新編鎌倉志卷之一 補完注作業 前半終了
「新編鎌倉志卷之一」の注作業は鶴岡八幡宮の「六角堂」まで更新した。ほぼ半分が終わった。その六角堂の注に附した、僕がずっと言いたかったこと――
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こうした仏教関連施設は廃仏毀釈令によって完膚なきまでに破壊された。「鎌倉市史 社寺編」の「鶴岡八幡宮」の「八 神仏分離とその後」には、明治三(一八七〇)年五月までに諸堂宇は破壊され、古材木として売り払われ、仏像・経典・仏具も売却・焼棄、古物店に曝され、それらがまた各所を流転する様が述べられている。『鐘楼にあった正和五年鋳造銘の梵鐘は、横浜の古道具商が買取って鎌倉で鋳潰して持って行』き、『附近の町家には破壊された堂舎の古材を使用したものがあるといわれている』とその惨状を伝える。後で鐘銘が掲げられるが、正和五年とは西暦一三一七年、当時から遡っても五五〇年以上(今からなら凡そ七〇〇年)も昔の鎌倉時代の銘鐘であった。全く以て愚かな話である。自虐史観修正なんぞを声高に叫び、海外に流出した美術工芸品を返せと主張する前に、我々が過去にどんなに愚かしいこをして来たか、してしまったかをしっかりと検証する必要がある。過去の自分たちの愚かさを知らずにいることは少なくとも人として恥である。