鎌倉時代の四股名って面白い
角觝 建久三年八月十四日、廻廊の外庭に於て相撲の取手を召決せられ、右大將家御覧、藤判官邦通奉行す。
一番 奈良ノ藤次 相手 荒次郎
二番 鶴次郎 同 藤塚目
三番 犬武五郎 同 白河ノ黑法師
四番 佐賀良江六 同 傔伏太郎
五番 所司ノ三郎 同 小熊ノ紀太
六番 鬼王 同 荒瀨ノ五郎
七番 紀六 同 王鶴
八番 小中太 同 千手王
[やぶちゃん注:「角觝」は音は「かくてい」、これで「すまう(すもう)」とも読ませる。「角」は爭う、「觝」は触れるの意で、力比べや相撲をすること。中国起源。この建久三(一一九二)年八月十四日の「吾妻鏡」の条を見ると、翌日行われる次の項の放生会の神前奉納相撲の取手の予選会として行われていることが分かる。上段が勝ち力士である。「傔伏」は「傔杖」の誤植。鎌倉時代の四股名は自由で、プロレス並みに面白いではないか。幾つかを読んでおくと、「藤塚目」は「ふじつかめ」、「犬武五郎」は「いぬたけのごろう」、「白河ノ黑法師」は「しらかはのくろはうし」(若しくは「くろほっし」か「くろぼし」だが、「くろぼし」じゃ縁起が悪いか)、「佐賀良江六」は「さがれえのろく」、「傔杖太郎」は「けんぢやうたらう」、「小熊ノ紀太」は「こぐまのきた」、「鬼王」は「おにわう」、「王鶴」は「わうづる」(これは今でも使えそう)であろう。
「藤判官邦通」藤原邦通(生没年未詳)は頼朝の初期の右筆。有職故実に通じ、博覧強記、頼朝の旗挙げ以来の近臣である。緒戦の山木判官兼隆襲撃の際には、『直前に、酒宴にかこつけて兼隆の館に留まり、周囲の地形を絵図にして持ち帰り、それを基に頼朝達が作戦を練った』と伝えられる(以上はウィキの「藤原邦通」に拠った)。]