テツテ的に支持する大河ドラマ「平清盛」についての見解
1
僕にとって物心ついた七歳の記憶の、伝説的「赤穂浪士」(昭和三十九(一九六四)年。因みに、あの忘れ難い主題曲は作曲が芥川也寸志であった)以降のNHK大河ドラマの中で、ともかくも毎回見逃したくないと思っている、唯一の大河ドラマである。
1・1
どこぞの芸術性を理解しない愚劣な役人が「映像が汚い」と言ったが、現実のリアルを追求する観点から言えば、視聴者の現実逃避を無視して、もっと暗く、もっと汚くて、よい。平安末期は、もっと饐えたウエットさと、死臭に満ちていた(いや、今の我々の世界こそ見えない「穢れ」満ちているではないか)。
1・2
もっと汚く、もっと暗くあれ! そうして、正しく現世を見据えよ!
1・3
視聴率や見た目の綺麗さなどは糞喰らえ! 視聴率など問題にするに及ばない。いいものは、それでいい!
1・4
天皇家を王家と呼び、王家が公家政権の象徴的権力層を示すことは、歴史学的考証に於いて正当であり、それが不敬に当たるなんどという謗りは、何らの正当性を持たない。
1・5
平清盛という歴史上の人物が如何なる人物であるかが歴史学的にも謎であること、一般大衆には後の源氏の武家政権との相対的印象によって、清盛が偽悪的傾向を不可避的に内在させていることが視聴率にとってのマイナス要因ではあろう。
1・5・1
しかし、そうした謎や、公家政権を実質的に崩壊させた、最初の新興武士階級のチャンピオンとして清盛の魅力は揺るぎなく在る。
1・5・2
更に白河院落胤説の設定は、王家・多層的公家・侍・僧侶・庶民という階級職能構造を、痙攣的に破壊し(神鏡を射るシーンは感動的であった)、歴史的変革という強靭な力学を生み出す点で面白い。
2
松山ケンイチは俳優として十全に魅力的である。まず以って若い俳優にありがちな、上滑りな軽さや、若さにかまけた小手先の演技の誤魔化しは見られない。
2・1
少し線の細さを感じさせる表情の揺らぎを持つが、総体に於いて極めて誠実で、直情径行の清盛を、美事に素直に演じている。
2・1・1
かつての「新・平家物語」の仲代達矢のごわごわがしがしした演技よりも、ずっと自然で、見る者の心にすんなりと入ってくる。
2・1・2
いや、寧ろ、向後、平家が台頭して行く中での、独裁的清盛への人格的変容や死に至る絶対の孤独を、どのように松山ケンイチがどう演じてゆくかが、問題でもあり、惧れでもあり、期待でもある。
2・2
彼の妻の小雪を出すなんどという、下劣な視聴率打開策などを考えるのは(それが事実かどうかは知らないが)、ドラマ制作者の「敗北」以外の何ものでもない(但し、僕は小雪が好きであり、個人的には松山に嫉妬している)。
3
愛するピアニスト舘野泉のピアノ・ソロを始めとして、初音ミクの「遊びをせんとや」も、吉松編曲によるエマーソン・レイク&パーマー「タルカス」使用も、どれもが優れて印象的で斬新である。
3・1
「遊びをせんとや」は妻を始めとする古典を専門とする者には評判が悪いが、僕はつい口ずさんでしまう。
4
僕は「平清盛」をテツテ的に支持し、今後も大いに期待するものである。