宇野浩二 芥川龍之介 十一 ~(3)
さて、『澄江堂遺珠』の小曲のなかに、「ココアの碗もさめやすし」、「ココアの湯気もさめやすし」、「ココアの色も澄みやすし」、(この句だけ三所〔みところ〕ある)というところがあるが、『河童』の中に、「……そこでその雌の河童は亭主のココアの茶碗の中へ青化加里〔せいかかり〕入れて置いたのです、」という文句がある。それから、『青化加里』といえば、『青化』が『青酸』となっているけれど、『玄鶴山房』のなかに、「彼女[註―看護婦の甲野]の過去は暗いものだつた。彼女は病家の主人だ医者だのとの関係上、何度一塊の青酸を嚥〔の〕まうとしたことだか知れなかつた、」という一節がある。
それから、鵠沼に住んでいた頃、(小穴の『二つの絵』よると、)芥川は、ある日、小穴に、「医学博士斎藤茂吉の名刺を偽造して、藤沢で青酸加里を手に入れようか、」と云った。小穴は、その時の事を、回想して、「真面目に相談しかけてくる彼[註―つまり芥川]を、安心な者に自分は思つてゐた、」と述べたあとで、つぎに抜き書きするような事を、書いている。
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然し、恐ろしいのは、その藤沢の町を、単に夜の散歩として歩〔ある〕いてゐた一日、通りがかりの店でたむしの薬を買つてゐた自分の後〔うしろ〕から、突如〔とつじよ〕前〔まへ〕に出た彼が、「青酸加里はありませんか。」「証明がなければ売りませんか。」と薬屋の店の者に言つてゐた。……
斯様な芥川確之介を自分は最も怖れ、また、その時こそは彼を憎い奴〔やつ〕とも思つた。
店の者は、「証明がなくてもお売りするにはします。」と言つてゐた。ただ其時は幸〔さいはひ〕に青酸加里はなかつたのだ。自分は未〔いま〕だに忘れない。
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私が、殊更、こういう事を述べ、このような文章を引いたのは、この時分の芥川をいくらかよく知り、ずっと後〔のち〕に思いあたった事があるからである。
それから『澄江堂遺珠』から、数多の詩を引き、それに対する佐藤の解説を随所に引用したのは、これらの詩が、殆んど未発表のものである上に、詩のよしあしは別として、かぞえ年三十六歳の年〔とし〕に自ら命〔いのち〕を絶った芥川が、晩年(つまり、大正十三年から昭和のはじめ頃まで)に、人知れず、精根〔せいこん〕かたむけて、苦心惨憺して、作〔つく〕ったらしい形跡が、ありありと窺われるからである、そうして、それらの未完成の詩(あるいは完成した詩)に対する佐藤の解説が至り尽していて、私などが到底できる事〔わざ〕ではないから、それをなるべく多くの人に読んでもらいたいと思ったからである。それから、これらの詩をひそかに作っていた時分から、芥川は、しだいに健康をわるくし、作家としても『ゆきづまり』を感じ出しているように思われるからである。そうして、いわゆる保吉物はその行き詰〔づ〕まりの一つの例である。(さきに『澄江堂遺珠』のなかの詩は「殆んど未発表のものである」と述べたが、その中の幾つかは全集(別冊)に出ているのを発見したので、この言葉の三分の一ぐらい取り消す。)
[やぶちゃん注:「青化加里」は化学式KCNで化学的には(シアン化カリウム)と呼ぶが、他にも青酸カリウム・青酸カリ・青化カリとも呼称する。経口致死量は成人で一五〇から三〇〇ミリグラム程度(二〇〇程度と設定する記述もある)で、通常は嚥下後十五分以内に死に至る(胃酸と反応して出るシアン化水素又は青酸が発生、そのシアン・イオンによって体細胞の呼吸が阻害される結果)。「毒物及び劇物取締法」の「毒物」(誤飲した場合の成人致死量が二グラム程度以下のもの)に指定されており、販売するには毒物劇物営業者資格と登録が必要であるが、現在でも購入には薬物取扱い等の特定免許は必要ない。鋼の熱処理、金・銀・鉛などのメッキや分析試薬として販売されてはいる。但し、購入時には名前や使用目的を記載した書面のやり取りを行わねばならない。但し、古くは更に印刷・写真製版・金属の焼き入れや錆落し・塗装・殺虫剤・昆虫標本の脱色防止、果てはパチンコ玉の洗浄などに用いたというから、寧ろ、ごく普通に町工場などにあった薬物であり、極めて特異で入手困難な薬物とは言えないのである――因みに、私は若い頃から、芥川龍之介の死因には疑問を持っていた。所謂、睡眠薬の多量服用では自殺の既遂(成功)の可能性がかなり低いからである。確実な死を望んでいた芥川がジャールやヴェロナールで安心したはずがない。致死性に於いてより万全なものでなくてはならないからである。このシーンのように青酸カリに執拗に芥川が拘ったのも、そこにある。そして何より、宇野の話柄にも既に上っている「或阿呆の一生」の「四十八 死」で、正にこの青酸カリを登場させている事実からでもある。
四十八 死
彼は彼女とは死ななかつた。唯未だに彼女の體に指一つ觸つてゐないことは彼には何か滿足だつた。彼女は何ごともなかつたやうに時々彼と話したりした。のみならず彼に彼女の持つてゐた靑酸加里を一罎渡し、「これさへあればお互に力強いでせう、」とも言つたりした。
それは實際彼の心を丈夫にしたのに違ひなかつた。彼はひとり籐椅子に坐り、椎の若葉を眺めながら、度々死の彼に與へる平和を考へずにはゐられなかつた。
――実を言えば、私は高校時代からずっと、芥川の自殺に用いた毒物は青酸カリであろうと踏んでいた。ただ、ここに書かれたように、この平松麻素子から青酸カリを入手したというのは如何にも考えにくいと、やはりずっと思っていた。平松麻素子との心中未遂の一件について調べれば調べるほど、このシーンのように彼女が『持つてゐた青酸加里を一罎渡し、「これさへあればお互に力強いでせう、」とも言つたりした』とは考えられなかったからである。そうして――そうして山崎光夫氏の「藪の中の家-芥川自死の謎を解く」に出逢った。――なるほど! そうか! 直ぐ近くに!――以下は、このスリリングな作品をお読みあれ!――ともかく芥川龍之介は青酸カリで自死に美事成功したのである――。
「その中の幾つかは全集(別冊)に出ている」とあるが、これは先にも示した昭和四(一九二九)年岩波書店刊「芥川龍之介全集」(元版全集)の「別冊」で、現行では『澄江堂遺珠』が拾った未定詩稿は、佐藤春夫の解説を除去した形で岩波版全集に「未定詩稿」と題して掲載されており(昭和十(一九三五)年刊行の普及版全集以降の旧全集)、残存するノートに当たってその校訂精度を更に高めたものが新全集に『「澄江堂遺珠」関連資料』として掲載されている(但し、佐藤が言う「第一号」冊子は現在所在不明であり、新全集はその部分を旧全集に依っている)。これらの未定稿は私が纏めた「やぶちゃん版芥川龍之介詩集」の中に所収するので参照されたい。但し、宇野も感嘆するように、佐藤春夫の編になる「澄江堂遺珠」は、それ一冊が素晴らしい稀有の詩集である。是非、「澄江堂遺珠」でお読みになることを強くお勧めする。]