耳囊 卷之四 產物者間違の事 その二
又
近き頃產物者の判斷にて鐵木也とて、眞黑に至て堅き物の長さ五六寸にて四五寸廽りの物を所持せし人あり。いづれ奇品迚(とて)机上に調寶せしを、上總より抱へし下女是を見て、是は何ゆへ調寶なし給ふやと尋し故、鐵木と云物也と答へしかば、彼婢女(はしため)大きに笑つて、我々の國にはいくらも有品也、海中のあらめの根にて、食料にもならざる故取捨候品の由を申ける故、暫く寵愛せし鐵木、一時に寵衰へけるもおかし。
□やぶちゃん注
○前項連関:「博物学者誤認の事」その二。
・「鐵木」「鉄刀木」と呼ばれたマメ目ジャケツイバラ科センナ属タガヤサン Senna siamea のことと思われる。東南アジア原産で、本邦では唐木の代表的な銘木として珍重された。材質硬く、耐久性があるが加工は難。柾目として使用する際には独特の美しい木目が見られる。他にも現在、幹が鉄のように固いか、若しくは密度が高く重い樹木としてテツボク(鉄木)と和名に含むものに、最も重い木材として知られるキントラノオ目Calophyllaceae科セイロンテツボク Mesua ferrea ・クスノキ科ボルネオテツボク(ウリン)Eusideroxylon zwageri ・マメ科タイヘイヨウテツボク(タシロマメ)Intsia bijuga が確認出来るが(これらは総て英語版ウィキの分類項目を視認したものだが、どれも種としては縁が遠いことが分かる)、これは英名の“Ironwood”の和訳名で、新しいものであるようだ。
・「あらめ」褐藻綱コンブ目コンブ科アラメ Eisenia bicyclis 。種小名の bicyclis は「二輪の」で、本種の特徴である茎部の二叉とその先のハタキ状に広がる葉状体の形状からの命名である。かつては刀の小刀の柄として用いたほど、付着根とそこから伸びる茎部が極めて堅牢である。太平洋沿岸北中部(茨城県~紀伊半島)に分布し、低潮線から水深五メートル程度までを垂直分布とする。茎が二叉に分かれ、葉状体表面に強い皺が寄る。似たものに、カジメ Ecklonia cava とクロメ Ecklonia kurome があるが、カジメは太平洋沿岸中南部に分布し、水深二~十メートルまでを垂直分布とし、茎は一本で上部に十五枚から二十枚の帯状の葉状体が出るものの、葉の表面には皺が殆んどない点で区別出来、クロメは、カジメよりもやや南方に偏移する形で太平洋沿岸中南部及び日本海南部に分布し、垂直分布はカジメよりも浅く、二種が共存する海域では、カジメよりも浅い部分に住み分けする。茎は一本で上部にやはり十五枚から二十枚の帯状の葉状体が出るが、葉の表面には強い皺が寄っている。また、乾燥時にはカジメよりもより黒くなる。但し、クロメの内湾性のものは葉部が著しく広くなる等の形態変異が極めて激しく、種の検討が必要な種とされてはいる(以上の分類法等は二〇〇四年平凡社刊の田中二郎解説・中村庸夫写真の「基本284 日本の海藻」に依った)。以上は、私の電子テクスト、寺島良安の「和漢三才圖會 卷九十七 藻類 苔類」で私が注したものを省略加工して示した。よろしければそちらも参照されたい。
■やぶちゃん現代語訳
博物学者誤認の事 その二
最近のことにて御座る。
学者の鑑定によって「鉄木――銘木タガヤサン――に間違いなし」とされた――漆黒・材質極めて堅牢・全長十五~十八センチメートル・周径十二~十五センチメートル――品を所持して御座ったお人があった。
何れ、世にも稀なる奇品なりと、机上に厳かに飾り置いて大事にしておったところが、ある日のこと、家に召し使(つこ)うておった上総より雇うて御座った下女、これを見て、
「……あのぅ……だんなさん……これは……はあ、まあ、こんなもんを……どうして、こんなに大事になさって、おられるんか、のぅ?」
と訊ねる故、田舎丸出しの無知なる婢女(はしため)なればと憐みの目を向けつつ、如何にも荘重に、
「――これは、の――鉄木と言うて、の――世にも稀なる、宝物(ほうもつ)にも値するもの、な、の、じゃ――」
と言うた。
――と――
それを聞くなり、婢女、大いに笑(わろ)うと、
「……だんなさん!……おいらの国ににゃ、こんなもん、いくらもあるじゃ!……海ん中のアラメの根えで、食いもんにもなんねえから、いっとう先に捨てっ、ちまうじゃ!――」
と申した。……
……永きに亙って重宝なりとして大切にして御座った、奇品にして稀品のはずの『鉄木』が――これ、一瞬にして愛玩の情失せしとは――これ、実におかしきことじゃ。