耳嚢 巻之四 小兒行衞を暫く失ふ事
小兒行衞を暫く失ふ事
寛政六七の頃、番町に千石程もとれる何某とかや言るは、身上(しんしやう)も相應にて其主人折目高き生れにて有りしが、八才に成りし息女、ある日隣家へ三味線など引唄を唄ひて、乞食の男女門に立て囃子物などせし音を聞て、頻りに見度(みたき)由を申ける故、奧方もかろがろしきとて制し戒めけるを、いかにいふても聞わけず、庭へかけ出なんどせしを乳母など押止めけれど聞入ず、納戸(なんど)の内へ缺入(かけいり)しを、乳母は直(ぢき)に立て納戸へ押つゞき立入しに、娘の行方なしとの由奧方へしかしかとかたり、家中驚きて雪隱物置はいふに不及、屋敷中くまなく搜せ共(ども)しれざれば、主人の外へ罷りしを呼戻し、糀町變迄近隣を搜し尋れども更に影もなければ、奧方は大きに歎き、祈禱などして色々手を盡しけるに、三日目に納戸の方にて右娘の聲して泣し故、搜しけれど見へず。又庭にて泣聲せし故缺出(かけだし)みれば右娘成故、早々取押へ粥藥抔與へけるに、髮には蜘(くも)の絲だらけにて、手足抔はいばら萱野(かやの)を分け歩行(ありき)し如くに疵共(きずども)多くありし故、早々療養して右の樣子を尋問(たづねとひ)しに、一向不覺(おぼえざる)由を右小女のいひしが、いかなる事にてありしや、其後は別の事もなく、當時は十五六才にも成べしと人の語りぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:狐狸によらんかの狂乱から天狗に攫われた如き神隠しへ。更に私はASD(Acute Stress Disorder 急性ストレス障害)直連関とも採る。異次元のパラレル・ワールドや天狗の神隠しなんどを肯定出来ず、怪しもうと思えば怪しめる隣家に門付する「乞食の男女」や当家の「乳母」も事件とは無関係――とすれば――この納戸と満七歳の少女に、その真相を解き明かす鍵を求めるしかあるまい。まず気づくのは、この手の超常現象や事件性のないとされる神隠しでは、失踪する人物に失踪動機がない場合が多いのだが、彼女は自分の望みが受け入れられないことへの激しい感情的高揚の動機がある点で、寧ろ、「神隠し」としては特異である。更に言うなら、彼女のヒステリー状態から、もしかすると彼女には脳に何らかの器質的な変性若しくは精神病質があったことも疑える(「其後は別の事もなく、當時は十五六才にも成べし」とあるが、正に婚期を迎えた千石取りの武士の娘で、例えば間歇的な意識混濁や癲癇といった症状があった場合でも、それを公にはしないであろう)。加えて、この納戸には現当主の知らない、例えば唐櫃の底が何らかのスイッチによって反転して床下へ抜けるような秘密の仕掛けがあって(時代劇ではしばしば見かけるが、ある種の武家屋敷には、そうした仕掛けが実際にある)、たまたまそうした箇所に入り込み、何らかの弾みでからくりの機能が起動し、彼女は床下に転落、その際に頭を打ったか、もしくは先にいったような体質(病質)から長時間の失神状態となったと仮定することは出来まいか。暫くして覚醒した彼女が真暗な床下を闇雲に這いまわって行ったなら、「髮には蜘(くも)の絲だらけにて、手足抔はいばら萱野を分け歩行し如くに疵共多く」生ずるのは全く以って自然であり、そうして遂には庭に通ずる縁側から脱出した、という仮説である。満七歳であれば、この未曾有の恐怖パニック体験はASDとなって、「右の樣子を尋問しに、一向不覺由を右小女」が証言するのも、よく理解出来るのである。
・「千石程」ネット上の記載によれば、江戸時代に家禄千石の旗本は家数でいえば上位十六%に入るまずまずの家格で、軍役基準に照らすと、小者も含めて二十一扶持。大名の場合、相場は知行の三分の二が家臣の知行相当であったというから、家臣に千石出せるのは知行五万石以上の大名であろう、とある。因みに、根岸の場合を見ると、天明七(一七八七)年の勘定奉行抜擢後に家禄は二〇〇俵蔵米取から五〇〇石取りとなり、その後の寛政十(一七九八)年の南町奉行累進などでも加増があったと思われ、後に最終的には逝去直前の加増によって千石の旗本となっている。
・「缺出(かけだし)」は底本のルビ。寧ろ、私が附したように先に「缺入(かけいり)しを」とすれば、ここはいらない。
・「當時は十五六才にも成べし」本「卷之三」の執筆を寛政九(一八〇四)年とすると、たかだか二、三年でまだ十、十一歳となる。寛政六(一八〇一)年か七年から七、八年後は、享和元・寛政十三(一八〇一)年か享和二年となり、これは鈴木棠三氏が言う「卷之六」の下限である文化元(一八〇四)年に近い。そうして、鈴木氏はこの「卷之六」は先行する前二巻の補完的性格が強いとするから、この時期に根岸が、律儀に記載の補正を行った可能性が考えられる。
■やぶちゃん現代語訳
小児の暫くの間の行方知れずの事
寛政六、七年の頃のことで御座る。
番町に、千石ほども扶持を持った、暮らし向きも相応にして、折り目正しき家柄の何とか申す御仁が御座って、八歳になる息女があられた。
ある日、隣家へ三味線など弾いてざれ歌を唄っては物乞いする門付けの男女が来たって、その囃子なんどする音を聴き、かの息女、頻りに見たいとねだって御座った。奥方は、
「かのようなる下賤の者のなすを見るなんどというは軽々しきこと!」
とてお許しのまられず、強く言うて御座ったが、如何に言うても聞き分けずに、今にも庭へ駆け出さんとせば、乳母なんどが止めたれど、やはりお聞き入れになられず、その押さえた乳母の手を振り払うや、癇癪を起して部屋奥の納戸の中へと走り入ったによって、乳母はすぐ、その後を追うて、続いて納戸へと入ってみたところが――娘の姿――これ――ない。――
乳母は直ちに奥方へ報じ、家中の者も皆、驚き、雪隠から物置に至るまで、屋敷中、隈なく捜して御座ったれど――やはり杳(よう)として――行方が知れぬ。所用にて外出して御座った主人を急遽、呼び戻いて、遙か南の麹町辺りまで足を延ばして、近隣近在を捜し尋ねたが――影も形も――ない。
奥方は大いに嘆き、一両日、祈禱師を頼むなんど致いて、色々と手を尽くいたが――これ、万事休して御座った。――
――ところが――
……姿を消して丁度、三日目のこと、家中の者の一人が、
「……納戸の方(かた)にて、かの姫様の声がしたやに思われまする!……」
と告げ、更に別な者からは、
「……確かに! 納戸の辺りにて、姫さまの泣く声を聞いて御座る!……」
とのこと故、納戸や、その周辺やら、捜いてみたものの、やはり――姿は見えぬ。
……なれど今度はまた……奥方自身、庭ではっきりと泣き声がするのを、聞いた!
……駆けつけて見ると……これ……
――娘――で御座った。
……慌てて抱きかかえ……粥や薬餌なんど与えて、介抱致いた。
……髪は蜘蛛の糸にまみれ、手足などは、茨(いばら)か茅(かや)の野原を掻き分けて歩いて参った如く、傷や擦過の跡が夥しく残って御座った。
即座に手厚き療養を致いて、落ち着いた頃合い、父母、打ち揃うて、
「……この間(あいだ)……どこでどうして、御座ったじゃ?……」
と問うてみたれど……
「……なあんにも……覚えて……おらん……」
と娘は答えたと言う。
……一体……これは……どう解釈したらよいのであろうか?
……なお、この息女は、その後は別段、どうということものう、今は十五、六歳にもなっていよう、と知れる人が語ったことで御座る。
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