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2012/06/21

耳嚢 巻之四 怪刀の事 その二

   又

 

 小田切土佐守は其先(そのせん)甲州出の事なれば、武田晴信より先祖へ與へし長刀、今に所持して玄關の鎗懸に餝(かざり)置し由。折節玄關に詰(つむ)る時跡(あと)などにし臥せば、必(かならず)枕返しする事度々の由。營中にて物語りしを記し置ぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:妖しき刀剣二連発。

・「小田切土佐守」小田切直年(寛保三(一七四三)年~文化八(一八一一)年)。旗本。参照したウィキ小田切直年に、『田切家はもともと甲斐武田氏に仕えており、武田氏滅亡後徳川家康の家臣となって近侍したという経緯を持つ。直年の頃には』凡そ三千石の知行地を拝領していた、とある。明和二(一七六五)年、二十三歳で西ノ丸書院番となり、その後使番・小普請、駿府町奉行・大坂町奉行と遠国奉行を歴任した後、寛政四(一七九二)年に五十歳で江戸北町奉行に就任、文化八(一八一一)年に在職のまま六十九歳で没するまで十八年間奉行の任務に当たった。歴代奉行中、四番目に長い永年勤続歴で、幕府が小田切に対して篤い信頼をおいていたことの証左で、奉行としても後の模範となる多数の優れた裁きを判例として残している。駿府町奉行在任中には男同士の心中事件を裁いたり、盗賊として有名な鬼坊主清吉を裁いたのも彼である。根岸は寛政一〇(一七九八)年に勘定奉行から南町奉行へ昇進しており、その後も、十三年に亙って小田切と町奉行を勤めた(根岸の勘定奉行は公事方であったと思われるから、実際には寛政四年起算で、小田切との付き合いは十九年に及ぶと考えてよいだろう)。ウィキによれば、両人の奉行在任中の面白い(不謹慎を失礼)裁きが載っている。インクブス的少女による奉公人青年への性行為強要の結果による、今なら業務上過失致死相当と思われる事件である。主家の十歳(満九歳?)の娘かよが、十九歳(満十八歳?)の『奉公人喜八に姦通を強要し、喜八がついに折れて渋々承諾し、行為中に突如かよが意識を失いそのまま死亡するという事件が起こり、小田切は根岸鎮衛と共にこれを裁断した。根岸と寺社奉行は引き回しの上獄門を、二人の勘定奉行は死罪を主張したが、小田切は前例や状況を入念に吟味し、無理心中であると主張、広義では死刑であるものの、死刑の中でも最も穏当な処分である「下手人」を主張した。最終的に喜八は死罪を賜ったが、この事例にも小田切の寛大かつ深慮に富んだ姿勢が伺える』とある(下手人は庶民に行われた斬首死罪の中では最も軽く、首を切るだけで資産没収などを行わないもの)。その以下には、逆に不名誉な記載もあるが、ここは小田切殿を立ててここまでとしておこう。

・「武田晴信」武田信玄の諱。

・「詰る時」底本では右に『尊本(詰る侍)』と注する。これで採る。

・「跡などにし臥せば」飾られた槍の方に足を向けて寝たりすると、の意。

・「枕返し」就寝中、知らぬうちに身体の位置が逆になることで、怪奇現象として古来、妖怪の仕業などとされた。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 怪刀の事 その二

 

 小田切土佐守直年殿の御先祖は甲州の出であられる。武田信玄晴信公より小田切殿御先祖へ与えられた長刀と申されるものを今に伝えて、御屋敷の玄関の槍掛けに飾るおかれておられる由。

 折節、玄関番に詰める侍が、たまたま長刀に足を向けて寝たり致すと、必ず、枕返しに遇う、との由。城中にて物語なされたのをここに記しおいた。

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