宇野浩二 芥川龍之介 十六~(1)
十六
『傀儡師』は、前述べたように、第二短篇集であるが、『羅生門』[ここでは、第一作品集のこと]と共に、芥川の前記の作風を代表する短篇集である。それに、この本の中には、初期以来の筆法にますます脂の乗ってきた小説が、はいっている。それから、この本におさめられている作品の大部分は歴史小説であり、中でも、徳川時代に題材を取った、『或日の大石内蔵助』、『戯作三昧』、『枯野抄』、それから、『地獄変』などは、芥川の数おおい作品のなかの、代表作に属するものであろう。
それから、これは『傀儡師』だけの事ではないが、たとえば、おなじ切支丹物でも、『尾形了斎覚え書』では物物しい候文をつかい、『奉教人の死』では物体ぶった切支丹語をもちい、おなじ徳川時代に取材した物でも、『或日の大石内蔵助』と『戯作三昧』とでは、一方は四角ばった手法、他はくだけた筆法、というように、書き方をかえ、『地獄変』と『蜘蛛の糸』とでは、作風がまったく違うのに、文章の一節のおわりに、『ございました。』『ございません。』などという言葉を主〔おも〕につかいながら、一方は物やさしく感じられ、他は重重しく思われるように、使いわけ、『開化の殺人』では明治時代の翻訳語調と漢文調と新聞の三面記事の文章をまぜあわせたような文章をつかう、という風〔ふう〕に、芥川は、こんな事にも、心をくだいている。もとより、これはほんの一例であって、芥川は、前に述べたように、小説を書きはじめる時から、なるべく新奇な題材をあさり、できるだけ奇抜な工夫〔くふう〕をこらし、それを凝〔こ〕りに凝った文章であらわす事に刻苦精励し、苦心惨憺した。
されば、くりかえし云うようであるが、芥川の前期(から中期へかけて)の作品の幾つかは、――そのたぐいない巧緻な手法、そのきわまりない絢爛な文章、そういう事だけ(そういう事だけである)から見れは、――誇張して云うと、日本の近代文学の中〔なか〕で、無比なものであろう。
ところで、一般に、芥川は、アナトオル・フランス、ストリンドベルヒ、メリメなどに傾倒していた、と云われているが、芥川が、感心していたのは、フランスやメリメだけではない、それ以上に、手本のようにしていたのは、モウパッサンとゴオティエである。芥川の、前期から中期へかけての、絢爛で彫琢の妙をきわめた小儲の中には、ゴオティエの作品を思い出させるものが、幾らもある。つまり、芥川や『観念よりは形式に、思想よりは美に、心をひかれた、』という、ゴオティエの小説に読みふけった事があるにちがいないのである、それから、芥川の、やはり、前期から中期へかけての、気のきいた短篇の中には、その構成に、(『構成』だけである、)短篇小説の名人と称せられた、モウパッサンの短篇を手本にしたように思われるものが、幾つもある。つまり、芥川は、モウバッサンの短篇をも耽読した事があるにちがいないのである。
もっとも、モウパッサンは、日本でもっとも早くから親しまれた外国の作家の一人で、田山花袋、徳田秋声、島崎藤村、その他の作家の短篇の中にも、モウパッサン風の小説が幾つかあり、永井荷風の短篇の中にも、やはり、モウパッサン風の小説が幾つかある。しかし、それらの小説は、もとより、大家の作品であるから、それぞれ、多少の差はあるけれど、いくらかモウパッサン風のところは感じられても、みな、その人の『物』になっている。(そうして、その中〔なか〕でも、「そもそも私が初めてフランス語を学ばうと云ふ心掛〔こころがけ〕を起〔おこ〕しましたのは、ああモウパッサン先生よ、先生の攻章を英語によらず、原文のままによみ味〔あぢは〕ひたいと思つたからであります。」[『モウパッサンの石像を拝す』の書き出し]と正直に述べている荷風のそれらの小説が一番こなれている。)
ところで、私が学生時代の頃、(大正の初めの時分、)“After-dinners Series”という叢書の中に、英訳のモウパッサンの短篇集が五六冊あって、一冊五拾銭(古本で参拾銭ぐらい)であった。(それは、英語とフランス語の読める人の話に、ほとんど直訳でありながら、名訳である、という事であった。)その英訳のモウパッサンの短編集を五六冊、私のような語学のできない者さえ、読んだのであるかち、秀才であった芥川は、こういう英訳のモウパッサンの短篇など、十分〔じゅうぶん〕に読みこなしていたにちがいない。
[やぶちゃん注:「“After-dinners Series”」は、“After-Dinner Series”(London, Mathieson, n. d. 12 vols.)のこと。「食後叢書」として本本邦でも親しまれた。この記載を発見した足立和彦氏のHPの「『悪魔伯夫人』とは誰なのか―モーパッサンの偽作に関して(1)」によれば、モーパッサンの訳者は“Short stories by Guy de Maupassant, translated from the French by R.
Whitling”で、また明治三十五(一九〇二)年にはほぼ全巻が出版されていたともある。ところが、この足立氏の記事によれば、そこには実に六十六編にも及ぶ偽作が含まれており、その贋作者は訳者ウィトリング本人であるとする。宇野や芥川がこれに親しんだとすると――もしかすると、彼らは正にその贋作の幾つかにインスピレーションを受けていたという、皮肉な可能性も、あるわけである――。]
おなじ頃、モウパッサンのほかに、いろいろな作家の英訳の短篇集が出たが、その中にチェエホフとキイランド[註―キイランドは英語読みで、ノルウェイの人であるからキエランと云う、大学を出てからフランスで幾冬かをすごしたので、フランスの第一流の作家たちと親しく交わったので、非ノルウェイ的な文章で、警句と機智にみちた話を明快に、簡潔に、書いた人]の短篇集があって、そのチェエホフの短篇集の帯封にも、そのキイランドの短篇集の帯封にも、大きな活字で、de Maupassant type としてあった。つまり、私は、こういう事を思い出して、チェエホフのような天才的な短篇作家やキイランドのごとき勝〔すぐ〕れた短篇作家でさえ、(かりにイギリスの出版屋の失言としても、)『モウパッサン型』とか、ノ『モウパッサン風』とか、云われるのであるから、花袋、秋声、藤村、荷風、というような大先生の幾つかの作品がモウパッサンを思わせるところがある、などと、私が、放言をしても、寛恕してもらえる、と、虫のよい事をかんがえて、こういう事を、述べたのである。
[やぶちゃん注:「キイランド」Alexander Lange Kielland(アレクサンダー・ランゲ・シェラン 一八四九年~一九〇六年)はノルウェーを代表する作家の一人。本邦では「枯葉」「季望は四月緑の衣を着て」等、専ら岩波文庫の前田晁〔あきら〕訳(昭和九(一九三四)年刊)で知られる。]
ところが、花袋、秋声、藤村、荷風、というような大家の幾つかの作品が、一部の具眼者には、「……モウパッサンだね、」とか、「モウパッサン風〔ふう〕だね、」とか、云われる事があるのに、それらの人たちにさえ、芥川が、モウパッサンのいろいろの短篇の構成を巧みに取〔と〕って、幾つかの小説を書いているのを、見やぶられないのは、どういう訳であろうか。

