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2012/05/18

耳嚢 巻之四 大久保家士惇直の事

 大久保家士惇直の事

 

 寛政五丑年三月、執政松平越中守殿浦々見分の事有て、相州根府川(ねぶかは)の御關所を通行ありしが、駕を不用(もちひず)歩行(かち)よりして右御関所へ行懸り笠を用ひられしを、御關所の番士大久保加賀守家士大木多次馬(たじま)立出、御關所に候間笠を取候樣近習の士へ斷りしゆへ、越中守殿にも其精勤を感賞ありて、加賀守へも通達有之、江戸表へも被申越(まうしこされ)しや、その書取を爰に記す、

[やぶちゃん注:以下、「書取」は底本では全体が二字下げ。なお、一部の訓読が難しいが、「書取」の原型を味わって貰うため、ここでは読みを示さず、注の方で全文再掲の上、難読語を訓じておいた。]

今日根布川御關所通行の節、風與心得違にて笠脱不申候處、番士大木多次馬笠之儀心付け候。自分心得違の儀は江戸表同列迄申達にて可有之候。勿論加賀守殿より御達筋には不及候。扨多次馬年若に相見候得共、嚴重精勤の段一段の事、加賀守殿御申付宜故之事と存候。多次馬儀心得方宜段は、御褒被掛御目ヲ可然哉に存候、此段も無急度申達候事。

右は多攻馬が其職を守る、越中不明公惇直成(なる)を稱して爰にしるし置ぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:特に連関を感じさせない。巻頭より本格的な武辺物がなかっただけに、意識的に配したものとも思われる。

・「惇直」は武士としての根岸の最も好む語で「じゆんちよく(じゅんちょく)」と読み、純粋で正直なこと。一途で正しいことを言う。

●書取訓読

今日、根布川御關所通行の節、風與(ふと)心得違(ちがひ)にて、笠、脱ぎ申さず候ふ處、番士大木多次馬、笠の儀、心付(こころづ)け候ふ。自分心得違ひの儀は江戸表同列迄申し達しにて之れ有るべく候ふ。勿論、加賀守殿より御達(おたつ)しの筋には及ばず候ふ。扨(さて)、多次馬年若に相ひ見へ候得(さふらえ)ども、嚴重精勤の段、一段の事、加賀守殿御申し付、宜しき故の事と存じ候ふ。多次馬儀、心得方(ここえかた)宜しき段は、御褒め、御目を掛られ然るべきやに存じ候ふ、此段も急度無(きつとな)く申し達し候ふ事。

・「執政松平越中守」陸奥白河藩第三代藩主松平定信(宝暦八(一七五九)年~文政十二(一八二九)年)。彼は松平家の養子であって、実父は御三卿田安徳川家初代当主徳川宗武、則ち、徳川吉宗の孫に当たる。天明七(一七八七)年より寛政五(一七九三)年まで老中首座並びに将軍輔佐となって寛政の改革を実行した。寛政五(一七九三)年三月に伊豆・相模・安房・上総・下総の海防巡見を行っており、本話はその折りのものである。但し、この四ヶ月後の七月二十三日、やはり海防巡見中に突如将軍より辞職を命ぜられ、失脚している。「執政」は幕政全般を取り仕切った将軍に次ぐ老中職を指す。

・「根府川の御關所」現在の小田原市根府川のJR根府川駅を降り、急坂を少し下ったところに小田原藩の根府川関所跡がある(実際の跡は関東大震災で埋没、新幹線工事によって川床となった)。箱根の脇関所として、熱海・伊東への海辺街道の監視を行う重要な関所であった。

・「大久保加賀守」大久保忠顕(宝暦十(一七六〇)年~享和三(一八〇三)年)。小田原藩第六代藩主。参照したウィキの「大久保忠顕」には、藩財政の窮乏を懸命の引締政策で乗り切ろうとするも上手く行かず、『おまけに幕府から海防を命じられ、さらに財政は逼迫した。このため、藩の改革は長男・忠真と二宮尊徳によって受け継がれることとなる』とある。

・「同列」同輩の老中。老中の定員は四人から五人で、寛政五(一七九三)年の時点では老中首座の定信以下、松平信明・松平乗完(のりさだ)・本多忠籌(ほんだただかず)・戸田氏教(とだうじのり)らがいた。

・「急度無(きつとな)く」は、内々に、非公式にの意。

・「不明公」松平定信を指しいるが、不詳。彼の別号でには楽翁・花月翁・風月翁・白河楽翁があり、諡号は守国公であるが、「不明公」というのは見当たらない。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では、ここは「相公(しょうこう)」で、これは宰相の尊称。「不明」と「相」の字の類似性が深く錯字を感じさせる。「相公」で採る。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 大久保家の惇直なる家士の事

 

 寛政五年丑年の三月、老中松平越中守定信殿が海辺を巡見なさった。相模国根府川の御関所をお通りになられた際――この時偶々、定信殿は駕籠を用いられておらず、徒歩でかの御関所へとお入りになり、尚且つ、笠を用いられたままで御座った。すると、関所番士であった大久保加賀守忠顕殿の家士、大木多次馬がすっと立ち出で、越中守殿近習の者に向かって、

「御関所にて御座れば――笠をお取り下さいまするように――」

と断りを入れて御座った故、越中守殿、

「……これは……うむ、うっかりして御座った。」

と笠をお取りになられた――。

――後日のこと、越中守殿にはかの大木多次馬の惇直なる精勤を殊の外お褒めになられ、加賀守殿へもこのことのお達し、これ、あり――また、この話、江戸表にも伝わって御座ったればこそ――その越中守殿お達しの写しを、ここに記す。

 

本日、根府川御関所を通行した折り、ふとした心得違いにて笠を脱ぎ申さずに御座ったところ、貴殿番士大木多次馬、脱笠(だつりゅう)の儀につき、注意を受けて御座った。この己れの心得違いの儀に就きては、江戸表同列の老中連に対し、拙者自ら申し達することと致して御座る。されば無論、加賀守殿よりかく不埒者有ったを御達しする筋にては及ばざることに御座る。さて――この多次馬、未だ年若に見申したなれど、その惇直にして堅固厳重なる精勤の段、これ一段と優れて御座ること、主加賀守殿の御申付、これ、宜しき故のことと存じ申し上ぐる。多次馬の優れた判断力と精勤の儀に付ては、必ずお褒めおかれ、また、御目をかけられて然るべきことと存じ申し上ぐるを、この件に就きても、内々に老中連に申し達する所存にて御座る。

 

 以上は、大木多次馬がその職分を美事に守った忠と誠と、また、越中守相公定信殿の惇直を讃えるため、ここに記しおいたもので御座る。

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