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2012/04/10

宇野浩二 芥川龍之介 十三

    十三

 

 先代の尾上梅幸の芸談のなかに、つぎのような一節がある。

……父[註―五代目菊五郎]なぞはよく私に言つたもので、お前たちは、一と口にいへば、泥坊がまづいんだ、と云ふのです。他人様のいろいろな型を取るには取つても、それをどう自分の物にするかといふ点に才覚がない。父なども、いろいろと人の型を盗んでゐるが、いはば、団子を団子として使はない、塩煎餅〔しほせんべい〕をもらつても、それを塩煎餅として食〔た〕べてしまつたんぢや、何にもならない。それを粉にくだいて、自分流のものをこねあげなければ仕様がないんだ、と父は申してをりました。

 芥川は、五代目菊五郎ほどの名人であったかどうかは別として、また演劇と文学はまったく違う芸術ではあるが、この先代の梅幸の芸談のなかの言葉をもじって云えば、五代日菊五郎さえ舌を巻いておどろくであろうと思われる程の『泥坊』の名人であった、という事になる。つまり、前に述べたように、芥川は、『今昔物語』、『宇治拾遺物語』、『十訓抄』、『聊斎志異』、キリスタン文献、その他は、もとより、シング、ゴオゴリ、フランス、モウパッサン、その他の作品からも極めて巧妙な『泥坊』(この言葉は、さきに引いた先代の梅幸の芸談の中の文句から取ったので、文字どおり『語弊』があるけれど)をしている、それは、たとえば、日本の古典から取る時でも、これを先〔さ〕きに書いたように、出世作『鼻』は、『今昔物語』のなかの話を元〔もと〕にしてシングの戯曲の仕組〔しぐみ〕を才覚して、「自分流のものをこねあげ」たものであり、『芋粥』は、おなじシングの戯曲の仕組をつかって、『今昔物語』(あるいは『宇治拾遺物語』)の中〔なか〕の話の主人公とゴオゴリの小説の主人公の話をつきまぜて、「自分流のものをこねあげ」たものではあるが、二つともまず渾然とした作品になっているからである。(山本健吉の『現代俳句』[昭和二十七年十月発行]のうちの芥川の俳句の解説をした文章の中に、「狂死した『鼻』の作者ゴーゴリは彼[つまり、芥川]の愛読する作家の一人であつた、」という文句があるが、これを読んで、私は、今更ながら山本の理解の広さに、おどろいた。ところで、いうまでもなく、おなじ『鼻』という題であるが、芥川の『鼻』とゴオゴリの『鼻』はまったく趣きは違うけれど、芥川の『鼻』もおもしろいが、その諷刺の鋭さや書き方の巧みさは、ゴオゴリの『鼻』の方が断然ずぬけている。)

[やぶちゃん注:ここで宇野が「鼻」と「芋粥」での影響関係を語っている「シングの戯曲」とは、間違いなく「聖者の泉」を指していると考えてよい。この芥川龍之介の初期代表作たる両作について、シングの「聖者の泉」との関連を問題にしている研究者は多くないと思われるが、「聖者の泉」を一読されれば、その通底はすこぶる明白である。未読の方は御一読をお奨めする(リンク先はそれこそ芥川を巡る女性として名を挙げている松村みね子(片山廣子)訳の私の電子テクストである)。]

 ところで、仕方〔しかた〕はまったく違うけれど、和歌に『本歌取〔ほんかどり〕』というのがある。本歌取とは、先人の作〔つく〕った歌の言葉あるいは思想を借りて、一首の歌に仕立〔した〕てることである。例えば、「月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身一〔ひと〕つは元〔もと〕の身にして」「色よりも香こそあはれとおもほゆれ誰〔た〕が袖ふれし宿の梅ぞも」(『古今集』)の二首に本〔もと〕づいて、『梅の花誰〔た〕が袖ふれし匂〔にほひ〕ぞと春や昔の月に問〔と〕はばや」(『新古今集』)と作〔つく〕る類〔たぐい〕である。

 この本歌取は、鎌倉時代から流行し出し、今の世でも、歴〔れっき〕した歌人でも、する事はある。いずれにしても、本歌取にかぎらず、『模倣』というものは、いつの世にも、いかなる世界にもあるものである。されば、歌でいえば、『万葉集』の歌のなかにも、例えば、巻四(五二五)の坂上郎女の、

  佐保河の小石[あるいはサザレ]踏み渡りぬはたまの黒馬〔くろま〕の来〔く〕る夜は年〔とし〕にもあらぬか

という歌は、巻十三(三三一三)の作者不詳の、

  川の瀬の石ふみ渡りぬばたまの黒馬の来る夜は年にあらぬかも

という歌の模倣であるという事は実にはっきり分〔わ〕かる。

[やぶちゃん注:五二五番歌は恋人藤原麻呂に贈った歌で、藤原麻呂の五二三番歌、

  よく渡る人は年にもありとふを何時の間にそもわが恋ひにける

〇やぶちゃんの五二三番歌通釈

……天の川のような恋の苦しみの大河をよく堪えて渡ってゆく人というのは――彦星の如く一年ものあいだ逢わないでもいられる――というけれど……あなたに逢えぬ私は……とても耐えられぬ……ああっ! 私は何時の間に……あなたにこんなにも恋してしまったのか……

への返しで、

〇やぶちゃんの五二五番歌通釈

……彦星のように佐保川の石を踏み渡って貴方の騎った黒馬が来る夜……それは、七夕のようにせめて年に一度でもあってほしいものと……思いまする……

佐保川は現在の奈良市街を流れ、歌枕。藤原麻呂の愛馬は黒馬であった。

三三一三番歌は、男の三三一〇番の長歌及び三三一一番の反歌に対する、三三一二番の長歌に附した反歌で、全体が泊瀬〔はつせ〕の神事歌物語をモチーフとした歌謡。

〇やぶちゃんの五二五番歌通釈

……川の瀬の石を踏み渡って……あなたの騎った黒馬が……夜毎のことであって欲しいもの……

三三一二番歌では相手の男を「わが天皇〔すめらぎ〕よ」と呼び、神話世界への人物変換を示している。類歌であるが、宇野の言うように、神話的古形歌謡から見て、この歌の方が坂上郎女よりも先行し、本歌取のような様態となる。]

 ところが、源実朝の、有名な

  箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ

という歌は、やはり、『万葉集』の中〔なか〕の

  逢坂をわがこえくれば近江の海白ゆふ花に浪たちわたる

という歌を真似〔まね〕たように思われる、(いや、真似ている。)

[「逢坂を」の和歌は三二三八番歌であるが、一般には、

  相坂をうち出でて見れば淡海〔あふみ〕の海〔み〕白木綿〔しらゆふ〕花〔はな〕に波立ちわたる

の句形で諸本に載す。

「相坂」は「あふさか(おうさか)」と読み、山城国と近江国の国境となっていた逢坂関。「淡海の海」は現在の琵琶湖。「白木綿花に」は真っ白にさらした木綿が花を咲かせたように、の意。]

 しかし、この歌は、この『万葉集』の歌が手本になっているとしても、「箱根の山を打〔うち〕いで見れば浪のよる小島あり供のものに此海〔このうみ〕の名は知るやと尋ねしかば伊豆の海となん申すと答へ侍〔はべ〕りしを聞〔きき〕て」という詞書〔ことばがき〕を見てもわかるように、実朝が、実景に対して感じたままを詠〔よ〕むのに、おのずから自分の頭〔あたま〕の中〔なか〕にあった歌が浮かび出て、この歌を作ったのであろうから、さきに引いた『泥坊』という言葉をつかうと、これは、極めて巧妙に泥坊をした『佳作』という事になるのである。もっとも、「逢坂を」の方〔ほう〕がいくらかすぐれでいるようには思われるけれど、この「箱根路を」は、「逢坂を」より、素朴なところがあり、純真な叙景のおもしろみもあるから、佳作にはちがいないのである。それから、やはり、実朝の

  泉川〔いづみがは〕ははその杜〔もり〕になく蟬のこゑのすめるは夏のふかきか

[やぶちゃん注:「泉川」現在の木津川。「ははその杜」木津川の上流、現在の京都府相楽郡精華町祝園にある森。歌枕。「ははそ」は元来はナラの類の一般名詞。結句「夏のふかきか」は書陵部本の表記で、他所載するものでは「ふかさか」。]

という歌は、『万葉集』(巻六)の「ひとつ松幾代か経ぬる吹く風のこゑのすめるは年ふかきかも」が本になっているばかりでなく、先輩の定家の

  時わかぬ波さへいろにいづみ河ははその杜に嵐ふくらし(『古今集』)

という歌の影響もうけている。が、定家の歌は妙に技巧を弄していて否味〔いやみ〕があるけれど、実朝の方は、平淡で、素直で、調子がよくて、気もちがよい。気もちがよい。

気もちがよいと云えば、つぎにうつす歌なども気もちがよい。

  夕さればしは風さむし波間〔なみま〕より見ゆる小島〔こじま〕に雪はふりつつ

 正岡子規の歌に

  鏡〔かがみ〕なすガラス張窓〔はりまど〕影〔かげ〕すきて上野の森に雪つもる見ゆ

というのがある。それから、やはり、実朝の作に、

  さは山のははそのもみぢ千々〔ちぢ〕の色にうつらふ秋は時雨〔しぐれ〕ふりけり

というような好〔この〕もしい歌もある。ところが、やはり、これにも、

  さは山の柞〔ははそ〕の色はうすけれど秋は深くもなりにけるかな

  白露はおきてかはれど百敷〔ももしき〕のうつろふ秋はものぞかなしき

などという似たような歌がある。(もっとも、これは、実朝が、『万葉集』ばかりでなく、『古今集』や『新古今集』で、歌の勉強をしていた、という事になる。)似たような歌、といえば、島木赤彦の

  わが庭に松葉牡丹の赤茎のうつろふころは時雨ふるなり

は、実朝の「さは山の」の歌が本〔もと〕であろう。

[やぶちゃん注:「ひとつ松」は一〇四二番歌で市原王〔いちはらのおほきみ〕の作。「ふかきかも」とは、この松が想像を絶した「長い年月を経ているからなのであろうよ」の意。

「(『古今集』)」は「先輩の定家の」でお分かりの通り、宇野の誤り。本歌は「新古今集」八三七番歌。「いづみ河」は掛詞で「色に出づ」を掛ける。

〇やぶちゃんの八三七番歌通釈

――四季にあって異なろうはずもない川波にさえ、秋の色に濃く染まっている、この泉川――その川の上の、あの柞の森に秋の強い嵐が吹いているのであろうよ――

「さは山の」という二首初句と宇野の本文それは「さほ山」の誤記か誤植かと思われる。以下、和歌を一般表記に正して示す。

  佐保山のははそのもみぢ千々の色にうつろふ秋は時雨ふりけり

「佐保山」は奈良市佐保山町及び法蓮町・奈保町一帯を含む佐保川北方に広がる丘陵の総称。「千々の色にうつろふ」は「いろいろな色に変ずる」の意。

  佐保山のははその色はうすけれど秋は深くもなりにけるかな

は「古今和歌集」二六七番歌で坂上是則の歌。

「白露は」の歌は「新古今和歌集」一七二二番歌で伊勢の歌。「亭子院降りゐ給はんとしける秋、よみける」の前書を持つ。「亭子院」は宇多法皇、彼の譲位は寛平九(八九七)年七月三日。「白露」は「しらつゆ」と読む。

〇やぶちゃんの一七二二番歌通釈

……秋の白露というものは葉末においては消え、おいては消える変わりやすきものにてございまする……なれど……永えにと思うてございましたすめろぎのお変わりになられるこの秋は……とてもあらゆることが……悲しく思われることにございます……]

 

 ところで、実朝が本歌のある歌を多く詠〔よ〕んでいるのは、実朝は、年少にして将軍になり、二十八歳の若さで死んだのであるから、いくら勉強をしても、先進の模倣をまぬがれる域までに達していなかったからであり、『本歌取』はその頃の歌壇の一〔ひと〕つの習慣であったからである。

 歌人としての実朝を育〔そだ〕てあげた、といわれる、藤原定家は、実朝に、「ふるきをねがふによりて、むかしの歌の言葉を、あらためよみかへるを、すなはち本歌とりと申す也、」と述べ、二三の歌を例にあげて、「かやうの歌を本歌にとりて、新〔あたら〕しき歌を詠めるが誠によろしく聞ゆる姿に侍〔はべ〕る也、是〔これ〕より多く取れば我が詠みたる歌とは見えず、もとのままに見ゆるなり、」と教えている。

 つまり、この定家の言葉は、他人の作品から借りてもよいけれど、あまり度〔ど〕が過ぎると、本〔もと〕の歌とあまり変りのない歌になる、という程の意味である。

 しかし、実朝は、はじめは、『古今集』、『新古今集』その他から、後には、『万葉集』から、「むかしの歌の言葉」を巧みに借りて、かずかず取すぐれた歌を作〔つく〕ったが、目立たないようには出来〔でき〕なかった。それは、実朝が、「むかしの歌の言葉」を借りる事などに、クヨクヨしなかったからでもある。もっとも、実朝は、つぎのような歌も詠んでいる。

  ものいはぬ四方〔よも〕のけだものすらだにもあはれなるかなや親の子をおもふ

 これは、もとより、絶唱である。

 ところで、いうまでもなく、短歌はみじかい詩形であるから、小説や戯曲などとちがって、模倣(あるいは、『泥坊』)は、見わけやすい、(あるいは、見やぶられやすい。)しかし、その小説や戯曲でも、具眼者には、その『種』を見やぶられる事もあるのである。それはずっと前に書いたが、話の筋道をはこぶ上〔うえ〕に必要があるので、重複するけれど、もう一度述べることに、する。(『重複』といえは、実朝の本歌取についても前に少し書いたが、……)

 大作家と称せられ、芥川が殊に崇拝していた、夏目漱石の代表作、(私は、小説のよしあしは別として、代表作と思っている、)『吾輩は猫である』は、アマデュウス・ホフマンの『牡猫ムルの人生観』から、(つまり、この二つの小説が、首尾結構がかなり似ているばかりでなく、迷亭、寒月、鼻子夫人、その他、と類似しているような人物が『牡猫ムルの人生観』にも登場する上に、猫に物語をさせるという構想も共通していかところを見ても、)ヒントを得ていると思われるし、それから、漱石が朝日新聞社にはいって初めて書いた、(はじめて筋らしい筋を仕組んだ長篇小説といわれる、)『虞美人草』が、ジョオジ・メレディスの『我意の人』(“The Egoist”)に、これも、構想から、それぞれの人物たちが似ているばかりでなく、全篇をつらぬいている浪曼的な物語の趣向も類似している、と云われている。

[やぶちゃん注:「アマデュウス・ホフマン」エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン(Ernst Theodor Amadeus Hoffmann 1776年~1822年)は後期ロマン派を代表するドイツ幻想文学の奇才。彼の代表作の一つである“Lebensansichten des Katers Murr”「牡猫ムルの人生観」は1820年の作。漱石の「吾輩は猫である」には主人公の猫が本作に触れてドイツにも同じ境遇の猫がいると知って感慨にふけるシーンがある(以上はウィキの「E.T.A.ホフマン」の記載を参照した)。

「ジョオジ・メレディス」ジョージ・メレディス(George Meredith 1828年~1909年)はイギリスの小説家。“The Egoist”「エゴイスト」は1879年に発表された彼の代表作で、参照したウィキの「ジョージ・メレディス」によれば、『絢爛たるヴィクトリア朝式の文体を駆使して、ウィットあふれる心理喜劇風の作品を多く残し』、『早くに坪内逍遙や夏目漱石が日本に紹介し、特にその文体が』漱石の「虞美人草」などの初期作品に影響を与えている、とある。]

 ところで、漱石の代表作の一つである『草枕』が、明治三十九年の九月号の「新小説」に出た時、誰いうとなくこの小説は、漱石の門人の中〔なか〕で一ばん愛された、と云う、鈴木三重吉の『千鳥』[註―おなじ年の五月の「ホトトギス」に出た]に刺戟されて、書かれた、という話がつたえられた。いうまでもなく、その頃、私は、熱心な文学青年であったから、「千鳥の話は馬喰〔ばくらふ〕の娘のお長で始まる、」という文句からはじまる、『千鳥』の書き出しの五六行は暗記し暗誦したものであった。(もっとも、これは、私ばかりでなく、三上於菟吉などもその一人〔ひとり〕であり、その他大ぜいである。)それで、『草枕』なども、その書き出しの「山路を登りながら、かう考へた、」などという文句にも感服した。もっとも、これは、虚子が本〔もと〕をひらいたホトトギス派の人たちに共通する同工異曲の書き出しである、例えば、「法隆寺の夢殿の南門の前に宿屋が三軒ほど固〔かた〕まつてゐる。」[虚子の『斑鳩物語』]「小春の日光は岡の畑一杯に射〔さ〕しかけてゐる。」[節の『芋掘り』]「始めて此浜へ来たのは春も山吹の花が垣根に散る夕であつた。」[寺田寅彦の『嵐』]その他であるから、みな、単純であり単調である。(それから、余計な話であるが、ある時、正宗白鳥が、苦笑しながら、「おなじ雑誌に、僕の『旧友』という小説が出ていたのが、『草枕』が出ていたので、ほとんど読まれなかった、」と云った、閑話休題。)

 さて、さきに上〔あ〕げた漱石の小説のほかに、やはり、漱石の小説の『道草』のはじめの方に、往来〔おうらい〕で、「黒い髭を生やして山高帽をかぶつた」男に逢うところがあり、ドストイェフスキイの『永遠の良人』のはじめの方にも、主人公が、やはり、道で、「帽子に喪章をつけた一人の紳士」に逢うところがあるのを、思い出した。これは何〔なん〕でもない事のようであるが、小説のはじめの方にエタイの知れない人物を登場さしておいて、作者がなかなかその人物の正体をあかさない事にすると、そこ妙味が出てくるのである。しかし、こういう方法は一〔ひと〕つまちがうと、ケレンになる。(ケレンとは、いうまでもなく、『外連』の事で、外連とは、演劇で、俗受けを専〔もっぱら〕にするために、定格にかかわらない演出法をする事で、場あたりを取らんがために演ずる一手法の事である。)ところで、この二つの小説をしいてくらべると、『永遠の良人』にはまったく「ケレン」の「ケ」も感じられないけれど、『道草』にはいくらかケレンくさいところもある。しかし、漱石は、『彼岸過迄』の緒言のなかで、「自分の書くものを毎日日課のやうにして読んでくれる読者の好意だのに、酬いなくては済まない、」というような事を書き、『草枕』のなかには、「普通の小説はみんな探偵が発明したものですよ。非人情な所がないから、些〔ちつ〕とも趣きがない、」と述べている。それで、漱石は初期の浪曼的な作品にも、『虞美人草』を境にして、人間の心理をあつかい出した、と一般に言われる、『三四郎』から後の小説にもうまい工合に、読者の好意に酬いるような書き方をしている。そうして、それはいかなる作家もおよばない『腕』である。それで極限すると、漱石は最高級の上品なケレン師という事にもなる。(そうして、形も味もまったく違うけれど、芥川の好評を博した作品にもやはり、高級のケレンのようなものがあった。そうして、それを仮りに『ケレン』といえば、そういうケレンのようなもののある作品を書かなくなってから、⦅あるいは、書けなくなってから、⦆芥川の作風が少〔すこ〕しずつ変ってきて、『話』らしい話のない小説というものを主張し出してから間〔ま〕もなく、芥川は、みずから死をえらんだ――これらの事については後に述べるつもりである。)

 さて、私は、鷗外とならべて文豪と称せられる漱石の、(よかれあしかれ、)代表的な長篇小説である、『吾輩は猫である』と『虞美人草』とに「種」がある、というような事を、軽率に、見やぶったような事を、述べたが、これは、私のような鈍感な者に言える事ではなく、前に述べたように、最もすぐれた具眼者によって見やぶられるのであるから、一般の人には殆んどわからないのである。さて、その最もすぐれた具眼者の一人は、何と、中野好夫である。私は、その事を、こんど、「浪漫古典」という雑誌の『夏目漱石研究特輯』[昭和九年九月発行]のなかの中野の『漱石と英文学』という文章によって知ったのである、(いや、教えられたのである。)

 私は、これもずっと前に述べたように、メレディスの『我意の人』(“The Egoist”)は、早稲田学校の英文学科に在学ちゅうに[やぶちゃん注:「ちゅう」はママ。]、英語学の教授法の名人といわれた、増田藤之助に教わった事があるが、その講義は一時間に二三行か四五行ぐらいしか進まなかった、が、それでも、あまりにむつかしいので、はじめの一ペイジほどで投げ出してしまった、つまり、私などには読めなかったのである。ところが、さすがに英文学の大学者である中野好夫は、やはり英文学の大学者と称せられた夏目漱石でさえ難解と云ったといい、「英本国に於てさへ厄介物視される」というメレディスの小説をスラスラと読みながし、まず、漱石が、メレディスの「影響を云々されるのは少しも不思議でない、」と喝破し、『虞美人草』が、メレディスの『エゴイスト』に「似てゐると云へば実に似てゐる、」と断定し、そのスタイルまで「如何に両者を聯想させるかを例証してみよう、」と述べて、その原文まで引いている、そうして、その原文とそれに似ている『虞美人草』の一部に対照させて、「読者はまづメレディスの原文を十度二十度誦して、一句一句のイメイヂを嚙みしめた上で、漱石の名文?に帰つてみることだ。もしメレディスが日本語で書けば、きつとこの文、少なくともこれに近いスタイルになつたに相違なからうと思ふのである、」とまで云いはなっている。

 昭和九年といえば、中野は、すでに新進気鋭の英文学者などという事は通り過ぎ、今日〔こんにち〕のような堂堂たる文学評論家になる下地〔したじ〕が十分に出来ていた上〔うえ〕に、今日〔こんにち〕のような円転滑脱なところがなかった代りに、ズバズバと物事を論じられた時分であろうから、この文章(『漱石と英文学』)は、今よんでも小気味がよく、私など教えられるところが甚だ多かった。

 さて、中野は、『草枕』についても、その第九章に出てくる画工が女に読んできかせる書物がメレディスの傑作の『ビイチャムの生涯』の一節である、と述べて、その一節を引用して、翻訳である、と云い、更に、「さういへば小野が藤尾にクレオパトラの最後の件〔くだ〕りを読ませてゐる趣向もたしかにメレディス好みであるといつてよい、」と断じている。

[やぶちゃん注:「ビイチャムの生涯」“Beauchamp's Career”は一八七五年の作品。因みに「草枕」は明治三十九(一九〇六)年の発表。]

 ところで、この漱石の、『虞美人草』も、『草枕』も、共に、メレディスから暗示を得、メレディスの影響らしいものを受けているなどという事は、(私などはうすうす知っていただけであるから、)中野好夫のような、(往年の中野好夫のような、)英文学に造詣がふかい上に、慧眼の士でなければ、わからないのである。

[やぶちゃん注:この謂いは日本語としては厭味な感じを与える。宇野は漱石がメレディスか暗示や影響「らしいものを受けている」ということを「うすうす知っていた」のであり、今のような大家ではなく、若き日の生意気な中野好夫のような、それでいて英文学に造詣が深く、慧眼の士に属する真の知識人(「うすうす知っていた」以上、そこには宇野が当然含まれずにはおかない)でなければ、そうした漱石からのメレディスからの影響関係を見ぬくことは出来ないのだ、と手前味噌を言っているのと何ら変わりがないからである。勿論、宇野はそのような意図で語っているのではないのだが、ここは宇野のくだくだしい屋上屋の口説き(私は例えば宇野の句読点の打ち方――特に読点の打ち方には、一種のパラノイア的印象を受けることがある)が、時に慇懃無礼な厭な感じを与えるケースである。]

 ところが、漱石のような人物でさえ、五代目菊五郎の謂う所の『泥坊』を、中野好夫、その他に見やぶられたのに、芥川は、『泥坊』をしても、「素材を取って……」と云われながら、「あくまでその時代の雰囲気をやぶらず、その範囲の中に、文明批評をし、諧謔や皮肉を弄し、……」などと称せられて、泥坊よばわりを殆んどされた事がない。

 これは、二十五歳の年に、『鼻』をみとめられ、(殊に漱石の推奨によって、)一躍その名声があがった事と、そのポオズの見事さに目を見はらせた事もその一つであるが、それ以上に、それらの題材が芥川の身についていたからである、一と口にいうと、初期の作について云えば、諧謔も、皮肉も、キリスタン好みも、深浅やよしあしは別として、芥川の持っていたものであるからだ。(そういう点では、漱石とホフマンやメレディスなどとの関係は本質的なものでなく、潤一郎が、王朝や徳川時代や支那の話を題材にしたものでも、それらが巧みに述べられてあっても、作者の『頭〔あたま〕』で作〔つく〕られている。そうして、)芥川のそれらの小説は、ほめていえば、芥川なりに、『心』で書いているからである。

 しかし、芥川のそれらの物語がたいてい陰気であるのが、それが芥川の心(あるいは、心の隅〔すみ〕)にあった事に私が気がついたのは、ずっと後〔のち〕であった。

 それで、出世作の『鼻』でも、『地獄変』、『奉教人の死』、『秋山図』、(いかにこれとそっくりの小説が支那にあるにしても、)『六の宮の姫君』、その他は、(思い出すままに上〔あ〕げても、)かりに、また使うが、五代日菊五郎のいう『泥坊』をしたものであるとしても、みな、渾然とした、水際〔みずぎわ〕だった作品である、まことに水際だった作品である。

 

 私が、はじめて、芥川はずいぶん気もちのわるい小説を書くなあ、と気がついた小説は、『往生絵巻』[大正十年四月]をよんだ時である。

 

 芥川は、『糸女覚え書』[大正十三年一月]でも、傑作といわれている、『地獄変』[大正七年五月]でも、両方とも、主人公を自殺させた上に、屋敷に附〔つ〕け火〔び〕をさせている。

 

 小島政二郎であったか、千葉亀雄であったか、(忘れたけれど、)芥川ぐらい、人の死ぬとこや人の死ぬ場面を数多く書いた作家は稀である、というような事を書いていたが、まったくその通〔とお〕りである。それで、これも、思いうかべるままに、その例をあげると、さきに上〔あ〕げた『地獄変』と『糸女覚え書』とを別として、『羅生門』、『奉教人の死』、『藪の中』、『黒衣聖母』、『開化の殺人』、『枯野抄』、『六の宮の姫君』、『手巾』、『一塊の土』、『将軍』、『温泉だより』、『蜃気楼』、『彼』、『玄鶴山房』、その他――これだけでも何と十六篇もある。

[やぶちゃん注:千葉亀雄(明治十一(一八七八)年=昭和十(一九三五)年)は評論家・ジャーナリスト。「国民新聞」「読売新聞」「時事新報」「東京日日新聞」などの社会部長や学芸部長を務め、文芸評論も書いた。「新感覚派」の命名者として知られる(以上はウィキの「千葉亀雄」に依った)。]

『死』を題材にした作品は沢山〔たくさん〕あり、『死』をとりあつかった作家は数多〔あまた〕ある。しかし、人の死を書くのに、人の死ぬ場面を現すのに、芥川ほど、向きになり、真剣になり、自分自身が『死』に憑かれたようになり、それを書くのに、いかにも楽しそうに見えたり、あるいは、舌なめずりをしているように思われたり、あるいは、ほくそ笑〔え〕んだりしているのではないか、と想像されたりする作家は、真に稀有というべきであろう。

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