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2012/05/04

宇野浩二 芥川龍之介 二十三~(6)

「河童」などは時間さへあれば、まだ何十枚でも書けるつもり。唯婦人公論の「蜃気楼」だけは多少の自信有之候。但しこれも片々たるものにてどうにも致しかた無之候。何かペンを動かし居り候へども、いづれも楠正成が湊川にて戦ひをるやうなものに有之、疲労に疲労を重ねをり候。[中略]一休禅師は朦々三十年と申し候へども、小生などは碌々三十年、一爪痕も残せるや否や覚束なく、みづから「くたばつてしまへ」と申すこと度たびに有之候。御憐憫下され度候。この頃又半透明なる歯車あまた右の目の視野に廻転する事あり、或〔あるひ〕は尊台の病院[註―青山脳病院]の中に半生を了ることと相成るべき乎……

[やぶちゃん注:「楠正成が湊川にて戦ひをるやうなもの」勝ち目のない戦さと知りながら、死を覚悟で出陣したことを比喩する。

「一休禅師は朦々三十年と申し候……」は一休話の一つとして伝わる、一説に一休辞世の句とされるものの、最初の句を指して言っているものと思われる。

  朦々然而三十年

  淡々然而三十年

  朦々淡々六十年

  末後脱糞捧梵天[以下略]

   朦々然として三十年

   淡々然として三十年

   朦々淡々 六十年

   末期の脱糞 梵天に捧ぐ[以下略]

「朦々」とはこの場合、心がぼんやりとすることで、迷いに迷って、の意。「淡々」は悟りの境地を指している。

「碌々三十年」一休はそれでも三十年の迷いを経て悟達し得ましたが、小生は、凡俗そのままに全く以て役立たず、たいした事も出来ないままに、その三十年が過ぎてしまいました、と言っているのである。]

 これは、芥川が、昭和二年の三月二十八日に、斎藤茂吉に宛てて、書いた手紙の中の一節である。

 さて、『歯車』は、㈠「レエン・コオト」、㈡「復讐」、㈢「夜」、㈣「まだ?」、㈤「赤光」、㈥「飛行機」の六章から成り立っている。

『歯車』(一種の連作)を書こうと思い立った時の芥川は、文字どおり、必死の覚悟をしたかもしれない。少なくとも、『歯車』を書く時、芥川は、(たとい「ペンを執る手も震へ出し」ていた、としても、)奮〔ふる〕い起〔た〕ったにちがいない。それは、『河童』が不評であったことも応〔こた〕えたであろう、しかしそれ以上に、これが「最後」というような気もちもあったのではないか。

 三月、――芥川は、二十三日に、まず、「レエン・コオト」を書いた、(「レエン・コオト」を読んだ人は、作者の精神が少し異常ではないか、というような気がするであろう、さて、)「レエン・コオト」を書いて、へとへとになり、暫く休んで、二十七日から、何〔なに〕かに急〔せ〕き立てられてでもいるように、二十七日に、「復讐」を、二十八日に、「夜」を、二十九日に、「まだ?」を、三十日に、「赤光」を、書いた、そうして、それから一週間ほど後に、(四月七日に、)最後の「飛行機」を、書き上げた。

 ここで、ついでに述べると、『歯車』の㈠から㈤までの主〔おも〕な舞台をホテルにしている事なども、芥川が、このような健康状態にあっても、いかに「用意周到」な人であったかが、わかるのである。「用意周到」といえば、芥川は、死後の事まで、「用意周到」な人であったのだ。この事については、例によって、後に、稍〔やや〕くわしく述べるつもりである。

 僕はもう夜〔よる〕になつた日本橋通りを歩きながら、屠竜[註―竜を屠り殺すこと」という意味である、ついでに書くと『屠竜の技』という句がある。これは荘子の『説剣篇』中の「主泙漫学屠竜於支離益殫千金之家三年技成、而無所用其巧」から出た句で、「芸に長じているけれど、時世に用をなさない」という譬]と云ふ言葉を考へつづけた。それは又僕の持つてゐる硯の銘にも違ひなかつた。この硯を僕に贈つたのは或若い事業家だつた。彼はいろいろの事業に失敗した揚句〔あげく〕、とうとう去年の暮に破産してしまつた。僕は高い空を見上げ、無数の星の光の中にどのくらゐこの地球の小〔ちい〕さいかと云ふことを、――従つてどのくらゐ僕自身の小さいかと云ふことを考へようとした。しかし晝間は晴れてゐた空もいつかもうすつかり曇つてゐた。僕は突然何ものかの僕に敵意を持つてゐるのを感じ、電車線路の向うにある或カツフエへ避難することにした。

[やぶちゃん注:「屠竜」の割注を補足する。「とりょうのわざ」「とりゅうのわざ」と読むが、これは「荘子」の「雑篇」「列禦寇篇 第三十二」にある故事に基づくもので、宇野の引用を書き下すと、「朱泙漫〔しゅひょうまん〕、竜を屠〔ほふ〕るを支離益〔しりえき〕に学び、千金の家を殫〔つ〕くし、三年にして技成るも、其の巧を用うる所無し。」と読む。本来は、世俗に於いてはそうした多大の犠牲を払いながら徒労に終わる、全く無駄な人為というものに満ち満ちていることを喩える語である。ところが、本邦では、第二次世界大戦中の大日本帝国陸軍戦闘機である二式複座戦闘機キ四五改の愛称として知られるように、「屠龍の技」を、「龍を殺すという想定外の事態に備えたような研鑽や努力」「その仕儀を讃えること」という全く逆の意味にも使われる傾向がある。道家の本義に帰って考えれば、これは『無用の用』とも言えなくもないと私は思うので、これもあり、であろうとは思う。但し、芥川龍之介がここで「考へ」ているのは、「荘子」の意味する完全なる徒労であり、更に言えば、芥川龍之介の「龍」への関係妄想としての、「屠龍」であろう。なお、芥川は「歯車」の「三」(引用の前の部分)では、「屠龍」の故事を「韓非子」と誤って記している。更に、役に立たない徒労という謂いは芥川龍之介が好んだもので、そこでも回想しているように、若き日のペン・ネームに類語の「壽陵余子」を用いた「骨董羹―壽陵余子の假名のもとに筆を執れる戲文」がある。これには私藪野直史の暴虎馮河の現代語訳『芥川龍之介「骨董羹―寿陵余子の仮名のもとに筆を執れる戯文―」に基づくやぶちゃんという仮名のもとに勝手自在に現代語に翻案した「骨董羹(中華風ごった煮)―寿陵余子という仮名のもと筆を執った戯れごと―」という無謀不遜な試み』がある。興味のあられる方は御笑覧あれ。]

 これは、『歯車』の中の㈢「夜」のなかの一節である。(『歯車』は、原稿には、はじめ、『夜』とか、⦅『東京の夜』とか、⦆いう題をつけてあったが、佐藤春夫が、その原稿を見せられた時、『夜』というのは個性がなさ過ぎ、『東京の夜』というのは気取りすぎる、と云って、『歯車』という題をすすめた、と書いている。)

 さて、先きの話のつづきで、『僕』という主人公が、「或カツフエへ避難」してからの事を、つぎのように書いてある。

……僕は一杯のココアを啜り、ふだんのやうに巻煙草をふかし出した。巻煙草の煙は薔薇色の壁へかすかに青い煙を立ちのぼらせて行つた。この優しい色の調和もやはり僕には愉快だつた。けれども僕は暫らくの後、僕の左の壁にかけたナポレオンの肖像画を見つけ、そろそろ又不安を感じ出した。ナポレオンはまだ学生だつた時、彼の地理のノオト・ブツクの最後に「セント・ヘレナ、小さい島」、と記してゐた。それは或〔あるひ〕は僕等の言ふやうに偶然だつたかも知れなかつた。しかしナポレオン自身にさへ恐怖を呼び起〔おこ〕したのは確かだつた。……

 僕はナポレオンを見つめたまま、僕自身の作品を考へ出した。するとまづ記憶に浮かんだのは「侏儒の言葉」の中のアフオリズムだつた。(殊に「人生は地獄よりも地獄的である」と云ふ言葉だつた。)それから「地獄変」の主人公、――良秀と云ふ画師の運命だつた。それから……

[やぶちゃん注:ナポレオンの話はネット上で検索をかけると、ナポレオンが学生時代、授業で地図を開いていたところ、セント・ヘレナ島という島がたまたま目に留まり、何気なくノートに「セント・ヘレナ」と落書きしたとあり、実話らしいと記されている。確かな伝記か何かの一級資料が出典なのであろうか。識者の御教授を乞う。]

 ここに引いた文章をあらためて読みかえして、『屠竜』という硯をくれた若い事業家が、いろいろの事業に失敗した挙句〔あげく〕の果てに、とうとう破産してしまった、とか、昼間は晴れていた空もすっかり曇り、「突然何ものかの僕に敵意を持つてゐる」のを感じて、「避難」するために、電車通りの向うにある、或カッフェに駈け込む、とか、そのカフェの壁にかかっているナポレオンの肖像画を見つけて、ナポレオンが、学生時代に、地理のノオト・ブックの最後に「セント・ヘレナ、小さい島」と書いた、という話を思い出して、「そろそろ又不安を感じ出した、」とか、そのナポレオンの肖像画を見つめながら、自分の作品の、『侏儒の言葉』の中の「人生は地獄よりも地獄的である」というアフォリズムや、『地獄変』の主人公の絵師の良秀の運命を考え出した、とか、――それからそれと、よくも、このような不吉な事や気味のわるい話を、段取りよく、巧みに、書いたものだ、と、私は、今更ながら、感心した。

 しかし、『地獄変』は、ずっと前に述べたように、上手〔じょうず〕な絵巻物を見るような感じがするだけに止〔とど〕まり、「人生は地獄よりも地獄的である」というアフォリズムはただ言葉だけで、空虚な感じがする。しかし、『歯車』は、それらのものとは違う。『歯車』にも随所に作り事のようなところはあるけれど、『歯車』には、ところどころに、切羽〔せっぱ〕つまった気もちが、出ていて、読む者の心に迫ってくるものがある。

 僕は丸善の二階の書棚にストリントベルグの「伝説」を見つけ、二三頁〔ペイジ〕づつ目を通した。それは僕の経験と大差のないことを書いたものだつた。のみならず黄いろい表紙をしてゐた。僕は「伝説」を書棚へ戻し、今度は殆ど手当り次第に厚い本を一冊引きずり出した。しかしこの本も挿し画の一枚に僕等人間と変りのない、目鼻のある歯車ばかり並べてゐた。(それは或独逸人の集めた精神病者の画集だつた。)僕はいつか憂鬱の中に反抗的精神の起るのを感じ、やぶれかぶれになつた賭博狂のやうにいろいろの本を開いて行つた。が、なぜかどの本も必ず文章か挿し画かの中に多少の針を隠してゐた。どの本も?――僕は何度も読み返した「マダム・ボヴアリイ」を手にとつた時さへ、畢竟(ひつきやう)僕自身も中産階級のムツシウ・ボヴアリイに外ならないのを感じた。……

 日の暮に近い丸善の二階には僕の外に客もないらしかつた。僕は電燈の光の中に書棚の間をさまよつて行つた。それから「宗教」と云ふ札を掲げた書棚の前に足を休め、緑いろの表紙をした一冊の本へ目を通した。この本は目次の第何章かに「恐しい四つの敵、――疑惑、恐怖、驕慢(けうまん)、官能的欲望」と云ふ言葉を並べてゐた。僕はかう云ふ言葉を見るが早いか、一層反抗的精神の起〔おこ〕るのを感じた。それ等の敵と呼ばれるものは少〔すくな〕くとも僕には感受性や理智の異名に外ならなかつた。

[やぶちゃん注:『ストリントベルグの「伝説」』一八九七年に刊行された自伝小説で、創作活動と錬金術への傾斜から困窮、強迫観念と幻聴を伴う精神変調と治療、神秘主義者スウェーデンボリの思想との接触による救済から妻との離婚に至るストリンドベルグが自ら『地獄』と呼んだ時代を描く(以上は二〇一〇年花書院刊の三嶋譲『「歯車」の迷宮〔ラビリンス〕」』の記載を参照した)。]

ここにも芥川の(芥川流の)虚構はあるかもしれない。しかし、この文章には遊びがなく透〔す〕きがない。この丸善の二階の書棚の前で「賭博狂のやうにいろいろの本」を開いている人間の姿は痛ましく、その人間の心も痛ましい。(それから、ついでに書くと、右の文章の中の、「僕等人間と変りのない、目鼻のある歯車ばかり並べてゐた、」とか、「なぜかどの本も必ず文章か挿し画の中に多少の針を隠してゐた、」とか、いう文句は、これこそ、異様であり、気味がわるい。もっとも、芥川が愛読したゴオゴリの初期の作品には、これらよりもっと異様な気味のわるい物はあるが、……)

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