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2012/05/14

耳嚢 巻之四 蝦蟇の怪の事 附怪をなす蝦蟇は別種成事

 蝦蟇の怪の事 怪をなす蝦蟇は別種成事

 

 營中にて同寮の語りけるは、狐狸の怪は昔より今に至りて聞も見るも多し。ひきも怪をなすもの也。厩に住めば其馬心気衰へ終に枯骨となり、人間も床下に蟇住て其家の人うつうつと衰へ煩ふ事ありし。ある古き家に住る人、何となく煩ひて氣血衰へしに、或日雀など椽(えん)ばなに來りしに、何の事もなく椽下へ飛入て行衞不知。或は猫鼬の類椽際に居しを、椽下へわれと引入るゝ樣に入て行衞知れず。かゝる事度々ありし故、あるじ不思議に思ひ、床を離し椽下へ人を入搜しけるに、大きなる蟇窪める所に住み居たりしが、毛髮枯骨の類夥敷傍に有りし故、全ひきの仕業也と、彼ものを打殺し捨て床下を掃除なしければ、彼病人も日にまし癒へけると也。餘壯年の時、西久保の牧野方へまかりて、黄昏の時庭面を詠め居しに、春の事なるが、通例より大き成毛虫石の上を這ひ居たりしに、椽の下より蟇出て、右毛蟲よりは三尺餘も隔てし場所へ這來り、暫くありて口を明くと見へしが、三尺程先の毛虫を吸ひ引と見へて、右毛虫は蟇の口の内へ入りける。されば年經し蟇の、人氣を吸んも空言とは思はれず。又柳生氏の語りしは、上野寺院の庭にて蟇、鼬をとりし事あり。是も氣を吹かけしに鼬倒れて死せしを、土をかけて其上に蟇の登り居しゆへ、翌日右土を掘りて見しに鼬の形はとけ失しと右寺院の語りし由、咄しけるとなり。

[やぶちゃん注:以下、底本では全体が二字下げ。]

但、蟇の足手の指、前へ向たるは通例也。女の禮をなす如く指先をうしろへ向ける蟇は、必怪をなすと老人語りし由、坂部能州ものがたりなり。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:前項との連関より、寧ろ、巻頭三つの虫類・鳥類関連の奇法のエピソードと蟇の持つ超常能力の連関が認められ、注でも示した通り、その中の「耳中へ蚿入りし奇法の事」の話者である柳生主膳正が再登場して強い人的連関もある。

・「蝦蟇」は「ひき」と読む。一般にはこの語は大きな蛙を全般に指す語であるが、その実態はやはり、両生綱無尾目ナミガエル亜目ヒキガエル科ヒキガエル属ニホンヒキガエルBufo japonicus と考えてよいと思われる。ヒキガエルは洋の東西を問わず、怪をなすものとして認識されているが(キリスト教ではしばしば悪魔や魔女の化身として現れる)、これは多分にヒキガエル科Bufonidaeの多くが持つ有毒物質が誇張拡大したものと考えてよい(本話柄もその典型例と考えられる)。知られるように、彼等は後頭部にある耳腺(ここから分泌する際には激しい噴出を示す場合があり、これが例えば本話の「三尺程先の」対象を「吸ひ引」くと言ったような口から怪しい「白い」気を吐く妖蟇のイメージと結びついたと私は推測している)及び背面部に散在する疣から牛乳様の粘液を分泌するが、これは強心ステロイドであるブフォトキシンなどの複数の成分や発痛作用を持つセロトニン様の神経伝達物質等を含み(漢方では本成分の強心作用があるため、漢方では耳腺から採取したこれを乾燥したものを「蟾酥(せんそ)」と呼んで生薬とする)、ブフォトキシンの主成分であるアミン系のブフォニンは粘膜から吸収されて神経系に作用し幻覚症状を起こし(これも蝦蟇の伝説の有力な原因であろう)、ステロイド系のブフォタリンは強い心機能亢進を起こす。誤って人が口経摂取した場合は口腔内の激痛・嘔吐・下痢・腹痛・頻拍に襲われ、犬などの小動物等では心臓麻痺を起して死亡する。眼に入った場合は、処置が遅れると失明の危険性もある。こうした複数の要素が「マガマガ」しい「ガマ」の妖異を生み出す元となったように思われるのである。因みに、筑波のガマの油売りで知られる「四六のガマ」は、前足が四本指で後足が六本指のニホンヒキガエルで、ここにあるような超常能力を持ったものとしてよく引き合いに出されるが、これは奇形種ではない。ニホンヒキガエルは前足後足ともに普通に五本指であるが、前足の第一指(親指)が痕跡的な骨だけで見た目が四本に見え、後足では、逆に第一指の近くに内部に骨を持った瘤(実際に番外指と呼ばれる)が六本指に見えることに由来する。

・「同寮」底本「寮」の右に『(僚)』と傍注。

・「われと」「自と」で、自ずと、の意。

・「西久保」麻布の台地と愛宕山に挟まれた低地の呼称。現在の港区虎ノ門一帯。現在でも港区の一部の地名に残る。

・「牧野」老中を務めた寛政の遺老の一人、牧野備前守忠精(ただきよ 宝暦十(一七六〇)年~天保二(一八三一)年)。越後長岡藩第九代藩主。但し、岩波版の長谷川氏注に、『ただし備前守中屋敷は愛宕山東の愛宕下』で微妙に地域がずれることを指摘する。

・「柳生氏」先行する「耳中へ蚿入りし奇法の事」の情報提供者である旗本柳生久通。

・「女の禮をなす如く指先をうしろへ向ける」古式では座位で手をついて礼をする際、女性は指先を内側へ向けて指の背をついた。

・「坂部能州」坂部広高。底本鈴木氏注に天明三(一七八三)年に四十二歳で『養父広保の遺跡を継ぐ。八年御目付』、寛政四(一七九二)年に『大坂町奉行、従五位下能登守』となる。寛政七(一七九五)年に南町奉行となり、同八年には西丸御留守居とある。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 蟇の怪の事 附 怪をなす蟇は別種である事

 

 城中で同僚から聞いた話。

 「狐狸の怪については昔より今に至るまで、実際に見聞きする話柄も多い。しかし、蟇(ひき)も怪をなすのである。蟇が厩舎に巣くうと……そこの馬、徐々に心気馬力が衰えて参って、遂には骨と皮となり……人の場合も屋敷の床下に蟇が巣くうと……そこに住まう人も、これ……徐々に鬱々と致いて病みつき、重く患ふこと、これ、あり。

 例えば、こんな話がある。

 さる古き屋敷に住める家人が、これといった理由もなく煩いついて、見るからに気色血色ともに激しく衰えていったと。ある日のこと、屋の主(あるじ)が、雀なんどの縁側の近くに飛び来たっているのを、何とのう見ておった……と……何やらん、雀が縁の下へ引き込まれるように飛び入って、そのまま出て来ずになった。そこで、暫く、よう見ておったところが……猫や鼬の類いも縁近くに居ったと思いしが……縁の下へと……ふらふらと自然と、何かに引かれるように入いっていっては……そのまま行方知れずと、相いなる……

 かくなることが余りに続いたが故、主(あるじ)は不思議に思うて、人を呼び、床を剥がし、縁の下へ人を入れて捜させた……ところが……床下の底の、ぐっと窪んだ地面の真ん中に……これ、大きなる蟇が……蹲っておった……そうしてその、蟇の周りには……何やらん……獣の毛や髪の毛やら……ばらばらになった、何ぞの骨やら皮やらの類いが……これ、ほんに夥しくあったが故……今までの不思議は皆、この蟇が仕業であったと、即座に蟇を叩き殺して捨て、床下を清掃致いた。すると、かの病人も日に日に癒えたということである。」

 さて、私も、壮年の時分、西久保にある牧野備前守忠精殿の屋敷を訪ねた折りのことである。黄昏時で、丁度、御屋敷の前庭を眺めて御座った――そうさ、春の日のことで御座る――ふと見ると、普通よりも大分大きなる毛虫が一匹、庭石の上を這って御座ったが、そこへ縁の下から一匹の蟇が這い出て御座ったのを見た……蟇は……そう、毛虫よりは三尺ほども離れた場所に這ってきては……そこに、凝っと……毛虫の方を向いたままに、止(とど)まって御座った……そうして……暫くすると……蟇の奴は……ぱっくり口を開いた……かと見えたが……ふと見れば……三尺ほども先の、かの毛虫を……見に見えぬ糸でもあるかの如く……吸い引くと見えて……ゆっくり……ゆっくり……かの毛虫は……遂には――すっと――蟇の口の中へと、入ってしもうた。……

 かくなる私の体験からしても――年経た蟇は人の生気を吸う――というも、強ち、空言とは思われない。

 また、先の柳生主膳正(かみ)久通殿の語られたことには――

――上野のさる寺院の庭にて、蟇が鼬を捕えたことがあった。その際も、蟇は鼬に触れず、専ら口から、その妖なる気を吹きかけておったが、突如、離れたところにおった鼬は昏倒、即死の体(てい)にて、さらに見ておると蟇はその鼬の遺骸に土をかけて土饅頭の如くにし、その上にやおら這い上って凝っとしておったと。翌日、見ると、既に蟇はおらず、土饅頭を掘ってみたところが、鼬の遺骸はすっかり溶け失せておったと、かの寺の者が語って御座った、と――。

[根岸附記:「但し、『蟇の後ろ足の指が前を向いているものは、普通の蟇であって妖気を操るような蟇ではない。女が正しく三つ指ついて礼をするように、後ろ足の指が皆、後ろを向いておるものは、これ、必ず怪をなす。』と古老が語った。」という話を、坂部能州広高殿が語って御座った。]

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