フォト

カテゴリー

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 20250201_082049
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の Pierre Bonnard に拠る全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

無料ブログはココログ

« 生物學講話 丘淺次郎 一 個體の起り | トップページ | 鎌倉攬勝考卷之二 始動 »

2012/06/14

耳嚢 卷之四 人間に交狐の事

 

 人間に交狐の事

 

 丹波の國、處は忘れしが富家の百姓有りしが、數人其家にある翁の、山の岨(そは)に穴居して衣服等も人間の通(とほり)食事も又然(しか)也、年久敷仕へし幼兒を介抱などし、農事家事共手傳、古き咄などする事は更に人間とは思われず。され共年久敷ありければ家内老少共是を調寶して怪しみ恐るゝ者もなし。然るにある時かの家長にむかひて、我等事數年爰許にありて恩遇捨がたしといへども、官途の事にて此度上京して、永く別れを告也と語りける故、家長はさら也、家内共に大に驚き、御身なくては我家いか計か事足るまじ、殊には數年の知遇とて切に留めけれど、不叶(かなはず)とて明(あけ)の日よりいづち行きけん行衞知れざれど、彼翁別れを告る時、もし戀しくも思ひ給はゞ、上京の節富士の森にておぢいと呼給ふべし、必出て對面せんといゝし故、始て狐なる事を知りて藤の森に至り、うらの山へ行ておぢいと呼(よばは)りしかば、彼翁忽然と出來りて安否を尋ね四方山の物語りし、立別れける時、御身の知遇忘れがたければ、此上家の吉凶を前廣(まへびろ)に告(つげ)ん、狐の三聲づゝ御身の吉事凶事に付鳴(つきなき)なば其愼み其心得あるべきと言て立別れしが、果して其しるしの通りなりし由。

 

□やぶちゃん注

 

○前項連関:四つと五つ前の妖狐譚で連関。表題は「人間に交はる狐の事」と読む。

・「仕へし」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『仕へして』。こうでないと意味が通じない。

・「數人其家にある翁の」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『數年其家におる翁の』。ここもこうでないと意味が通じない。

・「富士の森」前出。藤の森。京都市伏見区深草の地名。同地区には伏見稲荷がある。

・「前廣に」副詞。前もって。予め。

 

 

■やぶちゃん現代語訳

 


 人間に交わる狐の事

 


 丹波国――在所は忘れたが――裕福な百姓があった。

 その家に、数年仕えておったとある翁で、山の崖にあいた穴に住まい致し、衣服なども人間と同じで、食事もまた、少しも変わるところなかった。年久しく仕えて、幼児の世話など致し、農事・家事なんども手伝い、古く遠い御世の話を、恰も見てきたかのように語る、その語り口なんどは、更に人とは思われぬ、所謂、異人奇の類では御座った。

 

 されども、長年の付き合いにてありければ、家内の者は老少を問わず、皆、彼を重宝して、怪しみ恐れる者は一人として、なかった。

 

 然るに、ある日のこと、その翁、家(や)の主人に告げた。

 

「――我らこと、数年、ここもとにあって厚遇を受け、まことにその御好意、捨て難く存ずれども――このたび、官位拝受のことあって、上京致すことと相い成って御座る。――永のお別れを告げんとこそ――」

 

と語る故、主人は勿論のこと、家内一同、大いに驚き、

 

「……御身なくては、我が家は立ち行かなくなろうほどに……」

 

「……何と申しても、永い付き合いでは御座らぬか……」

 

と、皆々、せつに引き留めて御座ったれど、

 

「――いや、こればかりは、我が意にてもどうにもならぬのじゃ――」

 

と、その翌日には、何処へどうしたのやら、行方知れずと相い成った。

 

 ただ、かの翁、前日に別れを告げた、その最後に、

 

「――もし拙者がこと、懐かしゅうお思いになられることなんぞの御座ったならば……上京の砌、藤の森をお訪ねあって、『おじい』とお呼びなさるがよい。……必ず、出でて、対面せんに……。」

 

と言い残して御座った故、一同の者は、これ、初めて――かの翁は狐であったを――知ったので御座った。

 

 後日のこと、家の主人、藤の森を訪れ、その裏山へと参って、

 

「おじい――おじい――」

 

と呼ばわったところ、かの翁、忽然と出で来たって、互いに安否を訊ね、四方山話を致いたが、さあ、その別れ際に、翁は、

 

「……御身の知遇、これ、まこと、忘れがたい。……なればこそ……向後、主が家の吉凶、これ、拙者が前もってお告げ致そうぞ。……狐が

 

――コン、コン、コン――

 

と、三度ずつ鳴く……それは御身の吉事や凶事につき、その予告をするものじゃと心得られよ……狐が

 

――コン、コン、コン――

 

と鳴いたならば……その時は、相応に身を慎み、吉凶の到来の心構えをなさるがよろしゅう御座る……」

 

と告げて別れたという。

 

 ……その後、果たして……

 

――コン、コン、コン――

 

と、三度の狐鳴きが御座ると……その通りの不可思議なることが、必ず起こった、との由。

« 生物學講話 丘淺次郎 一 個體の起り | トップページ | 鎌倉攬勝考卷之二 始動 »