生物學講話 丘淺次郎 第三章 生活難
第三章 生活難
生物の生涯が食うて産んで死ぬといふ三個條に約めることが出來るが、先づその中の食ふことから考へて見るに、食物の種類にも、その食ひ方にも、之を獲る方法にも、實に種々雜多の差別がある。生きるためには食はねばならぬといふことに例外はないが、食物の中には滋養分を多く含むものと少なく含むものとがあり、隨つて時々少量の食物を食へば事の足りる生物もあれば、また多量の食物を晝夜絶えず食はねば生きて居られぬ生物もある。併しながらいづれにしても食物の方には一定の制限があり、生物の繁殖力の方には殆ど限がないから、食ふためには是非とも劇しい競爭が起らざるを得ない。植物の如きは、日光の力を借りて炭酸瓦斯・水・灰分等から有機成分を造つて生長し、これらの物は到る處ににあるから、競爭にも及ばぬやうであるが、適度に日光が當り適度の濕氣を具へた地面に制限があるから、やはり競爭を免れぬ。然も一株につき數百、數千もしくは數萬も生ずる種子の中で、平均僅に一粒を除く外は皆生存の望みのないことを思へば、如何にその競爭の激烈であるかが知れる。されば生物の生涯は徹頭徹尾競爭であつて、食物を多く食ふものも、少く食ふものも、肉食するものも、草食するものも、食ふためには絶えず働かねばならず、而して働いたならば必ず食へるかといふと、大多數のものは如何に働いても到底食へぬ勘定になつて居て、暫時なりとも安樂に食うて行けるものは金持の人間と寄生蟲との外にはない。然も、かやうな寄生蟲類が目前稍々安樂な生活をして居るのは、數多の難關を切り拔けて來た結果で、初め數百萬も産み出された卵の中の僅に一二粒だけが、この境遇に達するまで生存し得たのであるから、その生涯の全部を見れば無論劇しい競爭である。本章に於ては動物が食物を獲るために用ゐる、種々の異なつた方法の中から若干を選んで、その例を擧げて見やう。
[やぶちゃん注:「されば生物の生涯は徹頭徹尾競爭であつて、食物を多く食ふものも、少なく食ふものも、肉食するものも、草食するものも、食ふためには絶えず働かねばならず、而して働いたならば必ず食へるかといふと、大多數のものは如何に働いても到底食へぬ勘定になつて居て、暫時なりとも安樂に食うて行けるものは金持の人間と寄生蟲との外にはない。然も、かやうな寄生蟲類が目前稍々安樂な生活をして居るのは、數多の難關を切り拔けて來た結果で、初め數百萬も産み出された卵の中の僅に一二粒だけが、この境遇に達するまで生存し得たのであるから、その生涯の全部を見れば無論劇しい競爭である。」という部分、人間世界の因果に見えてくるから不思議だ。]