなであるが、「彼はその詩を英語とアイルランド語の両方で歌うことが出来た」という意。「酒飮みの歌の一篇を見せてくれた」も同様に「酒飲み歌の一節(ふし)をかまして呉れた」の意。ここにきて全体に姉崎氏にはちょっと訳の生硬さが目立ってくる。どうされたのだろう。]
「お婆さんがベアラカで、のろまな男に出逢ふと、こんな事を云ふ。――
「お前さんは前に、蒸溜所に行つて其處から一杯ひつかけた事があるかね? 葡萄酒でもビールでも、それほどおいしい物はない。だが、飮んだ後、私がスローパーさんの爐の傍で倒れた時、火傷しなかつたのは何よりだつた。
「オーエン・オハーノンを愛蘭土一のお醫者さんと、私は褒める。大麥の中へ水をさし、その中へ藥を入れるのはあの人だ。
「若しその一滴だけでも、杖をついて世の中を歩く婆さんにやつたなら、素晴らしい安息所が出來たと、お婆さんは一週間ぐらゐは考へるだらう。」
*
'This
is what the old woman says at the Beulleaca when she sees a man without
knowledge--'Were you ever at the house of the Still, did you ever get a drink
from it? Neither wine nor beer is as sweet as it is, but it is well I was not
burnt when I fell down after a drink of it by the fire of Mr. Sloper.
'I
praise Owen O'Hernon over all the doctors of Ireland, it is he put drugs on the
water, and it lying on the barley.
'If
you gave but a drop of it to an old woman who does be walking the world with a
stick, she would think for a week that it was a fine bed was made for her.'
[やぶちゃん注:「ベアラカ」“Beulleaca”不詳。
「オーエン・オハーノン」“Owen O'Hernon”不詳。
「大麥の中へ水をさし、その中へ藥を入れるのはあの人だ。」原文は“it is he put drugs on the water, and it lying on the barley.”。これは「オオムギの中で寝かせて造る――そんでもって出来たそのヤクは――こっそり仕込むんだ、水ん中――」と言ったニュアンスではなかろうか? また、これは私の直感であるが、オオムギに生じた麦角アルカロイドの抽出とそこから精製した堕胎薬を指しているように思われる。麦角菌はバッカクキン科バッカクキン属Clavicepsに属する子嚢菌の約五十種の菌類の総称。特によく知られる種は
Claviceps purpurea でオオムギ・ライ麥・コムギ・エンバクなど多くの穀物に寄生し、本種が作る菌核は黒い角状或いは爪状を呈し、西洋では「悪魔の爪」などとも呼ばれる。この麦角の中には麦角アルカロイドと総称される物質は含まれており、これは麦角中毒という循環器(血管収縮による手足の壊死)や神経系(手足が燃えるような異感覚)に対する様々な毒性を示し、脳への血流の不足による精神異常・痙攣、意識不明から死に至ることもある。子宮収縮による流産なども引き起こすが、そこから古くは微量の麦角が堕胎や出産後の止血剤としても用いられた(以上はウィキの「麦角菌」に依った)とあり、この「藥」はカトリックが厳しく断罪する堕胎のための秘薬の謂いではなかろうか? 更に言えば、最後の歌は一種の姥捨伝説を語っており、精製したアルカロイドを一振り盛れば、免疫機能の低下した老人ならば一週間程度で死に至るということ、麦角アルカロイドによる毒殺を暗に意味しているのではなかろうか? とすれば――この最初の歌は……強いスピリッツを殺したい奴に酔うまで飲ませて、後は暖炉のそばに放置して置けば、過失による焼死で処理される、という完全犯罪のススメの意が隠されているのではなかろうか?! 私のとんでもない誤解かも知れない。識者の御教授を乞うものである。]
その後で私はヴァイオリンを取り出さして、皆がウィスキーを飮んでゐる間、幾つかの曲を彈かねばならなかつた。今朝は、黑ビールの新らしい貯藏品が部屋の下の酒場に出された。私たちの話す合間に、中の島から來た人達をもてなす爲に來てゐる幾人かの男たちが色色の歌を歌つてゐるのが聞こえてゐた。或る者は私の書いたやうな英語であつたが、大概の者は愛蘭土語で歌つてゐた。
暫くして、一行が階下で解散すると、此の老人達は妖精達――それは少し行つた處に住んでゐる――を氣味惡がりながら、砂山を越えて立ち去つた。
その翌日、私は汽船で出發した。
*
After
that I had to get out my fiddle and play some tunes for them while they
finished their whisky. A new stock of porter was brought in this morning to the
little public-house underneath my room, and I could hear in the intervals of
our talk that a number of men had come in to treat some neighbors from the
middle island, and were singing many songs, some of them in English or of the
kind I have given, but most of them in Irish.
A
little later when the party broke up downstairs my old men got nervous about
the fairies--they live some distance away--and set off across the sandhills.
The
next day I left with the steamer.
[やぶちゃん注:これが“The Aran Islands”「アラン島」の掉尾である。栩木氏によれば、この第四回目のアラン離島は1901年10月19日である。実はこれが最後ではなく、シングはこの一年後の1902年10月14日から11月8日まで、五回目のアラン滞在を果たしており、実にシングは27歳の時から30歳になるまでの毎年、アランに「帰って」いたのであった。因みに、シングは最初のアラン訪問(1989年5月10日)の二年前、1897年25歳の時に血液の癌の一種“Hodgkin's lymphoma”ホジキンリンパ腫を発症していた(白血球中のリンパ球が悪性化する癌で、全身のリンパ節が腫れ、腫瘤が形成される。当時は有効な治療法はなかった。私の愛するルーマニアのピアニスト、ディヌ・リパッテイもこの病いのため、1950年、33歳で夭折している)。シングは1909年3月24日、様態が悪化、37歳の若さで帰らぬ人となった。
……アランの島人らが何時も心配していたこと……
……それはいつもシングの結婚のことであった……
……シングはこの亡くなる直前に……
……彼がディレクター兼アドバイザーをしていたダブリンの劇場アベイ座の女優モリー・オールグッドと婚約している……]
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