耳嚢 巻之四 古風質素の事
古風質素の事
板倉二代目周防守、年始登城可有之(これあるべく)とて、前年の暮白無垢(しろむく)古びたりとて新調を申付られ候を、家老何某承りて、白無垢新調を被仰付(おほせつけられ)候由故見分いたし候處、是迄の御小袖御古びも相見へ候得共、年始御用(おんもち)ひ計(ばかり)に新調被仰付候は如何に候由諫(いさめ)て、新調止(や)めに被致(いたされ)けると、家記にも認(したため)有之由、當周防守直々物語りにて承りける。當時諸侯に無之(これなく)候共、白無垢一ツ新調位(ぐらい)の儀、我々にても家來共へ可申聞程の事にも無之。時勢の變化はさまざま成ると記し置ぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:鎧新調が店主の何気ない一言から「仕立て無用!!!」となったシーンから、小袖新調がうるさ型の爺の一言で沙汰やみとなる類感的連関がまずあり、加えて、あばら家で借金に首の回らない冴えない武家が、高価な鎧一式に拘って百五十両を倹約(というより別腹の力技で)貯めたという変な話から、殿様に衣一枚でも倹約を諫言するド吝嗇家老と変な「家記」(主家先祖の記録・家伝)でも連関する。
・「板倉二代目周防守」板倉重冬(寛文十二(一六七二)年~宝永六(一七〇九)年)。伊勢亀山藩第二代藩主。板倉家宗家第五代。板倉家では先々代の第二代当主重宗が周防守を叙任しているので、板倉家での周防守拝命二代目ということ。享年三十八で亡くなっている。この内容は本書記載時より、彼の没年で計算しても九十年近く前となる。
・「白無垢」この場合は、礼服の下に着る以下の小袖の絹仕立ての白衣。
・「小袖」ここでは大宝の衣服令で定められた、礼服の大袖の下に着る筒袖・盤領(まるえり)の衣服。
・「當周防守」板倉勝政(宝暦九(一七五九)年~文政四(一八二一)年)。備中松山藩弟四代藩主。板倉家宗家第十代。板倉家直系で重冬の曾孫。重冬の孫初代備中松山藩藩主板倉勝澄の七男。
■やぶちゃん現代語訳
古風なる質素の事
ある年の暮、板倉周防守二代目板倉重冬殿は、年始めの登城には、白無垢が如何にも古びえおると、新調をお申し付けになられたところ、家老何某はこのご指示を承るや、
「白無垢新調せよと仰せ付けになられたによって、拙者、直々に検分致いて御座ったところ、これまでの御小袖、多少の古びも見えぬでは御座らねど、年始に用いらるるためにだけ、新調をお仰せ付けらるるというは、これ――如何なものかと――存じまする――。」
とお諫め申し上げたによって、重冬殿の小袖一枚新調のお話、お沙汰やみとなさった…………と……
「……いや、まこと、そう、家伝の書にも認(したた)められて御座るでの。」
と、今の周防守、重冬殿ご子孫であらせられる、当の板倉勝政殿、直々の物語りの内にて承った話で御座る。
当節、諸侯大名にのうても、白無垢ひとつ新調するぐらいのことは、我らの身分の者でも、家来どもへいちいち断って、その考えに耳を傾けるほどのことは、御座らぬ。時世の変化というものは、これ、さまざまなるものじゃなあと感じ入ったによって、ここに記し置いた。

