生物學講話 丘淺次郎 二 食はぬ生物
二 食はぬ生物
普通に人の知つて居る生物は、必ず物を食うて生きて居る。何を食ふか、如何に食ふか、何時食ふかは、それぞれ異なるが、とにかく食ふことは食ふ。小鳥類の如くに、一日でも餌を與へることを忘れると忽ち死んでしまふほどに、絶えず食物を要求するものもあれば、蛇類の如くに、一度十分に物を食へば、その後は數箇月も食はずに平氣で居るものもある。蛭の如きは一囘血を吸ひ溜めると、約二年は生きて居る。併しその後はやはり食物を要する。然らば、生まれてから死ぬまで少しも物を食はぬ生物はないかといふと、そのやうなものも全くないことはない。例へば輪蟲類の雄などはその一である。
輪蟲というのは、顯微鏡を用ゐねば見えぬほどの極めて小さな蟲であるため、一向世間の人に知られては居ないが、池や沼の水草の間、檐の樋の中などに、どこにも澤山居る普通なものである。その形は圖に示した通りで、體の前端に稍々圓盤状の部分があり、その周邊に粗い毛が並んで生え、常に之を振り動かして水中に小さな渦卷を起し、微細な食物を口ヘ流し入れる。之を顯微鏡で見ると恰も車輪が囘轉して居る如くであるから、學名も、通俗名も、みな「車輪を有する蟲」といふ意味に名づけてある。所が不思議なことには池からこの蟲を採集して見ると、いづれも雌ばかりで雄は殆ど一匹もいない。それ故昔はこの蟲の雄は學者の間にも知られなかつた。併しよく注意して調べると、雄も時々發見せられる。而して雄と雌とを比較して見ると、體の大きさも内部の構造も著しく違ひ、雄の方は遙に小さく、且口もなければ胃も腸もなく、體の内部は殆ど生殖器だけというて宜しい程で、卵から孵つて出ると、直に忙しく水中を泳ぎ囘つて、雌を探し求め、これに出遇へば忽ち交尾して暫時の後には死に失せるのである。即ち輪蟲の雄の壽命は生まれてから僅に數日に過ぎぬが、その間に物を食ふといふことは決してない。條蟲などは口も腸胃もないが、他の動物の腸内に住んで常に溶けた滋養物に漬かつて居ること故、體の表面から食物が浸み込んで來るが、輪蟲の雄は之と異なり、自由に水中を游いで居るのであるから、眞に一生涯中に少しも物を食はぬ生物である。
然しながらよく考へて見ると、輪蟲の雄自身は一生涯なにも食はずに生活するが、斯く食物なしに活動し得るのは、生まれながら身體内に一定の滋養分を貯へて居るからである。輪蟲の卵は比較的に大きなものであつて、中に比較的に多量の滋養分を含んで居るから、卵の内で雄の身體が出來るに當つて、その身體の内には初から若干の滋養分がある。輪蟲の雄は、恰も滿腹の状態で卵から孵り、その續く間だけ生存して、然る後に死に去るのであるから、これは全く食物を體内に含ませて親が産んでくれた御蔭といはねばならぬが、卵の内の滋養分は嘗て親の食うた食物の中から濾し取られたもの故、子が一生涯食はずに生きて居られるのは、實は親が子の分までも食うて置いた結果に過ぎぬ。されば食はずに生活の出來るということは、親が前以て子に代つて食うて置いた場合に限ることであつて、一種類の生物が絶對に食物なしに生活し得るといふことのないのは明である。
[やぶちゃん注:「輪蟲」扁形動物上門輪形動物門 Rotifera に属するワムシ類と総称される凡そ三〇〇〇種を数える動物群。参照したウィキの「輪形動物」によれば、『単為生殖をする種が多く、雄が常時出現する例は少ない。雄が全く見られない群もある。なお、雄は雌よりはるかに小さく、形態も単純で消化管等も持たない』とあり、周年生活環(ライフ・サイクル)の部分でも『多くの種が単為生殖をする。それらは条件のいい間は夏卵と言われる殻の薄い卵を産み、この卵はすぐに孵化して雌となり、これを繰り返す。条件が悪化するなどの場合には減数分裂が行われて雄が生まれ、受精によって生じた卵は休眠卵となる。休眠卵は乾燥にも耐え、条件がよくなれば孵化する。なお、ヒルガタワムシ類では雄は全く知られていない。他方、ウミヒルガタワムシでは雄が常時存在することが知られる』とある。なお、綱名の“Rotator”はラテン語で回転させる者、という意味で、“rota”は車輪の意である。見たことがない方のために、写真や分かり易い解説のある、どろおいみじんこ氏の「淡水プランクトンのページ」の「ワムシ」をリンクさせておく。
「條蟲」扁形動物門条虫綱 Cestoda の単節条虫亜綱 Cestodaria 及び真正条虫亜綱 Eucestoda に属する、所謂、サナダムシ(真田虫)類の総称。長いものは十メートルを越える個体も存在する。]