耳嚢 巻之四 黄櫻の事
黄櫻の事
櫻に黄色なきと咄合けるに、或人の言へるは、駒込追分の先に行願寺といへる寺に黄櫻あり。尤(もつとも)山吹黄梅などの正黄にはあらず。然れども白にうつりて黄色なる一重の花に、彼寺の名木と近鄰にももてはやしぬるを、旦家(だんか)の内ひそかに參詣の折から、根より出し芽をかきて四五度も植付しが、相應に生育しては枯ぬ。一本根づきしと覺しも、花咲出しを見れば一重の山さくらゆへ、和尚へしかじかの事有躰(ありてい)に咄して、何卒植木し度(たき)由を願ひしかば、安き事也とて請(うけ)がへければ、植木やなど雇ひて繼穗(つぎほ)せしに、是又花咲ぬれど山櫻の白きにて有りし故本意なく過しが、寺内にて根分せし櫻はやはり黄色にて有し由。土地にもよりけるや、不思議成事と語りぬ。右旦家と言るは、笛吹の春日市右衞門(しゆんにちいちゑもん)也とも聞し由也。
□やぶちゃん注
○前項連関:物怪から木怪へ。フローラの本格記載は「耳嚢」では珍しい。
・「黄櫻」この呼称は複数の桜の栽培品種を指すようで、代表種は二種、一つはバラ目バラ科サクラ属サトザクラの品種ギョイコウ
Cerasus lannesiana 'Gioiko' で、「御衣黄」と書く。今一つは、ウコン Cerasus lannesiana
'Grandiflora'で、「鬱金桜」「黄桜」「浅葱桜(浅黄桜)」などとも呼ぶもの(人口に膾炙するカレーに含まれるショウガ目ショウガ科ウコン Curcuma longa とは全くの別種)。前者ギョイコウ Cerasus lannesiana 'Gioiko'は、花期はソメイヨシノより遅く、花の大きさは場所によって異なり、本州中部で直径二~二・五センチメートル、北海道で四~四・五センチメートル。花弁数は一〇から一五枚程度の八重、花弁は肉厚で外側に反り返る。色は白色から淡緑色、中心部に紅色の条線があり、開花時には目立たないが、次第に中心部から赤みが増してきて紅変し、散る頃にはかなり赤くなる。花弁の濃緑色の部分の裏側にはウコンにはない気孔が存在する(以上のギョイコウの記載はウィキの「ギョイコウ」に拠った)。後者のウコン Cerasus lannesiana 'Grandiflora'は、ギョイコウに比して色は緑色が弱く淡黄色。数百品種あるサクラのうちで唯一、黄色の花を咲かせる桜として知られる。花弁数は一五から二〇枚程度の八重、ギョイコウのようには厚くなく、気孔もない。本種は国外でも人気が高い(以上のウコンの記載はウィキの「ウコン」に拠った)。いずれも開花時期はソメイヨシノより遅めの四月中下旬で、ともに花の緑色は葉緑体によるものであるが、ウコン
Cerasus lannesiana 'Grandiflora'の方が葉緑体の含有量が少ないため、もっと薄い淡黄色で、こちらの方が以上の通り、「黄桜」の呼称としては分があるが、本文では「一重」とあり、ウコンもギョイコウも八重であが、花弁数が少ない場合、八重の印象の持たないものもある点からギョイコウ
Cerasus lannesiana 'Gioiko' を同定候補から外すことは出来ない。
・「駒込追分」中山道と日光御成街道(岩槻街道)の分岐点。当時、ここは本郷ではなく旧駒込村に属した。江戸期には現在の東大農学部前本郷通りの反対側にその一里塚があった。
・「行願寺」諸注より、文京区本駒込にある既成山光明院願行寺のこととする。駒込追分の北の東側にある浄土宗の寺で、品川願行寺開山観誉祐宗の孫弟子観誉祐崇が明応三(一四九四)年に開山、慶長年中は馬喰町にあったが、明暦の大火の後に現在地へ移転した。江戸期には塔頭九院を擁した大寺院であった。但し、ネット上の検索では、現在、ここに桜があるかどうか、それがウコンかギョイコウか、はたまた全くの別種かなどは判明しなかった。本文に「一重」とあるのも非常に気になっている。御存知の方は是非、お教え頂きたい。
・「春日市右衞門」諸注によれば、能の観世流笛方である春日家七世市右衛門長賢(享保六(一七二一)年~寛政十二(一八〇〇)年)。この話柄、最後にこの事実を明かすこと、それを最後に根岸が記していることに、私は興味がある。これは本話の原作者が、この話から能の「西行桜」などの花の精の登場する話柄を暗に連想させようとする意図があり、それを根岸はホームズよろしく、鋭く嗅ぎ取っているのではあるまいか? 識者の御意見を伺いたく思う。
■やぶちゃん現代語訳
黄桜の事
桜に黄色のものはないという話題になった折り、ある人の言うたことで御座る。
「……駒込追分の先の、行願寺という寺に、黄桜が、これ、御座るじゃ。尤も、山吹や黄梅といった感じのまっ黄色では御座らぬ。然れども、白っぽい黄色をした一重の花で御座っての、かの寺の名木として近隣にては、大層、もて囃して御座るものじゃ。……さても、左様なれば、さる檀家の者、毎度の参詣の折りから、こっそり、この根(ねえ)から生えた、芽(めえ)を掻き採って、四、五度も己(おの)が屋敷の庭へ植え付けてみた……が……ある程度まで成長致いては……枯れる。……それでも、一本根付いた……かと思うたも……さても花の咲いたを見れば……これ、一重の……ただの白(しいろ)い山桜じゃったそうな。……さればこそ、この檀家、芽では無理と考えたによって、行願寺が和尚へ、今までの、こっそりぶっ掻いて御座った非礼不作法を深謝の上、『何卒、接ぎ木を致させて戴きたし!』と願い出たところ、和尚は『易きことじゃ』と承諾致いた故、玄人の植木屋なんども雇い、念には念を入れて、大事大事に接ぎ穂致いた……なれど……これまた、花は咲いたものの……ただの白(しいろ)い山桜じゃったという。……なれば、流石に、かの檀家も、仕方のう諦めた、とのことで御座ったよ。……因みに、寺内(てらうち)にて根分け致いた桜は、これ、やはり、黄色にて咲くとのこと故、これはもしや……かの地の特殊なる地(ちい)の質や不可思議なる養分にても、拠る、とでも申すので御座ろうかのぅ?……いっかな、不思議なことにて御座るじゃ……。」
なお、この『檀家』というのは、観世の笛方の春日市右衛門であるとも聴いた、とのことで御座る。