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2012/06/18

耳嚢 巻之四 産物者間違の事

 産物者間違の事

 

 或人三年酒を德利に入て仕廻忘れしに、七八年其餘も立て、藏の掃除などに取出せしに、德利もわれ何か底に殘りし一塊の有しを、人々よりて何ならんと疑ひし上、右一塊を奇麗にとり分て、事を好む者淸壽館(せいじゆかん)へ持行しに、諸醫判斷の上、上品のミイラ也と札を付し由。彼持主微笑せしと人の語りけると也。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:連関を感じさせないが、強いて言えば、ある意味、誰にも大きな損害を与えぬ怪しき騙りという繋がりはあるか。最後の「微笑」が――いいね!

・「産物者」学者。博物学者。

・「三年酒」一般に落語などで聞く「三年酒」は飲んだら三年目覚めないという都市伝説の秘酒であるが、ここは今流行りの古酒、三年寝かせた日本酒である。

・「何か底に殘りし一塊」三年酒の腐敗後の酒精滓か。有意に有形の固形物であるなら、何らかの外力によって徳利が割れて酒が流出するも、まだ幾分かが底部に残っていた折りに、破損個所から侵入した小動物(比較的大型の昆虫や節足動物・トカゲのような小型爬虫類・鼠の子のようなものが考えられる)が、そこでそのまま死亡し、乾燥したものと考えられる。最初はアルコールによる一種の液浸標本のようになり、その後にゆっくりと乾燥したと考えると文字通りの「ミイラ」で面白い(ここでの「ミイラ」は後注するように、所謂、生物体のミイラではないが)。

・「淸壽館」「躋壽館」が正しい。幕府の医学専門学校。現在の台東区浅草橋清洲橋通りにあった。明和二(一七六五)年、幕府奥医師多紀元孝(元禄八(一六九五)年~明和三(一七六六)年)が漢方医教育のために神田佐久間町に建てた私塾躋寿館を元とし(没年を見て分かるように創立の翌年に多紀は亡くなっている)、寛政三(一七九一)年に、医師養成の必要性を認めた幕府が官立の幕府医学館とした。台東区教育委員会の記載によれば、敷地約七千平方メートル、代々多紀家がその監督に当たり、天保十四(一八四三)年には寄宿舎を増設して全寮制となり、広く一般庶民からの入学を許可、江戸後期から明治維新に至る日本の医学振興に貢献したとある。――さすれば、この記事、その最初期の(官立になってからと考えた方が面白い)、その象牙の塔の誉れに、少しばっかり、ちゃちゃを入れるものとして、面白いではないか。

・「ミイラ」先にも記したが、これは所謂、「ミイラ」ではなく、ああした「ミイラ」を原料にして作られたと考えられていたフウロソウ目カンラン科コンミフォラ(ミルラノキ)属 Commiphora の樹木から分泌される樹脂を原料とした「没薬(もつやく)」を指している。ウィキ没薬によれば、没薬とは、ミルラ(あるいはミル、Myrrh)とも呼ばれ、『ミルラも中国で命名された没薬の没も苦味を意味するヘブライ語のmor、あるいはアラビア語のmurrを語源と』しており、『古くから香として焚いて使用されていた記録が残されている。 また殺菌作用を持つことが知られており、鎮静薬、鎮痛薬としても使用されていた。 古代エジプトにおいて日没の際に焚かれていた香であるキフィの調合には没薬が使用されていたと考えられている。 またミイラ作りに遺体の防腐処理のために使用されていた。 ミイラの語源はミルラから来ているという説がある』とする。『聖書にも没薬の記載が多く見られ』(具体はリンク先を参照)、『東洋においては線香や抹香の調合に粉砕したものが使用されていた』とある。形状は『赤褐色の涙滴状』の固まりで、『表面に細かい粉を吹いたような状態となる』とあり、リンク先の画像を見る限りでは、本件は徳利が割れた際に外部から雑菌や異物が入って腐敗が進行、その沈殿物が後にまた時間をかけて乾燥固形化したものという風に考えた方がよさそうだ。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 博物学者誤認の事

 

 ある人、三年酒を徳利に入れて大事大事に箱に仕舞(しも)うたはよいが、それを、すっかり忘れて仕舞うて御座った。

 

 さて、七、八年も経って、蔵の大掃除なんど致いたところ、見つけて箱から取り出だいて見たところが、徳利は割れて仕舞うて酒はとうに一滴たりと残ってはおらず――ただ、その乾き切った、もと徳利の底と思しい辺りに――何やらん、得体の知れぬ――塊りが一つ――御座った。――

 家内の人々、打ち寄って、

「……何じゃろ?……」

と、皆して矯めつ眇めつするも――分らぬ。――

 

 さて、ここにある悪戯好きな男が御座った。

 彼、この異物を、当時の天下の躋寿館(せいじゅかん)へ――以上の事実を総て隠して、飽くまで出所不明の奇体なる異物という触れ込みで――持ち込んだところが、……

……居並ぶ医師ども……

……額に皺寄せて頻りに論議致いて御座ったが――

「――よく精製されたところの、所謂、ミイラと同定される。」

と決し、定式標本として恭しく箱に収められ、

――上品 木乃伊――

と記した標札を添附の上、医学館の棚に飾られることと相い成ったそうな。――

 

 かの三年酒の元の持ち主、これを聞いて微苦笑した――と、ある人の語った、ということで御座る。

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