耳嚢 巻之四 賤婦答歌の事/連歌師滑稽の事
賤婦答歌の事
寛政四年の頃、靑山下野守家士在所より往來の折から、木曾路寢覺の里に足を休、名におふ蕎麥抔を食しけるに、給仕の女其面(おもて)に蕎麥かすといへる物多くありしを、
名にめでゝ木曾路の妹(いも)がそばかすは寢覺の床のあかにやありなん
かく詠て書付あたへければ、彼女憤りける氣色して勝手へ入しが、程なくかへしとおぼしく書付たるもの持來りし故、これを見るに、
蕎麥かすはしづが寢㒵(ねがほ)に留置(とめおき)てよい子を君に奉りぬる
とありければ、人の代りて詠たるか、當意即妙のところ感じ取はべりしと、右家士のゆかりある人咄しければ書留ぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:四つ前の狂歌で連関。実話というより、太田道灌の山吹の狂歌版パロディという感じである。
・「寛政四年」西暦一七九二年。
・「靑山下野守」青山忠裕(あおやまただひろ/ただやす 明和五(一七六八)年~天保七(一八三六)年)。丹波篠山藩第四代藩主。本話柄とは関係ないが、彼は天明五(一七八五)年に家督を継いだ後、寺社奉行・若年寄・大坂城代・京都所司代といった幕閣要職を総浚いして文化元(一八〇四)年に老中に着任後、実に三十年強勤め上げた、文化文政期の幕閣の要人である。天保六(一八三五)年、隠居。
・「木曾路寢覺の里に足を休、名におふ蕎麥抔を食しける」木曽川の水流で花崗岩が侵食されて出来た木曽八景の一つ、寝覚ノ床の名物蕎麦屋として越前屋がある(蕎麦屋として現存)。そのHPの「越前屋の歴史」によれば、寛永元(一六二四)年創業、日本で三番目に古い蕎麦屋とされる。宿場の立場茶屋として栄え、訪れた北川歌麿・十返舎一九・岡本一平・前田青邨などの書画が残されており、島崎藤村の「夜明け前」にも登場する老舗である(現代語訳では私の嫌いな藤村をパロった)。
・「蕎麥かす」雀斑(そばかす/じゃくはん)。米粒の半分の薄茶・黒茶色の色素斑が、おもに目の周りや頰等の顔面部に多数できる色素沈着症の一種。雀卵斑(じゃくらんはん)とも言う。主因は遺伝的体質によるものが多く、三歳ぐらいから発症し、思春期に顕著になる。なお、体表の色素が少ない白人は紫外線に対して脆弱であり、紫外線から皮膚を守るために雀斑を形成しやすい傾向がある。「そばかす」という呼称は、ソバの実を製粉する際に出る「蕎麦殻」、則ち、「ソバのかす」が本症の色素斑と類似していることによる症名であり、「雀斑」「雀卵斑」の方は、スズメの羽にある黒斑やスズメの卵の殻にある斑紋と類似していることからの命名である。
・「名にめでゝ木曾路の妹がそばかすは寢覺の床のあかにやありなん」は、在原業平の「名にしおはばいざ言問はむみやこ鳥我が思ふ人はありやなしやと」や、三条右大臣藤原定方の「名にしおはば逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな」をベースとした狂歌で、名勝寝覚の床と女中の蕎麦かすがくっついた女中部屋の寝床を掛け、恐らくは暗にびっくりするような雀斑に「寝覚め」も掛けている。「あか」は木曽川の水流の閼伽(あか:水)で舞台の縁語であり、更に雀斑を喩える水垢、暗に「垢抜け」ない雀斑女の田舎女の寂しさを想像して揶揄してもいよう。
――「寝覚ノ床」の名にし負うた――木曽路の娘の、その雀斑は――独り寝の淋しい寝床でついた、垢ででもあろうか……
・「蕎麥かすはしづが寢㒵に留置てよい子を君に奉りぬる」の「しづが寢㒵」は「賤が寢㒵」で卑称。文字通り、雀斑を実際の蕎麦かす(蕎麦を挽いた滓)に掛け、「よい子」を「よい娘(こ)」と「よい粉(こ)」(蕎麦粉)に掛けた。
――蕎麦かすははした女(め)であるこの私めの顔にとどめおいて――敢えてよい娘(こ)――よい蕎麦粉を――貴方様には奉りまする……
■やぶちゃん現代語訳
賤婦の返歌の事
寛政四年の頃、青山下野守の家士が、丹波篠山の在所から江戸へ往来した折りの出来事で御座るという。
――木曾路はすべて山の中である。岨(そば)づたいに行く崖の道を……数十間の深さに臨む木曾川の岸を……山の尾をめぐる谷の入り口を辿ってゆく……と……目覚めんばかりに美しき、碧水奇岩の寝覚の床が現れる――
……拙者、そこで足休めを致いて、名にし負う名代の越後屋の蕎麦をたぐって御座ったところ、その折りに給仕致いた娘、その顔が、これが、まあ、驚くべき美事に仰山なる――そばかすじゃ! そこで一首、
名にめでて木曽路の妹の蕎麦かすは寝覚の床のあかにやありなん
と詠んで書きつけたものを渡いた。
――と――
この田舎娘、何やらん、非道う憤った気色で店の奥へ入ったかと思う
――と――
程無(の)うして、返しと思しく、何やらん、書きつけたものを持ち来たって、さし出だいたのを見れば、
そばかすは賤が寝顔に留め置きてよい子を君に奉りぬる
と御座った……
「……誰か、好き者が代わって詠んだものかとも思わせる……いや、その当意即妙に、すっかり感じ入り……軽き戯れに歌(うと)うたこと、大いに恥じ入りました……。」
と本人が語ったということを、この家士に所縁(ゆかり)ある人が話したのを、私が書き留めたもので御座る。
*
連歌師滑稽の事
向秀といへる連歌師、人の夢賀の句を乞ひけるに、忘れて過ぬれば、いかにも面白く目出度事をとせちに乞ければ、歌をよみて贈りけるとぞ。
龜に櫛鶴かうがひの愁あり用に立ざる君は千代まで
□やぶちゃん注
○前項連関:狂歌で直連関。
・「向秀」不詳。この号は竹林の七賢に因むか。ならば「しょうしゅう」と読む。これは江戸時代の話ではなく、もっと古い話かも知れない。
・「夢賀」不詳。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では「壽賀」で、長寿の言祝ぎの謂いである。こちらを採る。
・「龜に櫛鶴かうがひの愁あり用に立ざる君は千代まで」以下、通釈しておく。
……亀は甲羅を鼈甲の櫛にされる……鶴は脛骨を髪飾りの笄(こうがい)にされる宿命的な愁いが御座る……が……正真正銘……未来永劫……何らの役に、これっぽちも……立ちは申さぬ御貴殿は……千年、万年、生きらりょうぞ! いやいや、これぞ! めでたや、のう! めでたや、のう!
■やぶちゃん現代語訳
連歌師の滑稽の和歌の事
向秀とかいう連歌師、ある時、人に長寿を祝(いお)うた一句をと乞われておったが、これ、すっかり忘れて御座ったのを、「……どうか、如何にも面白うてやがて目出度き御句を!」執拗(しつこ)く乞われたので、その場でさらりと一首を詠んで贈った、という。
亀に櫛鶴かうがいの愁あり用に立たざる君は千代まで
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