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2012/06/17

耳嚢 巻之四 珍物生異論の事

 珍物生異論の事

 

 大前何某の娘を外へ嫁(か)しけるに、右緣家の家僕ことの外骨折りし故、大前より提物(さげもの)を與へけるに、寛政九年の春右家來大前の元へ來りて、拜領の提物付(つき)候桃核(ももざね)の紐〆(をじめ)を、松平能登守殿醫師山田宗周といへる者來りて一覧の上、兼て人に賴まれ候間貸し呉候樣申故、其乞(そのこひ)に任せける處、其後右の醫師來りて、右紐〆の事は、兼て東海寺地中淨惠院に被賴(たのまれ)し故借り受し也、右子(ね)仔細は運慶の作にて東海寺に持傳へし十六羅漢を彫し桃核の紐〆什物(じふもつ)たる所、四五年已前右之内一つ紛失せしゆへ、見當り候はゞ取戻の儀世話いたし呉候樣賴(たのみ)に付、此間の紐〆を借受爭惠院へ見せ候處、紛失の品に無相違(さうゐなき)間、價ひは高料にて候共取戻し度(たき)由切に賴(たのむ)由を申候、給(たまはり)候物故伺(うかがふ)由申ける故、大前聞て、右桃核の紐〆は親の代より持傳へし品にて、幼年より五十年來所持の處、東海寺紛失の品と聞て與へば、東海寺の什物盜物(たうもつ)を買調ひ候に當り何共不相濟(なんともあひすまざる)事故、御身には外の紐〆可遣(つかはすべき)間、取戻し呉候(くれさふらふ)樣急度申談(きつとまうしだんじ)、代りには珊瑚珠(さんごじゆ)の玉を與へける故、漸(やうやく)に取戻し返しけるが、如何いたしけるや不思議成事と人にも咄、右類は幾つもあるべき事と尋しに或人のいへるは、右は東海寺の僧不存(ぞんぜざる)由の儀にて、右類は世に數多(あまた)ある品を、什物の十六羅漢の外はなき物と心得し故ならん、虞初新志(ぐしよしんし)といへる書に左(さ)の通有(とほりあり)と言(いひ)し故、安堵の思ひをなせしと大前語りける。

   記桃核念珠    經進文稾    高士奇

得念珠一百八枚、以山桃核爲之、圓如小櫻桃、一枚之中、刻羅漢三四尊、或五六尊、立者、坐者、讀經者、荷杖者、入定於龕中者、蔭樹趺坐而説法者、環坐指畫論議者、祖跣曲拳、和南而前趨而後侍者、合計之、爲數百五、蒲團竹笠、茶奩荷策、缾鉢經卷畢具、又有雲龍風虎、獅象鳥獸、戲猊猿猱、錯雜其間、初視之、甚了了、明窓浮几、息心諦觀、所刻羅漢、僅如一粟、梵相奇古、或衣文織綺繡、或衣袈裟、沓絺褐、而神情風致、各蕭散於松柏巖石、可謂藝至矣。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:武辺物ではないが、武士の節が関わることから、緩く連関しているように見える。

・「珍物生異論の事」は「珍物、異論を生ずるの事」と読む。

・「提物(さげもの)」腰にさげて持ち歩く印や巾着、煙草入れなどの総称。「こしさげ」とも言う。ここは印籠ととって訳した。

・「寛政九年」西暦一七九七年。

・「桃核(ももざね)の紐〆(をじめ)」の「紐〆(をじめ)」は「緒締」で、穴に口紐を通し、印籠・巾着・袋などの口を締めるもの。多く球形で玉・石・動物の角・象牙・金属・珊瑚などを素材とする。緒どめ。ここは桃の種に彫刻を施し、孔を開けて紐を通して印籠の口を締めるものとしたものと採っておく。

・「松平能登守」諸注は名を記さないが、美濃岩村藩第四代藩主松平乗保(寛延元(一七四八)年~文政九(一八二六)年)。当時は西丸若年寄で、後に老中となった。偶然と思われるが寛政九年は数え歳五十歳で、主人公の大前某と同世代であることが知れる。

・「山田宗周」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『山田宗固』とある。不詳。

・「東海寺地中淨惠院」は東京都品川区北品川三丁目にある臨済宗大徳寺派の万松山東海寺の塔頭浄恵院(現存)。ウィキの「東海寺」によれば、寛永十六(一六三九)年に徳川家光が沢庵宗彭を招聘して創建、沢庵を住職とし、沢庵禅師所縁の寺であるが、明治六(一八七四)年に寺領が新政府に接収されて衰退したとある。

・「子(ね)」この読みは自信がないが、恐らく「根付」のことと判断して、かく読んだ。厳密には「根付」と「緒締」はセットになった別個な部品名であるようだが、ここでは同じものとして考えた。

・「與へば」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『与へ置かば』とある。こちらの方が意味の通りがよいので、それで訳した。

・「盜物(たうもつ)」の読みは自信がない。

・「虞初新志」明末清初の張潮撰になる小説集。以下は巻十六にある(底本では全体が二字下げ)。「維基文庫」(中国語版ウィキ)の「虞初新志 巻16」から原文全文を引用しておく(一部の漢字を変え、カンマと「:」を読点に、読点を「・」に、「《 》」を鍵括弧に代え、「!」は句点に変えた)。

 

記桃核念珠

──高士奇(澹人)

得念珠一百八枚、以山桃核爲之、圓如小櫻桃。一枚之中、刻羅漢三四尊、或五六尊。立者、坐者、課經者、荷杖者、入定於龕中者、蔭樹趺坐而法者、環坐指畫論議者、袒跣曲拳和南麵前趨而後侍者、合計之、爲數五百。蒲團、竹笠、茶奩、荷葉、瓶缽、經卷畢具。又有雲龍・風虎・獅象・鳥獸・狻猊・猿猱錯雜其間。初視之、不甚了了。明窗淨幾、息心諦觀、所刻羅漢、僅如一粟、梵相奇古。或衣文織綺繡、或衣袈裟水田絺褐。而神情風致、各蕭散於鬆柏岩石。可謂藝之至矣。

向見崔銑郎中有「王氏筆管記」雲、唐德州刺史王倚家、有筆一管、稍粗於常用、中刻「從軍行」一鋪、人馬毛發、亭台遠水、無不精。每事複刻「從軍行」詩二句、如「庭前琪樹已堪攀、塞外征人殊未還」之語。又「輟耕錄」載、宋高宗朝、巧匠詹成雕刻精妙。所造鳥籠四麵花版、皆於竹片上刻成宮室人物・山水花木禽鳥、其細若縷、而且玲瓏活動。求之二百餘年、無複此一人。今餘所見念珠、雕鏤之巧、若更勝於二物也。惜其姓名不可得而知。

長洲周汝瑚言、「中人業此者、研思殫精、積八九年。及其成、僅能易半之粟。八口之家、不可以飽。故習茲藝者亦漸少矣。」噫。世之拙者、如荷擔負鋤、輿人禦夫之流、蠢然無知、唯以其力日役於人。既足養其父母妻子、複有餘錢、夜聚徒侶、飲酒呼盧以爲笑樂。今子所雲巧者、盡其心神目力、曆寒暑月、猶未免於饑餒、是其巧為甚拙、而拙者似反勝於巧也。因以珊瑚木為飾、而囊諸古錦、更書答汝瑚之語、以戒後之恃其巧者。

張山來曰、末段議論、足醒巧人之夢。特恐此論一出、巧物不複可得見矣、奈何。

 

さて以下、国立国会図書館の「近代デジタルライブラリー」の文政六(一八二三)の画像を元に訓読を試みる(当該画像の36~38に該当)。一部の原文は先の「維基文庫」版と異なるが、特にそこは示さない(こちらの方が正しいと思われる部分ばかりである)。〔 〕は割注、〈 〉は私の補綴。訓点は分かり易い左の和訓を総て採ったため、一部の文脈がおかしい(漢文訓読と和訓の混在)のはお許し願いたい。

 

桃核の念珠を記す     高士奇〔澹人〕

 念珠一百八枚を得、山桃の核を以て之を爲る。圓にして小(ちい)さき櫻桃(ゆすらむめ)のごとし。一枚の中、羅漢三四尊、或は五六尊を刻す。立〈つ〉者、坐す者、經を課する者、杖を荷ふ者、龕中(〈た〉うのうち)に入定する者、樹に蔭(いこ)ひ趺坐して法を説く者、環坐指畫論議する者、袒跣曲拳、和南(てをあはす)して前に趨て後(しりぞ)き侍する者、合〈せ〉て之を計ふれば、數五百と爲(す)。蒲團・竹笠・茶奩・荷策・瓶鉢・經卷、畢く具はる。又、雲龍・風虎・獅象・鳥獸・狻猊・猿猱有り。其〈の〉間に錯雜す。初〈め〉て之を視れば、甚だ了了(はつきり)ならず。明窗淨几、息心諦觀すれば、刻む所の羅漢、僅〈か〉に一粟のごとし。梵相奇古、或は文織綺繡を衣(き)、或は袈裟・水田(みすあさぎ)・絺褐(ちぢみのぬのこ)を衣る。而して神情風致、各々松柏岩石に蕭散す。藝の至と謂ふべし。

 向きに崔銑郎中、「王氏の筆管(ふでのじく)の記」に有〈る〉を見る。云く、『唐の德州の刺史王倚が家に、筆一管有〈り〉。稍(やゝ)常用より粗なり。中〔に〕「從軍行」一鋪を刻す。人馬毛髮、亭臺遠水、精絶ならざる無し。事每に複〈た〉「從軍行」の詩二句を刻す。「庭前の琪樹 已に攀るに堪〈へ〉たり 塞外の征人 殊に未だ還らざる」の語のごとし』〈と〉。又、「輟耕錄」に載す、宋の高宗の朝に、巧匠(さいくにん)詹成、雕刻精妙、造る所の鳥籠、四面の花版、皆、竹片上に於て成宮室人物・山水花木禽鳥を刻み、其〈の〉細き、縷のごとし。而して且つ、玲瓏(すきとう)り活動す。之を求〈む〉る〈こと〉二百餘年、複た此の一人〈として〉無し。今、余が見る所の念珠、雕鏤(ほりもの)の巧に、更に二物より勝るがごとし。惜くは其〈の〉姓名得て知すべからず。長洲の周汝瑚、言ふ、「呉中の人、此〈れ〉を業とする者、思を研(みが)き精を殫(つく)し、八九年を積〈む〉。其〈の〉成〈る〉に及〈び〉て、僅〈か〉に能く半歳の粟(こめ)易ふ。八口の家、以て飽くべからず。故に茲の藝を習ふ者、亦、漸く少なし。」(と)。噫(あゝ)、世の拙き者、荷擔(にもち)・負鋤(すきもち)・輿人(かごかき)・御夫(むまのくちとり)の流(たぐひ)、蠢然(をろかしく)として無知(ものしらぬ)、惟〈だ〉其の力を以て日に人に役(つかはれ)す。既に其〈の〉父母妻子を養ふに足〈れ〉り。複〈た〉餘錢有れば、夜は徒侶(ともだち)を聚め、酒を飲〈み〉、盧を呼〈び〉(ばくえきし)、以て笑樂を爲す。今、子が云ふ所の巧なる者、其〈の〉心神(こんき)・目力(がんりき)を盡し、寒暑歳月を歴(へ)て、猶〈ほ〉未だ饑餒(ひもじきめ)を免れざる〈が〉ごとし。是れ其〈の〉巧み甚〈だ〉拙と為す。而して拙き者、反〈り〉て巧みに勝〈た〉れるに似たり。因〈り〉て珊瑚木難を以て飾りて諸しを古錦に囊にし、更に汝瑚に答〈ふ〉るの語を書して、以て後の其〈の〉巧を恃む者を戒む。

張山來〈りて〉曰〈く〉、「末叚の議論、巧人の夢を醒するに足る。特に恐る、此〈の〉論、一たび出て、巧物、複た見〈みる〉ことを得べからざる、奈何せん。」〈と〉。

これは――凄い。神技に通ずることの難しさ、世の多くの拙なる、自称「業師」を退けつつ、これを語ることが、真の技芸者の滅亡をも促すという虞れを述べるこれは「小説」(下らない話)どころか――現代にも十分通用する、立派な文明批評である。

 

・「経進文稾」不詳。「文稾」は草稿の意であろう。識者の御教授を乞う。

・「高士奇」(一六四五年~一七〇四年)は清の文人政治家・書家。出身は浙江省平湖とされる。国学生(官僚候補生)として首都北京で科挙に臨むも合格出来ず、売文を生業とした。彼の作文揮毫した新年の春帖子(しゅんじょうし:立春の日に宮中の門に言祝ぎの春詞を書いて貼ったもの)が偶然に聖祖康煕帝の目にとまり、帝の特別の配慮によって約十日間で三度の試験を受験、それぞれ首席の成績で合格し内廷供奉(ないていきょうほう:宮中侍従)に任ぜられ、後、礼部侍郎(文部副大臣)に至る。没後、その功労をもって「文格」と諡号された。代表作に帝室書画に関する鑑賞録「江邨銷夏録」(一六九三年)がある(以上は遠藤昌弘氏の「臨書探訪31(48)」に拠った)。

・「櫻桃」このままなら文字通りなら、バラ亜綱バラ目バラ科サクラ亜科サクラ属サクラ亜属 Cerasus のサクラの実を指すが、先の左和訓の「ゆすらむめ」ならサクラ属ユスラウメ Prunus tomentosa を指す。実は「櫻」という漢字は本来はユスラウメを指し、実のなっている様を首飾りを付けた女性に見立てた象形文字であった。実は食用になり、かすかに甘さを持ち、酸味は少ない。サクランボに似た味がする(ユスラウメの記載はウィキの「ユスラウメ」に拠った)。

・「龕」仏塔。

・「祖跣」原文の「袒跣」の誤り。「たんせん」と読み、肌脱ぎして、裸足になること。

・「曲拳」体を深く屈して拳を隠すようにして礼をすること。

・「和南」先の左和訓で示されているように、合掌して礼拝すること。

・「趨り」は「はしり」(走り)と読む。

・「茶奩」は「ちやれん(ちゃれん)」と読み、茶箱。茶は仏家の霊薬である。

・「荷策」禪で用いるところの警策、策杖、大きな杖の意であろう。

・「瓶鉢」酒器。

・「畢く」「ことごとく」と訓ずる。

・「風虎」普通は前の「雲龍」とセットで四字熟語「雲龍風虎」として龍のあるところに雲の沸き起こり、虎のあるところには必ず風が吹き荒ぶという意から、同類相い呼ぶことを言うが。ここは一種の聖獣への尊称のように「雲」「風」を用いている。

・「獅象」「しぞう」か。獅子と象で大型哺乳類を後の「獸」から区別して示したものか、それとも単一の動物名か。識者の御教授を乞う。

・「戲猊」狻猊(しゅんげい)のことであろう。伝説上の動物である唐獅子。獅子に似た姿で、煙や火を好むとする。そこから寺院の香炉の脚部の意匠にされた。高僧の座所を「狻座」「猊座」と言い、また、古く手紙の脇付に用いた「猊下」というのもこれがルーツである。

・「猿猱」「猱」は「じゆう」と読む。岩波版の長谷川氏の注は、これをサル目真猿亜狭鼻下目ヒト上科テナガザル科テナガザル属Hylobates のテナガザルを指すとするが、私は直鼻猿亜目オナガザル科コロブス亜科シシバナザル属キンシコウ hinopithecus roxellana と考える。その根拠は私の電子テクスト「和漢三才圖會 巻第四十 寓類 恠類」の「猱 むくげざる」の私の注を参照されたい。但し「猿」との熟語になっているから、猿一般を現わしているので、特に同定の問題はない。

・「梵相奇古」羅漢の図像は通常、胡人の、しかも奇怪な姿形をとるものが多く、それを「胡貌梵相」と言う。ここもそれと同じことを指していよう。

・「文織綺」「文織綺繡」の脱字。「文織」は綾織(斜文織。経糸・緯糸が三本以上から構成される織物)、「綺繡」(美しく色染めした織物)。

・「沓」「水田」の錯字。文政本は濁音と歴的仮名遣にあやまりがある。「みづあさぎ」が正しい。「水浅葱」「水浅黄」薄いあさぎ色、水色を指す。古代の羅漢の着服していた僧衣の色か。

・「絺褐」音は「ちかつ」。「絺」は葛の細い糸で織った布帷子、「褐」は布子、粗末な着物、麻衣の意。粗末な麻布の短衣を言う。

・「神情風致」「神情」は人の表情の意で、それが持つ味わいの意。

・「蕭散」静かでもの寂しいこと。禪家で尊重される境地である。

 

■やぶちゃん現代語訳(訓読文は誤りの少ないと思われる「近代デジタルライブラリー」の文政六(一八二三)年版の当該箇所を基準とし、我流の文字選び・再訓読を行ってある。その後ろに現代語訳を配した)

 

 珍物が異論を生む事

 

 大前何某が娘を他家へ嫁がせたが、その折り、その家の縁家の家僕が殊の外、骨を折って世話致いて呉れた故、大前より提(さ)げ物を与えて御座った。

 ところが寛政九年の春のこと、かの家の家来が大前のもとへ参って、

「……実は……ご拝領致しました提げ物のことにつきましてで御座いますが……かの提げ物に附いて御座いましたところの……桃の実の緒締めについてで、御座います……その……拙者のところに松平能登守殿お抱えの医師山田宗周という者が訪ねて参りまして……たまたま拝領の桃の実の緒締めを見せましたところが……

『……仔細は申しかぬるが、かねてよりさる人に頼まれておったによって、どうか、一時、この緒締め、黙って貸しては下さるまいか。――』

と頻りに申します故、その乞いのままに貸しました。

 ところが、その後、暫く致しまして、また、かの医師が参り……その……申し上げにくいことにては、御座いまするが……、

『……この緒締めに就きて、訳を申さば……かねてより、東海寺塔頭の浄恵院より頼まれて御座った、とあることによって、貴殿より借り受けた仕儀に御座る。……この根付……仔細を申さば……運慶が作にて……東海寺にては代々……十六羅漢を彫(え)りつけた桃の実の緒締めを秘蔵して御座った……ところが……四、五年以前……有体(ありてい)に申せば……そのうちの一つが、紛失致いたので御座る。……故に、もしかくかくの仕様のものを見かけることがあったならば……それを取り戻して呉れるよう、宜しくとの、依頼で御座った。……されば、実は……この間の借り受けも、その儀に沿うた仕儀にて御座った……かの緒締め、浄恵院へ持参致し、見せ申したところが……紛失した品に間違い御座らぬ故、たとえ高値に御座っても取り戻したき由にて……どうか、切に! お頼み申す!……』

とのことにて……殿様よりの賜わりもの故……一体……どうしたらよいものか途方に暮れまして……お伺いに参上致しました次第にて、御座いまする……。」

と申し上ぐるによって、大前殿、

「――あの桃の実の緒締めは、親の代より伝来の品にて、我、幼年の折りより五十年来、ずっと所持して参った物。東海寺から紛失したものじゃと言うによって、成程、左様か、――それは違う品なるは確かなれど、これで良ければ、なんどと安易に売り渡いたとなれば――これ、東海寺宝物の盗品を我らが買うて平然と使(つこ)うておったという冤罪を蒙らんとも限らぬ――これは、いっかな、納得出来ぬことじゃ!――さても――そうさ、御身には別の我ら所蔵の紐締めを遣わすによって――必ずや、かの紐締め、取り戻し候よう!」

ときつく申し渡いて御座った。

 代わりには後日、早速に、これまた高価な珊瑚珠の玉の紐締めをその者に与えて御座った故、家僕も恐縮致いて、まずは殿の名誉がためと、なんとか、かの医師に貸して御座った桃の実の緒締めを取り戻し、大前殿にお返し申し上げたとのことで御座った。

 後日、大前殿は、

「……これは一体、如何なることにて御座ったろうかのう。……今以って、不思議なことにて御座るのじゃ。……」

と知れる人なんどに、この話の一部始終を語り、また、その最後には、

「……こうした提げ物は、世間に幾つもあるものなので御座ろうか?……」

と問うたもので御座った。そんな中の、さるお人が答えて言うたことには、

「――それはかの東海寺の坊主の無知によるもので御座る。こうした類いの細工、実に世には数多ある品じゃ。それを自分の寺の宝物の、十六羅漢の荘厳(しょうごん)の外には、世になき逸物なり、なんどと思い込んでおった故、そんな馬鹿げた話になったに相違御座らぬ。『虞初新志』という書に次の通り、書かれて御座る。」

とのこと故、大前も安堵に胸を撫で下ろした――とは、大前殿本人の語ったことにて御座る。

 

[根岸注:添付資料「虞初新志」より]

 

  桃核の念珠を記す    経進文稾    高士奇

 念珠一百八枚を得、山桃の核を以て之を爲(つく)る。圓かにして小(ちい)さき櫻桃(ゆすらむめ)のごとし。一枚の中(うち)に羅漢、三、四尊、或ひは五、六尊を刻す。立つ者、坐す者、經を課する者、杖を荷ふ者、龕中(ぐわんちう)に入定せる者、樹に蔭(いこ)ひ趺坐して法を説く者、環坐指畫論議せる者、袒跣曲拳(たんせんきよくけん)、和南して前に趨て後(しりぞ)き侍する者、合はせて之を計(かぞ)ふれば、數五百と爲(な)す。蒲團・竹笠・茶奩(ちやれん)・荷策・瓶鉢(へいはつ)・經卷、畢(ことごと)く具はる。又、雲龍・風虎・獅象・鳥獸・狻猊(しゆんげい)・猿猱(えんじふ)有りて、其の間に錯雜す。初めて之を視れば、甚だ了了とせず。明窓淨几、息心諦觀すれば、刻む所の羅漢、僅かに一粟のごとし。梵相奇古、或ひは文織・綺繡を衣(き)、或ひは袈裟・水田(みづあさぎ)・絺褐(あさのぬのこ)を衣る。而して神情風致、各々松柏岩石に蕭散す。藝の至と謂ふべし。

 

   桃の核(み)の念珠について記す    経進文稾    高士奇

 百八粒からなる念珠を得た。山桃の実によって創られたものである。一つ一つの種が全き球体であって小さら桜桃(さくらんぼ)のように見える。一粒の中に、羅漢が三尊から四尊、ものによっては五尊から六尊を彫琢してある。立つ者、座す者、経を読む者、杖を担う者、龕中にて入定せる者、樹に憩い、結跏趺坐して法を説く者、環座して絵を指して論議する者、肌脱ぎの裸足で蝦のように体を屈して礼をする者、合掌したままに前に走る者、又、逆に退いて侍する者。これ、合計すれば凡そ五百余りの羅漢像である。蒲団・竹笠・茶箱・策杖・酒器・経巻、悉く具わっている。またそれ以外にも遠景近景に雲竜・風虎・獅象(しぞう)・鳥獣・戯猊(ぎげい)・猿猱(えんじゅう)がおり、それらの彫像の間に、これまた散りばめられているのである。但し、初めはこれを見ても、何が彫られているのかは、実は、よく分からない。明窓浄机して、息を調え、端然として観ずる時、そこに刻む所の羅漢、僅かに一粒の粟の如くに、その奇怪にして古色を帯びたるそれぞれの梵相が現前し、或いは文織・綺繡を着し、或いは袈裟・水浅黄・縐の布子を羽織る。而して一人ひとりの表情は味わいに富んで、各々が松柏や岩石の中へと貫入し、人気を払って寂莫(じゃくまく)の境地を開く。これはもう、至上の芸と言うべきものである。

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