宇野浩二 芥川龍之介 二十三~(12)
その翌日(つまり、七月二十五日)の都下の各新聞は、(七八種の新聞は、)その第三面の殆んど全部を、芥川の自殺に関する記事で、埋めた。(その頃、出版社の間〔あいだ〕に、書籍や雑誌の宣伝のために、新聞に一ペイジの広告をする事が、流行したが、芥川の自殺の記事の出ていた第三面は、ちょっと見た瞬間、その『二へイジ広告』か、と思われた程であった。)
[やぶちゃん注:披見した昭和二年七月二十五日附『東京日日新聞』では下部の広告欄を除くほぼ十段の一面全部を芥川龍之介自殺関連記事で埋めている。]
それは、一〔ひと〕つ一〔ひと〕つの見出しに、(例えば、『芥川龍之介氏』『劇薬自殺を遂〔と〕ぐ』『昨晩、滝野川の自宅で』『遺書四通を残す』というような文句に、)初号あるいは一号の活字をつかい、本文(例えば「二十四日午前七時市外滝野川田瑞四二五の自邸寝室で劇薬『ベロナアル』および『ヂエアール』を多量に服用して[中略]」にところどころゴシック活字をつかう、というような麗麗〔れいれい〕しい組み方で、仮りに一ペイジを六段とすれば、その六段全部に殆んど芥川の自殺に関する記事が出ていたのである。
[やぶちゃん注:ここで宇野が参照しているのは、昭和二年七月二十五日附の『東京朝日新聞』の方である。こちらは全十段の内、八段強相当を芥川龍之介自死関連に割いている。]
つまり、芥川の自殺は、このように、文壇の人たちは、もとより、世人の耳目〔じもく〕をも聳動させたのであめる。
七月二十四日の午後三時頃、家の者が、果物〔くだもの〕などを持って病院にたずねて来た時、問わず語りに、ふと、「……芥川さんが、昨夜〔ゆうべ〕、眠〔ねむ〕り薬〔ぐすり〕を飲みすぎて、……」というような言葉を、漏らした。
と、虫が知らした、と云うか、この言葉が、私に、妙に、異様に、感じられた。なにか、どきッとしたような感じをうけた。
それで、なにか予感のようなものを感じていたのか、その翌日、あの誇大な新聞の記事を見た時、もちろん、はッとしたが、それほど驚かなかった。
その日も、どんよりした暑い日で、じっとしていても、体〔からだ〕じゅうに脂汗〔あぶらあせ〕がにじみ出た。私は、すこし気がおちつくと、「芥川は死んだ、」と、しみじみ、思った。が、ふと、「僕は、うんと暑い時に死んで、みんなを困らしてやるつもりだ、」と、芥川が、目尻と頰に例のいたずらっ児〔こ〕らしい笑いをうかべて、云った事を、思い出したりした。
[やぶちゃん注:宇野浩二の渾身の作品「芥川龍之介」のコーダ、ここに窮まれりの感がある。永遠に忘れることの出来ない本作の最も美事なシーンである。]

