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2012/05/17

耳嚢 巻之四 狐狸のために狂死せし女の事

 狐狸のために狂死せし女の事

 

 寛政七年の冬、小笠原家の奥に勤し女、容儀も右奥にては一二と數えけるが風與(ふと)行衞を失ひ、全(まつたく)缺落(かけおち)いたしけるならんと、其宿をも尋問(たづねとひ)けれども曾て見へざれば、輕き方と違ひ四壁嚴重の屋敷、とりどり、疑ひけるが、日數廿日程過て、同じ長局(ながつぼね)の女手水(ちやうづ)を遣ひける手水鉢の流れへ、白き手を出し貝殼にて水を汲(くむ)を見て、右女驚き氣絶せし故、同部屋は不及申、何れも缺附(かけつけ)見れば、怪敷女樣(やう)のもの椽下へ入るを見て、大勢にて差押ければ、彼行衞不知女故、湯水等を與へ尋問ひしに、始はいなみしが切に尋ければ、我等はよきよすがありて宜(よろしき)所へ緣に付(つき)、今は夫を持(もち)し由を申ゆへ、いづ方成哉と聞侍れど其答もしかじかならず。色々すかして尋ければ、さらば我住方へ伴ひ申さん迚(とて)椽の下へ入りける故、跡に付て兩三人立入りしが遙(はるか)椽下を行て一ケ所の椽下に、胡座筵など敷て古き椀茶碗を並べ、此所住家成由故、夫の名など尋しに、兼て咄せし通(とほり)の男也とて名もしかと不答、誠に狂人の有樣故、其譯役人へも斷り、宿を呼て暇を遣しけるが、兩親も悦びて早々醫薬等施し療養を加へけれど、甲斐なくして無程身まかりしとかや。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:「稲荷」から「狐狸」、「狂歌」と狂的呪詛から「狂死」で、連関。この話柄は「耳嚢」の抜粋本等には必ずと言ってよい程引かれるもので、私も高校時代、学生雑誌の怪談特集で読んだのが最初であると記憶するのだが、私は個人的に、「耳嚢」の中で、映像として最も不気味、且つ、悲哀に満ちた一番の話として本話を挙げたいのである。……美しい女房の発狂、縁の下の愛する男との二人きりの隠れ里――幻覚を伴う重篤な統合失調症か、程無くなくなったという点からは予後の悪い何らかの器質的疾患による脳の変性か脳腫瘍等も疑われる――また例えば、心因性精神病として、その発症の原因の一つに、家内での秘やかなゴシップなどを想起してしまうと――失踪の際、真っ先に恐らく複数の者が「全缺落いたしけるならん」と考えたことがその強い可能性を示唆すると言えないか? また、彼女の『縁の下の棲家』の上は一体、誰の部屋だったのか?……なんどということまでがひどく気になってきて――猶のこと、この話は一読、私には忘れ難いものとなっているのである。

・「小笠原家」小笠原右近将監忠苗(おがさわらただみつ 延享三(一七四六)年~文化五(一八〇八)年)豊前小倉藩十万石の第五代藩主。小笠原家宗家六代。寛政三(一七九一)年、藩主となり、従四位下右近将監に叙任。

・「長局」宮中や江戸城大奥・大家に於いて、長い一棟の中を幾つもの局、女房部屋として仕切った住居。局町(つぼねまち)とも言う。

・「缺附見れば」底本には右に『(駆附け)』と傍注する。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 狐狸のために狂死した哀れなる女の事

 

 寛政七年の冬のこと、小笠原家右近将監忠苗(ただみつ)殿御屋敷の、奥に勤めて御座った女房――その容姿は……まず一、二を争うという女で御座ったが――ふと、行方知れずになった。

 口さがない家中の者どもは、

「……あの器量じゃて、全く以てどこぞの誰かと深うなって、駆け落ち致いたに違ない……」

などと噂致いた。人を遣って実家をも尋ねさせたが、帰った様子も、これ、御座ない。ともかくも十万石の大藩の御屋敷なれば――これ、その辺の普通の武家の話とは訳が違う――四方の守り、厳重にして鼠一匹逃げ出しようも御座ない、といった造りなればこそ、家中の者どもも、なんやかやと不審を抱いて御座った。

 さて、それから二十日ほど過ぎた、ある日のこと、行方不明になった女房と同じ長局(ながつぼね)に住んで御座った女房が一人、庭の手水(ちょうず)を使(つこ)うた……が……傍らの、その手水鉢へと流れておる筧(かけい)の水の流れに……ふと……目をやったところ……

――すーうっと……

――縁の下の方から……

――白い手が伸び……

――手に持った貝殻柄杓で……水を……汲んだ……

女房、

「きぇッ! エエエッツ!」

と叫び声を挙げて、その場に昏倒致いた――

――そこで、同部屋の者は言うに及ばず、家中の在の者どもも残らず駆けつけたところが、怪しき女のようなる者一人、今にも縁の下へと潜り込まんとするを見出だし、大勢にてとり押さえて御座った。

……と……

……この不審の女は……何と! かの行方知れずになって御座った女であったが故、者ども皆、吃驚仰天、ともかくも湯水なんどを与え、一体、どうしておったか、と問い質(ただ)いてみた。

 女は最初、黙ったままで、口を利くのを拒んで御座った風であったが、周りが強く詰問致すうちに、

「……妾(わらわ)は……よき縁(よすが)の……御座いまして……宜しきところへ……緣(えん)づきまして……今は……夫を持って御座います……」

と申す。そこで、

「――そりゃまた、はて、何処(いずこ)じゃ!」

と聞き返せど、女の返事は一向、はっきりせぬ。そこで色々、なだめすかして尋ねてみたところが、

「……さればこそ……我が住む方へ……伴って差し上げますれば……」

……と……

――縁の下へ……

――入る……

――されば、大の大人、合わせて三人、跡について縁の下へと立ち入るという仕儀と相成った。

――庭縁から――遙かずっと先の縁の下の、ある所に――茣蓙や筵などが敷かれて御座って――そこにまた、古びた椀やら茶碗やらも並べ立ててある――女はそこまで這いずって行くと、

「……ここが……妾と夫の……住まう屋敷に……御座います……」

と平然と答える。

――従った男の一人が――顏にへばりついた気味(きび)の悪い蜘蛛の巣を拂いつつ、吐き捨てるように問うた。

「――して! その夫の名は、何と申すのじゃ!」

……と……

「……はて……それはもう……ほれ、かねて既に……お話し申し上げて御座います通りの……あの、お方で御座いまする……」

と、ぬらりくらり、遂に名もはっきりとは申さぬ。

――さても、その後(のち)の訊問にても、この女房の話は、その全てが全く以って訳が分からず、これは最早、正真正銘の狂人の有り様なればとて、既に行方不明の届を出して御座った役人へは、『かくなる仕儀にて』と委細報告の上で、この女の実家の者を呼び出だいて、暇(いとま)を遣わして御座った。

 女の両親はと言えば、行方知れずの娘が戻ったと聞いて悦んだのも束の間、娘の変わり果てたうつけた貌(すがた)を見、早速に医師を呼んでは薬石なんど施し、療養につとめたものの……その甲斐ものう、哀れ、程のうして身罷った……ということで御座る。

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