生物學講話 丘淺次郎 二 進んで求めるもの(一)
本段はやや長く、挿絵も多いので分割して公開する。
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二 進んで求めるもの
大抵の動物は自身に進んで餌を求めるものであるから、この組の中には食物の種類も之を取る方法も實に千態萬狀で、到底之を述べ盡す遑はない。植物を食ふものもあれば動物を食ふものもあり、同じく植物を食ふといふ中にも、葉を食ふもの、根を囓るもの、果實を食ふもの、芽を啄むもの、花の蜜を吸ふもの、幹の心を嚙むものなどがあり、大きな餌を一部づつ食ふものもあれば、小さな餌を多く集めて一度に丸呑みにするものもある。而していづれの場合に於ても動物の口の形、齒の構造などを見れば、各々、その食物の食ひ方によく適して居る。進んで餌を求める動物の餌の取り方を殘らず列擧することは勿論出來ぬから、ここには、たゞその中から多少常と異なつたと思はれるもの數種を掲げるに止める。
[やぶちゃん注:「遑」は「いとま」と読み、「暇」に同じ。]
[なまけもの]
南アメリカの森林に住む「なまけもの」といふ小犬位の大きさの獸は常に緑葉を食物としているが、四肢ともに指の先には三日月狀に曲つたた大きな爪があつて、之を樹の枝に懸け、背を下に向けてぶら下がりながら木の棄を食つて居る。木の葉は近い處に幾らでもあつて、決して遠方まで探しに行く必要がなく、且繁つた森林では隣れる樹の枝と枝とが相觸れて居るから、次の樹に移るに當つても態々地面まで降りるには及ばぬ。それ故、この獸は生まれてから死ぬまで樹の枝からぶら下つて生活して、一度も地上へ降りて來ることはない。猿などが樹の枝を握つて居るのは、指を屈げる筋肉の働きによること故、死ねば指の力がなくなり枝を握ることも出來なくなるが、「なまけもの」は曲つた爪を枝に掛けて居るのであるから、死んでもぶら下つたまゝで決して落ちて來ない。眠るときにも無論そのまゝである。
[やぶちゃん注:「なまけもの」哺乳綱異節上目有毛目ナマケモノ亜目ミユビナマケモノ科 Bradypodidae 及び フタユビナマケモノ科 Megalonychidae に属する二科五種。一日の主食の植物の摂取量は約八グラムと、基礎代謝量が極端に低いため、外気温に合わせて体温を変える、哺乳類では珍しい変温動物である。天敵はワシでワシの主採餌の三分の一はナマケモノが占めるという(以上はウィキの「ナマケモノ」に拠った)。]
[穿山甲]
アフリカ、アジヤの熱帶地方から臺灣にかけて穿山甲といふ奇妙な獸が居る。この獸は尾が太くて全身大きな堅い鱗で被はれて居るから、昔の本草の書物には陸鯉などと名をつけて魚類の中に入れてあるが、腹側を見れば普通の獸類と同じく一面に毛がはえて居る。常に蟻の巣を掘つて蟻を食つて居るが、そのため前足の爪は特に太くて鋭い。また舌は蚯蚓のやうな形で非常に長く、且頸の内にある唾腺から出る極めて粘つた唾液は恰も黐(とりもち)を附けた如くによく粘著する。蟻や白蟻の巣は熱帶地方には隨分大きなのがあつて、一つ掘れば何十萬も何百萬も蟻が出るが、之を忽ち嘗めて食ふにはかやうな舌は最も重寶であらう。
[やぶちゃん注:「穿山甲」哺乳綱ローラシア獣上目センザンコウ目センザンコウ科Pholidota Weber。背面と尾と四足(裏面を除く)が硬い鱗様の松毬(まつぼっくり)状を呈する角質(体毛に由来する)に覆われている。全体的な姿は、南米の哺乳綱獣亜綱異節上目被甲目
Cingulata Illiger アルマジロに似るが、アルマジロの鱗片が単なる装甲機能しか持たないのに対し、センザンコウの鱗片は縁の部分が薄く鋭く固くなっており、防衛のために丸くなった際には、この鱗が突き立てられ、特にその尾部を振り回して積極的に相手への攻撃も行うことが知られている。なお、講談社学術文庫版で「穿山甲(ありくい)」とするが、( )は編集部による『現在慣用されているもの』ということなのだが、現在の生物学的知見では誤った補注である。確かに古くは食性や形態が哺乳綱異節上目有毛目アリクイ亜目アリクイ
Vermilingua Illiger に似ていることからアリクイ目(異節目・貧歯目)に分類されてはいたが、名前は現在もセンザンコウであり、更には体の構造が異なることから、現在は別の目として独立している。参考にしたウィキの「センザンコウ」によれば、このローラシア獣上目センザンコウ目は『意外にもネコ目(食肉目)に最も近い動物群であることは、従来の化石研究でも知られていたが、近年の遺伝子研究に基づく新しい系統モデルでも』、ローラシア獣上目の獣類(Laurasiatheria:ローラシアテリア。哺乳類真獣下綱の現生有胎盤類の四つの下位タクソンの一つ。)の一つとして、ネコ目(特に同系統と目されている)・ウマ目(奇蹄目)・コウモリ目の近縁グループとされている。
「昔の本草の書物には陸鯉などと名をつけて魚類のなかに入れてある」本邦でも寺島良安は「鯪鯉」を「和漢三才圖會 卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類」に入れて、ご丁寧に、『本朝にも九州の深山の大谷の中に、鯪鯉、希れに之有り。』『俗に云ふ、波牟左介(はんざけ)。』と記す。これは勿論、ハンザキ=両生綱有尾目サンショウウオ亜目オオサンショウウオ
Andrias japonicas とセンザンコウを誤認したものである。但し、センザンコウを「本草綱目」の記載や杜撰な図でしか見たことのない良安先生が、類似生物をハンザキとしたのは無理からぬことと思うし、寧ろ、良安先生が魚類とせずに、爬虫類としたところを評価すべきであろう。]