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2012/05/15

耳嚢 巻之四 陰惡も又天誅不遁事

 陰惡も又天誅不遁事

 或駕舁辻駕に出歸り候砌、右駕の内に二三十金の金子財布にいれ有しを見出し二人にてわけとらんと言ひしが、乗りし人粗(ほぼ)所もしれたれば返し可申と相談して、壹人の棒組(ばうぐみ)我よく彼人の所をしれりとて、右金子を持て行きしが其夕暮棒組のもとへ來りて金子壹分とかあたへ、先方へ歸しければ悦び候て金貮分呉候間、半分分ケにせし由を言し故、棒組實事と思ひて不足なる禮なりと思ひながら其通りに過(すぎせ)しが、程なく彼者酒見世(さかみせ)出して、暫くは賑やかな暮しゝけるが天罰遁れざるや、棒組を欺きかへしゝ由にて不殘右金子を掠(かすめ)し程なれば、常々いかなる惡事もありけん、牛込加賀屋鋪原(はら)なりける頃、右道端に今は乞食をなして居たると、彼棒組のかたりしに、既に其乞食を見し人語りはべる。

□やぶちゃん注
○前項連関:陰徳陽報と真逆の陰悪天誅で直連関。話柄も駕籠搔きの登場で類似する。
・「二三十金」三十両ならば、現在に換算すると最低でも数百万円、駕籠搔きらの労賃基準なら恐らくは一千万円強に当たる。
・「粗(ほぼ)」は底本の編者ルビ。
・「二人にてわけとらんと言ひしが、乗りし人粗所もしれたれば返し可申と相談して、壹人の棒組我よく彼人の所をしれりとて、右金子を持て行きしが」訳では特定しなかったが、私はこの二人の台詞がどちらのものであるかが興味深い。悪事を働く動機と台詞の順列からは、

甲「二人にてわけとらん」
と言ひしが、
乙「乗りし人所もしれたれば返し可申」
と相談して、
甲「我よく彼人の所をしれり」
とて、右金子を持て行きし

となるが、これは如何にもつまらぬ。寧ろ、

甲「二人にてわけとらん」
と言ひしが、
乙「乗りし人所もしれたれば返し可申」
と相談して、
乙「我よく彼人の所をしれり」
とて、右金子を持て行きし

の方が話柄として生きる。則ち、この悪者は実は「山分けしよう」と言った甲ではなく、「返した方がいい」と如何にも分別ある諭しをする相方乙こそが悪者であったとするシークエンスの方が面白く、現実味もあるのである。
・「金貮分」一分金は一両の1/4だから、総額でも三万円から高く見積もっても八万円程度で、確かに拾った額からすれば不当に少ない。
・「牛込加賀屋鋪原なりける頃」これは、筆録時から更に本話柄の時間に立ち戻った状況解説で、底本の鈴木氏注と岩波版の長谷川氏の解説などを総合すると、現在の新宿区市谷(いちがや)加賀町で、現在の一・二丁目付近に江戸時代初期の加賀藩主前田光高夫人清泰院(水戸頼房息女、後に家光養女)の屋敷があったことからかく呼ばれた。夫人は明暦二(一六五六)年に死去、享保八(一七二三)年の火災で焼け落ちた以後は空き地となって「加賀原」とも呼ばれた。後には武家屋敷となったとあるが、さすれば本件は「加賀原」であった時代まで遡る。「卷之四」の下限は寛政八(一七九六)年夏までであるから、享保八年の間には七十三年の懸隔がある。残念ながら諸注は「後には武家屋敷となった」時期を記さない。しかし、本話が有意に過去に遡る事実であること、尚且つ、しかし「右道端に今は乞食をなして居たると、彼棒組のかたりしに、既に其乞食を見し人語りはべる」という末尾から、その乞食となった駕籠搔きを実見した人物が現に今も(若しくは最近まで)現存していた事実を示す。私が言いたいのは、この話はある(恐らくは数十年に及ぶ)有意な過去の事実譚として語られながら、その伝承者は生存しており、現在時に有機的に結びついた話柄として現在的都市伝説として機能しているという事実である。この最後のさりげない附言は、有意に古い噂話(本来、古い噂話はその古さにおいて致命的であるはずなのに)という属性を持ちながら、頗るリアルな印象を与えるように機能しているのである。

■やぶちゃん現代語訳

 人知れず悪事を働くもまた天誅を逃れられぬという事

 ある駕籠搔き二人、辻駕籠の客を送り終えて早仕舞いにして帰ろうとした。その時、駕籠搔きの一人がふと覗いた駕籠の中に、何と二、三十両もの金子を財布に入れたのを見つけた。
「……二人して……わ、わ、分けちまおうぜ……」
と言ったが、相方は、
「……いや、乗ったお人も屋敷の所在も、だいたいの見当は知れておる。……返した方がよかろう……」
と話合(お)うた。そこで返すことになったが、一人が、
「……幸い、儂は客人を降ろした辺りをよく知っとるから、儂が返してくるわ……」
と、かの金子を持って出かけて行ったが、夕暮れになって、相方のところへやって来て、金一分とやらを与え、
「先方へ返したところが、いや、ひどく悦んで御座っての、謝礼と言うて金二分くれたで、半分けにしょうな」
と言うたという。
 片割れは、『……それにしても、あの大枚に……如何にもしょぼい礼じゃ、のぅ……』と思いつつも、相方の言うことを真に受けて、そのまま打ち過ぎて御座った。
……が……
 程なくして、金を届けに行ったと言ったその相方は、急に駕籠搔き家業から足を洗うと、ちょとした呑屋なんどを開いて、如何にも派手に暮らして御座ったそうな。
……が……
……天罰は、これ、遁れられぬものなので御座ろう……相方をも欺き、返したと偽って大枚の金子を残らず掠め取って平気の平左という鉄面皮(おたんちん)なればこそ……常日頃より、どんなにか極悪の悪事をも働いて、平然と白を切っておったので御座ろう……
……かの男……
――この話、ほれ、あの牛込加賀屋敷辺りが、未だ空き地で御座った頃のことで御座る――
「奴(きゃつ)め、あの加賀原(かがっぱら)の道端で――乞食――しとるじゃ。」
と騙された元相方が語った、と――その頃、その話を彼から聞き、また実際に、その乞食となった男を見たという人が、私に語って御座った話である。

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