中国にいる教え子からの消息文
以下に示すのは三日前に僕の古い教え子から貰った消息である。彼は彼の仕事の関係で現在、中国の上海に家族とともに居る。僕はこんな、僕自身を啓発してくれる便に出逢った時、本当に教師をして(「いて」ではなく、完全な過去形であるが)よかったと思うのである。こんな達意で、尚且つ、胸に迫る、そして読む者誰をも、ちょっぴり微苦笑させる素晴らしい文章を書ける彼と友――最早、今はしゃっちょこばった師弟なんぞではない、対等な友であることを誇りに思うのである。僕は偶々「教師」として、彼を教えたに過ぎないのだが、僕が三年間担任でもあって、彼はまた何と僕の現代文しか高校時代に教わっていない如何にも不幸な人物なのである。その彼のこの文の響きは、どうか。正に「文藻」とは、かくの如きものを言うという見本を他の人々にも知って戴きたいのである。彼は奈良をこよなく愛し、能をこよなく愛し、中国をこよなく愛し、家族をこよなく愛する好青年である(僕の中の――puer eternus――プエル・エテルヌス(永遠の少年)という意味に於いて好「青年」であり続ける)。先程、本人からの承諾も得た(著作権は彼にある。引用の際は、このブログからの引用であることを必ず明記されたい)。本名は明かさない。ただ「私の古き友」としておく。
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先生、
今日は欧陽脩の名文「酔翁亭記」に誘われて、中2の長男と二人、安徽省滁州に新幹線で日帰り小旅行。薄曇りなのに長袖では汗ばむような陽気に、夏がもうそこまで来ているのを実感しました。小高い丘が連なる市街南郊の風景区には靄もかかり、大陸特有のどんよりした重い空気は、歩くと抵抗力さえ感じられました。肝心の酔翁亭は、大陸でよく見かけるような東屋で、そういう知識を持って見なければ特に感慨も沸かないような代物でした。しかし、私は暮れ行く春に身体ごと包まれる幸福を味わいました。小川に沿った小径の両脇は見渡す限り眩しい若葉に覆われ、藤色やピンクの花をつけた木々がところどころ夢のように佇んでいました。「暮れゆく人生の春」というような日本のどこかの詩句を思い浮かべながら、非日常の感覚を深く味わいました。一千年前にここを訪れた欧陽先生も同じような想いにとらわれたのかもしれません。そうでなければ、人を酔わせるあの名調子は紡ぎ出せなかったでしょう。そうして同じ感性が、東の島国からやってきた私の中に本当に生きているらしいことを不思議に感じ、密かに喜ばしく、そして誇りにも思いました。
今日はそれだけでは終わりませんでした。さきほど帰宅途上の上海地下鉄の列車内で、親子三代の一行に行き遭いました。三十そこそこの父親が車内に掲示された地下鉄路線図を仔細に調べていましたから、恐らくめったに上海に出て来ない郊外の家族が上海動物園にでも遊びに来た帰りだったのでしょう。孫の相手をしているおばあさんが列車の床に尻をついて座りこんだのも、年の頃幼稚園くらいの孫に、その場でシャボン玉遊びをさせたのも、中国生活5年を超えた私の想定範囲内でした。しかし、その子供のズボンを下ろして堂々と床に直接小便させたのには、さすがに度肝を抜かれました。周囲の乗客も、困ったなという苦笑い。
欧陽先生がタイムスリップしてあの地下鉄車内に乗り合わせたら、どうお感じになったでしょう。最近になってやっと私は、一千年前のこの国の文化のひとつの最高峰であった欧陽先生の美意識と、あのご家族を結ぶ線を、何となく思い描くことができるような気がします。とても乱暴ですが「生きていることをありのままに楽しむ」という、細いですが確かな線です。勝手な思い込みかもしれません。しかしこの国は、「美しいものは清浄な床の間に飾ることができる」という日本とは、もっと根底から違う文化の形を持っているような気がします。
先生、人生というものは淋しいものですね。径がいよいよ静寂に包まれ、別れてしまった人々はますます遠くなり、いつの間にか陽は傾き、木々の梢の輝きが失われても、最後まで一人で歩いていかなくてはならないのですね。この愛すべき逞しい国が、微笑みをたたえて歩き続ける力を私に与えてくれますように。
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厚みのある気の中を少し前のめりになって息子と進む彼の姿が、暮春の中国のウェットな風景の中にまざまざと浮かんでくる――
また地下鉄の中の田舎の媼(おうな)の日焼けした満面の顔の皺とその笑顔が見える――
それが中国である――
何もかも丸ごと抱え込む強力な包容力を持つ中国そのものである――
肉体だけでなく心までも滅菌処理され、湿った饐えた魂魄さえも居心地が悪くなって逃げ出してしまったような、どこかの国の国民とは違うな……僕はこれを読みながら、そんなことを考えて、口元に知らず知らずのうちに、笑みを浮かべていたのであった……
……歐陽修先生、東の国から来たこの青年は、まさに正しく、先生に繋がる「三上三多」の弟子で御座いましょう?……

