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« 義理の姪の結婚式の感動 | トップページ | 宇野浩二 芥川龍之介 二十三~(8) »

2012/05/08

宇野浩二 芥川龍之介 二十三~(7)

 さて、丸善の二階といえば、最初の一章であるからか、たいていの人が知っている、『或阿呆の一生』の一ばん初めの『時代』が、やはり、丸善の二階が舞台になっている。必要があるので、つぎに、それを写す。

 それは或本屋の二階だつた。二十歳の彼は書棚にかけた西洋風の梯子に登り、新〔あた〕らしい本を探してゐた。モウパスサン、ボオドレエル、ストリントベリイ、イブセン、シヨウ、トルストイ……

 そのうちに日は迫り出した。しかし彼は熱心に本の背文字を読みつづけた。そこに並んでゐるのは本といふよりも寧ろ世紀末それ自身だつた。ニイチエ、ヴエルレエン、ゴンクウル兄弟、ダスタエフスキイ、ハウプトマン、フロオベエル、……

 彼は薄暗がりと戦ひながら、彼等の名前を数へて行つた。が、本はおのづからもの憂い影の中に沈みはじめた。彼はとうとう根気も尽き、西洋風の梯子を下りようとした。すると傘のない電燈が一〔ひと〕つ、丁度〔ちやうど〕彼の頭〔あたま〕の上に突然ぽかりと火をともした。彼は梯子の上に佇んだまま、本の間に動いてゐる店員や客を見下〔みおろ〕した。彼等は妙に小〔ちひ〕さかつた。のみならず如何にも見すぼらしかつた。

「人生は一行のボオドレエルにも若〔し〕かない。」

 彼は暫く梯子の上からかう云ふ彼等を見渡してゐた。

 おなじ丸善の二階が舞台になっていても、これは、さきに引いた『歯車』の中の一節とくらべると、感じもまるで違い、物も全然ちがう。つまり、先きに引いたところは、いくらか虚仮〔こけ〕おどしの感じのするところもあり、文章も素気〔そっけ〕ない感じさえあるが、何〔なに〕か側側〔そくそく〕と人の心に迫るものがあった、ところが、これは、文章が気がきいていて、様子〔ようす〕がよく、見得を切っている観さえあるが、読む者の心に殆んど残るものがない。

『楼門五三桐〔さんもんごさんのきり〕』という歌舞伎芝居で、石川五右衛門が、南禅寺の楼門にあがって、大見得を切りながら、「絶景かな、絶景かな、春の夕ぐれの眺め、価〔あたひ〕千金とは、……」と叫ぶところがある。

 それとこれとは全〔まった〕く違うけれど、私は、この『或阿呆の一生』が、はじめて、昭和二年の十月号の「改造」に、出た時、この一ばん初めの『時代』を読んで、「これはまずいな、」と思った、というのは、芥川が、本の一ぱい詰まっている丸善の書棚にかけた梯子の上に立って、傘のない一〔ひと〕つの電燈に照らされながら、下の方に動いている店員や客を見おろしで、「人生は一行のボオドレエルにも若〔し〕かない、」と、大見得を切りながら、叫んでいるのを、ふと、想像したからである。

 私は、ここで、二十歳の芥川が、こういう生意気な事を云うのが、おかしい、などと云うつもりではない、芥川が、相変らず、一等俳優を気取っているな、と思ったのである。

[やぶちゃん注:「見得を切っている」私の電子テクスト「或阿呆の一生」の最後に附した本章の別稿を以下に示す。

 

       一 時  代

 

 それは或本屋の二階だつた。二十歳の彼は書棚にかけた西洋風の梯子に登り、新らしい本を探してゐた。モオパスサン、ボオドレエル、ストリンベリイ、イブセン、シヨオ、トルストイ、………

 そのうちに日の暮は迫り出した。しかし彼は熱心に本の背文字を讀みつづけた。そこに並んでゐるのは寧ろ世紀末それ自身だつた。ニイチエ、ヴェルレエン、ゴンクウル兄弟、ダスタエフスキイ、ハウプトマン、フロオベエル、…………

 彼は薄暗がりと戰ひながら、彼等の名前を數へて行つた。が、本はおのづからもの憂い影の中に沈みはじめた。彼はとうとう根氣も盡き、西洋風の梯子を下りようとした。すると傘のない電燈が一つ、丁度彼の頭の上に突然ぽかりと火をともした。彼は梯子の上に佇んだまま、本の間に動いてゐる店員や客を見下した。彼等は妙に小さかつた。のみならず如何にも見すぼらしかつた。

 「何と云ふもの寂しさ、……」

 彼は暫く梯子の上からかう云ふ彼等を見渡してゐた。………

 

「何と云ふもの寂しさ、……」の部分はテクストを見て頂くと分かる通り、最初、『何と云ふ貧しさ!』と書いたものを削除線で消し、「何と云ふもの寂しさ、……」と書き直したものである。宇野の言うように、この初期形と比すと、芥川龍之介は「南禅寺山門の場」の五右衛門の如く、美事に見得を切っている、とは言える。

「楼門五三桐」は安永七 (一七七八)年の大阪初演の歌舞伎。初代並木五瓶作の全五幕の荒唐無稽な伝奇ロマン活劇であるが、宇野が引用する二段目の返し「南禅寺山門の場」の五右衛門の名台詞で専ら有名。

『昭和二年の十月号の「改造」に、出た時、この一ばん初めの『時代』を読んで、「これはまずいな、」と思った』というのは、死後の小説家としての芥川の名声や光栄に、傷が附くことを宇野は危惧したということになる。勿論、この「一 時代」や「或阿呆の一生」、更には宇野のように後期の芥川作品を評価しない(宇野は少なくとも「小説」としては評価ていない)評者もいることはいる。しかし、どうであろう、宇野の危惧は杞憂であったというべきであろう。「見得」を切らなかった宇野の作品は、今や容易に書店に見出すことも出来ない。宇野の嫌った「見得」が(宇野はそれが芥川の「小説」を似非物にしていると考えていると私は断言する)、皮肉なことに(宇野にとってである)芥川龍之介の「小説」人気の長命の一つの要因であることは間違いないのである。]

 芥川は、『一等俳優』の一人であった、が、普通の一等俳優に間間〔まま〕あるような、単純な心の持ち主ではなかった、そうして、すぐれて聡明な人であった、それから、前に何度か述べたようにはげしい神経衰弱にかかりながら、精神病者のようになりながら、頭の働きは殆んど鈍らなかった。それは、(そのほんの一例は、)『或阿呆の一生』の中の『剥製の白鳥』の書き出しの、

 彼は最後の力を尽し、彼の自叙伝[註―『或阿呆の一生』]を書いて見ようとした。が、それは彼自身には存外容易に出来なかつた。それは彼の自尊心や懐疑主義や利害の打算の未だに残つてゐる為〔ため〕だった。……

という文句だけでも、わかる。

 ついでに述べると、神経衰弱がひどくなるにつれて、芥川の頭〔あたま〕は、ますます、冴えてきたようにさえ、私には、思われるのである。

 それから、しばしば云うように、その作品が用意周到であったように、生活などもなかなか用意周到であった芥川は、自分が死んだ後の事まで、作品の事も、残った者たちの生活の事も、ちゃんと、抜かりなく、考えていたのである。

 何ものかの僕を狙つてゐることは一足〔ひとあし〕毎に僕を不安にし出した。そこへ半透明な歯車も一つづつ僕の視野を遮り出した。僕は愈〔いよいよ〕最後の時の近づいたことを恐れながら、頸すぢをまつ直にして歩いて行つた。歯車は数の殖〔ふ〕えるのにつれ、だんだん急にまはりはじめた。同時に又右の松林はひつそりと枝をかはしたまま、丁度細〔ちやうどこま〕かい切子硝子〔きりこガラス〕を透かして見るやうになりはじめた。僕は動悸の高まるのを感じ、何度も道ばたに立ち止まらうとした。けれども誰かに押されるやうに立ち止まることさへ容易ではなかつた。……

 これは、『歯車』の㈥の「飛行幾」の最後に近いとこかの、一節である。

 君は芸術の天にたぐひなき凄惨の光を与へぬ。即ち未〔いま〕だ曾〔かつ〕て無〔な〕き一つの戦慄を創成したり。[上田敏による]

[やぶちゃん注:これは「海潮音」のボードレールの上田訳の掉尾「梟」の後にポイント落ちで附された上田敏の解説に現れる。以下にその全文を引いておく。

 

現代の悲哀はボドレエルの詩に異常の發展を遂げたり。人或は一見して云はむ、これ僅に悲哀の名を變じて欝悶と改めしのみと、而も再考して終に其全く變質したるを曉〔さと〕らむ。ボドレエルは悲哀に誇れり。即ち之を詩章の龍葢帳中に据ゑて、黑衣聖母の觀あらしめ、絢爛なること繪畫の如き幻想と、整美なること彫塑に似たる夢思とを恣にして之に生動の氣を與ふ。是に於てか、宛もこれ絶美なる獅身女頭獸なり。悲哀を愛するの甚しきは、いづれの先人をも凌ぎ、常に悲哀の詩趣を讚して、彼は自ら「悲哀の煉金道士」と號せり。

 

           *

 

先人の多くは、惱心地定かならぬまゝに、自然に對する心中の愁訴を、自然其物に捧げて、尋常の失意に泣けども、ボドレエルは然らず。彼は都府の子なり。乃ち巴里叫喊地獄の詩人として胸奧の悲を述べ、人に叛き世に抗する數奇の放浪兒が爲に、大聲を假したり。其心、夜に似て暗憺、いひしらず、汚れにたれど、また一種の美、たとへば、濁江の底なる眼、哀憐悔恨の凄光を放つが如きもの無きにしもあらず。    エミイル・ルハアレン

 

ボドレエル氏よ、君は藝術の天にたぐひなき凄慘の光を與へぬ。即ち未だ曾て無き一の戰慄を創成したり。                       ヸクトル・ユウゴオ

 

「龍葢帳中」は「りようがいちようちう(りょうがいちゅちゅう)」と読み、「龍蓋」は超能力を持った龍を呪法によって封じ込めることを言う。ボードレールが魔術的自在性をその詩句に込めたことを比喩するものであろう。「黑衣聖母」黒い聖母マリア及び聖母子像。ここでは単にただ汚れて黒ずんだ聖像を指すのではなく、原始キリスト教以前にオリエント一帯に広まっていた大地母神信仰の習合されたそれをイメージし、原母(グレート・マザー)への畏怖を示す。「獅身女頭獸」スフィンクス。]

 これは、ヴィクトル・ユウゴオが、シャルル・ボオドレエルに宛てた手紙の中の、有名な文句であるが、誇張して云えば、この文句をいくらか思わせるようなものが、『歯車』の中に、ところどころに、ある。例えば、(そのほんの一例を上げると、前にも引いたかもしれないが、)つぎのようなところである。

 海は低い砂山の向うに一面に灰色に曇つてゐた。その又砂山にはブランコのないブランコ台が一〔ひと〕つ突つ立つてゐた。僕はこのブランコ台を眺め、忽ち絞首台を思ひ出した。実際又ブランコ台の上には鴉が二三羽とまつてゐた。鴉は皆僕を見ても飛び立つ気色さへ示さなかつた。のみならずまん中にとまつてゐた鴉は大きい嘴を空へ挙げながら、確かに四たび声を出した。

 芥川は、その作品の中に好んで鴉をつかうが、鴉といえば、斎藤茂吉が鴉を詠んだ歌の中に、こういうのがある。

  しまし我〔われ〕は目をつむりなむ真日〔まひ〕おちて鴉ねむりにゆくこゑきこゆ

  ひさかたのしぐれふりくる空〔そら〕さびし土〔つち〕に下〔お〕りたちて鴉は啼くも

[やぶちゃん注:「しまし」は上代語で、暫く、ちょっとの間、の意。いずれも「あらたま」所収の句。]

 さて、『歯車』は、ずっと前に述べたように、葛西善蔵がほめ、佐藤春夫が、芥川の作品の中で第一である、と激賞し、廣津和郎も「一ばん頭〔あたま〕に残つてゐる、」と云い、川端康成などは、「芥川氏のすべての作品に比べて、断然いいと思ふ、……文章までが『歯車』だけは何〔なん〕か違ふやうな気がし、自〔おのづか〕ら迫りながら、暢びてゐて、……芥川氏の気もちが一番よく出でゐると思ふ、……どこか気遣ひと正気の間ぐらゐな、……」と、述べている。

 この川端の説には私もほぼ同感であるが、又、『歯車』には川端の好きそうなところもある。

 が、いずれにしても、『歯車』は、欠点は随分あるけれど、これこそ、芥川が、必死で書いたようなところもある。そうして、この作品の中には、それこそ、「人生は地獄よりも地獄的である、」というところもあり、その実感のいくらか出ている.ところもある、それに、作者が夜〔よる〕となく昼となく悩まされた極度の神経衰弱から起こる脅迫観念と恐怖が一種の迫力をもって読者に迫ってくるところもある。

 ざっとこういう点で、『歯車』は、芥川の全作品の中で、もっともすぐれた作品という訳にはゆかないが、前にも書いたように、もっとも特殊な作品である。

 しかし、又、この『歯車』は、無理やりに、怪奇に、怪奇に、と工〔たく〕んでいるようなところが随所にあり、何〔なに〕も彼〔か〕もあまりに誇張して書いてあるので、不自然な気がするところも可也〔かなり〕あり、それに、筆がすべり過ぎていて、興味を殺〔そ〕ぐようなところも多分にある。

 それから、多くの人が問題にしている『歯車』の最後の「僕はもうこの先を書きつづける力を持つてゐない。かう云ふ気もちの中に生きてゐるのは何とも言はれない苦痛である。誰か僕の眠つてゐるうちにそつと絞め殺してくれるものはないか?」という文句なども、私などは、書き過ぎであるばかりで、なく、否味〔いやみ〕である、とさえ思うのである。

 しかし、さすがに、芥川は、『歯車』が書き過ぎであることは、覚〔さと〕っていた。それから、芥川は、『歯車』は、書き過ぎたところがあるばかりでなく、発表をはばかられるような所もあり、未定稿でもあったからか、筐底にしまってしまった。

 ところで、『歯車』を脱稿したのは四月七日であり、『歯車』は、芥川の物としては可なり長い方〔ほう〕で、七十五六枚であるから、立ち入った事を云えば、その時分の芥川は、どこかの雑誌にでも出して、金〔かね〕にかえた方が、便利であったのではないか、と思われるのに、それをしなかったのは、臆測を逞しくすれば、芥川の芸術的な良心と打算のためであったのであろうか。(ここで、『打算』というのは、この原稿⦅つまり『歯車』⦆を、死後に、家族のために、残しておこう、という程の意味である。)

[やぶちゃん注:厳密には「一 レエン・コオト」は、生前の昭和二(一九二七)年六月の『大調和』に「歯車」の題で掲載されている(全文公開が死後の十月一日発行の『文藝春秋』)。また、私も(というより、本作の内容に於いて、勿論)、「歯車」全体は、芥川が死後に公開されることを念頭に於いて「計画的に」(それは作品の随処に現れている)執筆したものと考えてよい(芥川龍之介の自死があってこそ「歯車」は絶対暗黒の強靭さを持つのであり、生き延びた芥川龍之介と名作「歯車」のツー・ショットなんどは全体にあり得ないのである)。但し、芥川龍之介が「歯車」を『筐底にしまってしまった』という宇野の表現は、如何なものか。先に宇野が、

(『歯車』は、原稿には、はじめ、『夜』とか、⦅『東京の夜』とか、⦆いう題をつけてあったが、佐藤春夫が、その原稿を見せられた時、『夜』というのは個性がなさ過ぎ、『東京の夜』というのは気取りすぎる、と云って、『歯車』という題をすすめた、と書いている。)

と述べている事実からも、これは言い過ぎである。四月七日の脱稿は現在の年譜的事実からも確定されているが(但し、それも掉尾のクレジットによって、である)、芥川は「歯車」を、恐らく最後まで改稿する努力を続けていたと私は考えている。]

 死後、と云えば、芥川が、いかに、自分の死後の名聞〔みょうもん〕の事や家族の事などを、気にしたか、――それは、『河童』の最後の方の、自殺したトックの幽霊と心霊学協会の会員との問答の報告(記録)の中の、「予の死後の名声は如何〔いかん〕?」「予の全集は出版せられしや?」(「君の全集は出版せられたれども、売行甚だ振〔ふる〕はざる如し、」)「予の全集は三百年の後、――即ち著作権の失はれたる後、万人の購〔あがな〕ふ所となるべし。予の同棲せる女友だちは如何?」「予が子は如何?」「予が家は如何?」などという記事だけを見ても、大凡〔おおよ〕その一端が窺われるであろう。

 ところで、前に述べたように、芥川が、『歯車』の最後の分〔ぶん〕㈥『飛行磯』を脱稿したのは、四月七日である。

 昭和二年になってから、芥川は、力作、『玄鶴山房』、『河童』、それから、『歯車』、と、書いてまったく、精根を、使い尽〔つく〕してしまった。

 それで、芥川の最後の作品は、(作品らしい作品は、)未定稿ではあるが、『歯車』である、という事になる。

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