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2012/06/03

耳嚢 巻之四 鯛屋源介危難の事

 鯛屋源介危難の事

 

 駿河國に呉服商しける鯛屋源助といへる有德(うとく)の町人ありしが、雪中庵蓼太(りやうた)が門人にて風雅の道に執心し、比は秋の中ばに鳳來寺のあたりを尋(たづね)なんと、一僕を召連かのあたりを一見して、尚又古跡を尋んと、一僕はわる事有りて先へ辭し、一人にて爰しこ知らぬ山路をも踏分しに、折ふしの急雨にて立よるべき雨舍(あまやど)りの影もなく、漸(やうやう)にとある人家へよりて雨具をとゝのへんとせしに、賣るべき雨具も持ず、氣毒(きのどく)にはあれどいたしかたなし、旅の空こそ難儀成べし、是より一二町先に長屋門の家あり、是に立寄て雨具抔乞はゞ施し可申と、一人側にて語りける故幸ひの事と思ひ、壹貮町町袖笠に雨を凌(しのぎ)てかの長屋へ立寄雨具を乞しかば、安き也とて雨具を持出しが、内より五十にあまる男出て、是より先山道にて殊に日も夕陽なれば難儀し給ん事なれば、今宵は此處に泊り給へと言ければ、幸の事と思ひ一宿なしけるが、外より見しとは格別にちがひ、ゆたかに暮したる樣子にて、膳部などもかたの如く奇麗にて、夜もすがら百韻など主ともども口ずさみて、翌日も朝より降しきり、深切にとゞめける故、其心に隨ひ足を留めけるに、一間隔たる放れ座敷にて琴の調など氣高く聞へける故、通ひする女子に尋ければ、あれ此家の隱居にて、琴は娘成人の彈ける由かたるも奧ゆかしく、夜に入て人なき折から五十計の老たる局らしき老女出て、四方山の咄の上、此あるじは娘計にて男なし、兼て聟を求め給ふが御身の樣子は娘とも相應にて、此處に暮し給はんは行末安き事也とすゝめければ、源助も心に思ひけるは、駿河の身上(しんしやう)は弟に讓り此處に住居せんは、商賣の道に心を苦めんよりは增(ま)し也と思へば、我等は駿河にて呉服商賣せる者なるが、歸りて親其外類へも相談して、追て其趣意にも隨はんと、翌(あく)れば暇を告て立出しに、歸りには必寄り給へと厚くもてなしけるゆへ、立別れ山路を多葉粉のみながら通りしに、右道筋にて村名忘れたり、孝行奇特の儀、公儀より御褒めなりし善七といへる者の居村を通り、門先に多葉粉呑居(ゐ)候者へ火を乞ひければ、かしがたき由を斷(ことはる)。善七家並(やなみ)の家に至り火を乞ひければ、もへさしを表へ投出して與へける故其譯を尋しに、譯あればこそとて不取合。彼善七右の樣子を見て、年若成人いたはしき事也、全く欺れしものならん、譯を言て聞せよといへど、外々の者どもも、不便にはあれども譯を言ても仕方なしとて皆々立去りぬ。其跡にて、如何樣の譯あるやと右善七に歎き尋ければ、御身一兩夜止宿し給ふ所は此處の穢多頭也、火の穢たる人なれば最早御身の宿せん者もなく、痛はしさに語り申也と聞て大に驚き、此難如何して免れんと歎ければ、いたわしき事ながら、彼穢多頭は素人を聟抔にとるを外聞にもいたし、もはや口々へも目付(めつけ)を付て、御身の此山路を出候を伺ふならんと語りければ、彌々身の上の難儀を悲しみ涙を流して賴ければ、然らば其の老母ありて日毎に里の藥師へ參詣する間、これも佛の智遇なれば、彼老母に形を似せ給へと、しかじかの衣類抔を上へ着せて、壹人の僕に爲負(おはせ)、面をも飽まで包みて翌朝里へ送りしが、必道すがら聲ばし立(たて)そと深く誡めけるが、實(げ)や途中にて若き者抔五六人立集り、如何に昨日の旅人はいづ方へ行しや、不思議に見へざる由を咄合ふ聲を聞ても、犬狼の吠る聲かと怖しく思ひ、漸(やうやく)里へ出我宿に歸りて、厚く彼善七方へも禮をなしけるとかや。<BR>

 

□やぶちゃん注

○前項連関:ホカイビトと呼ばれて差別された芸人の戯芸譚から、言われなき身分制度によって穢多と呼ばれ差別された人々の話へ。こうしたおぞましい差別意識が時に今も、我々の中に容易に蘇ってくることがあることを肝に銘じて読みたい。表題では「源介」で本文は「源助」だが、訳では「源助」に統一した。

・「雪中庵蓼太」御用縫物師で俳諧師であった大島蓼太(享保三(一七一八)年~天明七(一七八七)年)。信濃国那郡大島出身。二十三歳の時に服部嵐雪門の雪中庵二世桜井吏登に入門。その後剃髪て行脚、延享四(一七四七)年、三十歳で雪中庵三世となった。江戸座宗匠連を批判、芭蕉復帰を唱えて天明の中興の大きな推進力となった。生涯に行脚すること三十余、選句編集二百余、免許した判者四十余、門人三千と言われ、豪奢な生活をしたことで知られる。以下、数句を示しておく。

 

 たましひの入れものひとつ種ふくべ

 夏瘦の我骨さぐる寢覺かな

 世の中は三日見ぬ間に櫻かな

 擲てば瓦もかなし秋のこゑ

 更くる夜や炭もて炭をくだく音

 夕暮は鯛に勝たる小鰺かな

 

・「賣るべき雨具も持ず、氣毒にはあれどいたしかたなし、旅の空こそ難儀成べし、是より一二町先に長屋門の家あり、是に立寄て雨具抔乞はゞ施し可申と、一人側にて語りける」というこの男に私はある疑念を持つ。笠がなくとも、止むかも知れぬ雨に一時宿らせることも出来る。また、いわくつきの屋敷を彼は何の躊躇もせず指示している。私は彼はかの穢多頭の配下の者であろうように思われるのである。彼はこうした若い男の旅人があった場合に、かの屋敷へと誘導することを命ぜられている人物ではないか、と思うのである。

・「長屋門」使用人などが住んだ長屋が左右に附属した大きな門。江戸時代、民間では郷村武士の家格をもつ家や苗字帯刀を許された富裕な農家及び庄屋などが長屋門を造った。但し、この場面でのそれは、恐らく古いもので、規模も小さく、相当に汚損したものであったのであろう。でなければ、後でわざわざ「外より見しとは格別にちがひ、ゆたかに暮したる樣子にて」とは言わない。「格別に」というところで、人気のない、ぼろぼろの幽霊屋敷染みた長屋門を想起するのがよい。

・「百韻」俳諧連歌の作品形式の一つで、百句からなる。

・「穢多」中世から近世に於ける賤民身分の一つ。江戸期には非人とよばれた人々とともに士農工商の下におかれて居住地の制限や、本話で特徴的な火の貸し借りの禁止(容易に燃え移るように穢れが移るという類感呪術であろう)など、社会的な細部に及ぶ不当な差別を受けた。殺生と結びついた職業差別に起源を持ち、主に皮革業に従事したり、犯罪者の逮捕や罪人の処刑などに使役された。明治四(一八七一)年の太政官布告によって法的には平民とされながら、世間では公然と「新平民」と呼ばれて差別が続いた。社会的差別は今も残存している(以上は主に「デジタル大辞泉」の記載に従った)。

・「目付」見張り。ここで穢多頭は、源助が自分の婿になるという情報を流して、差別を逆手にとって外濠を埋め(というより差別によるウォールを里山に張り巡らして源助に実家への帰還を諦めさせるのである)、更に見張りによって実質的に源助の下山を阻止、懐柔して再び屋敷に連れ帰って、強引に婚礼を遂げるという計略であろうと思われる。

・「爲負(おはせ)」は底本のルビ。

・「聲ばし立そ」品詞分解すると、

 聲(名詞)ばし(取り立て・副助詞)たて(動詞・タ四・未然)そ(禁止・終助詞)

で、「ばし」は、呼応の副詞のように下に禁止の意を伴って「~などは決して」の意を示す(但し、この用法は平安末期以降)。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 鯛屋源助危難の事

 

 駿河国に呉服商をして御座った鯛屋源助という裕福な町人があった。

 彼はかの雪中庵寥太(の門人で、俳諧風狂の道に執心し、頃は秋の半ば、紅葉美麗な鳳来寺の辺りを尋ねんものと、一僕を召し連れ、かの山里を一見の上、なおも古跡を尋ねんとて――かの下男はよんどころない用があったがために先に帰し――一人にて、ここかしこ、不案内な山道をも臆せず、踏み分けて行御座ったところ、折から俄かに雨となり、宿るべき物蔭もなく、やっとのことで一軒の民家を見出だしたによって立ち寄り、雨具を売ってもらおうとしたところが、

「……売れる雨具は御座らぬ……気の毒じゃが、諦めておくんない。…………とは言うても、この天気に、その旅の空じゃ……そうさ……ここより一、二町先に、長屋門の家が御座る。……そこに立ち寄って雨具なんど乞うたれば……きっと施してくれようぞ……」

その家に一人でおった者が、かく語った故、雨も激しくなればこそ、これ幸いと、その一、二町を袖を笠に雨を凌いで、その長屋門へと走り込むと、

「雨具をお貸し下されい!」

と声をかけた。すると、

「安きことじゃ――」

と声がして、下男の者が雨具を持って出て参ったが、すぐ後、奥より五十過ぎの男が出て参って、

「……これより先、山道にて……ことに、もう日も暮れかけて御座ったれば……今宵は、ここにお泊まりなさるが、よかろう……」

と言うたれば、源助も、天の助け、これまた幸いなることと、一夜を借りた。

 案に相違して、先程来、外より見たのとはまるで違(ちご)うて、たいそう裕福なる暮らしを致いおる様子にて、出だされた夕餉の膳や椀なども、一様に美麗なるものにて、また主(あるじ)には風流の覚えも御座り、二人して夜もすがら、百韻なんどを口ずさんで過ごいた。

 ――さて、翌日も、朝より雨の降りしきって、止む気配なく、主も親切に引き留める故、その言葉に甘え、また一日、逗留致いて御座った。

 ――と、一間隔てた離れの座敷にて、琴の爪弾きなんどが、如何にも優雅な雰囲気で聴こえて参った。

 ――源助を世話して御座った女中に尋ねたところ、

「あれはこの家のご隠居所でご座いまして、あのお琴は、ご主人さまの――お嬢さまが――弾いておられるので御座いまする――」

と答えるのを聞くや、彼はもう何やらん、まだ見ぬその娘とやらに、不思議に心惹かれて御座ったという……。

 ――その夜のこと、宛がわれた部屋に独り御座ったところが――五十ばかりの年老いた、如何にも高貴なお方の御局然とした老女が現れ、四方山の話を致いた――その果てに、

「……ここ主は……娘ばかりにて男の子が御座らぬ……かねてより婿をお求めになられておらるるが……はあて……御身のご様子……これ、まさしく……お嬢さまにお似合い……ここで、こうして……ずっとお暮らし頂けましたならば……まっこと、行く末は……ご安泰に御座いまする……」

と突如、慫慂(しょうよう)さるればこそ、源助も、

『……駿河の店は、これ、弟に譲っちまって……どうよ、ここで暮らすっちゅうのは……あんな商売の道に、嫌な思いをするぐらいなら……こっちの方が、ずっとマシじゃ!……』

と思うたによって、

「……我らは……駿河にて呉服商いをしておりまする者なれど……ここは一つ、家へ帰って、親その他親類縁者へも相談の上……追って……その……有り難きお申し出に随わん……という所存にて御座ればこそ……」

と告げた。

 明くれば秋晴れ、一時の暇乞いを告ぐると、

「――お帰りになるは――必ず、この家――御来駕――お待ち申して――おりまするぞ……」

と、土産なんども貰って、手厚く見送られた。

されば、立ち別れた後、のんびり山路を煙草なんど吹かしながら下ってゆく。

その道筋にて、とある村――村名は失念致いた――確か、何ぞ孝行なる行いによって御公儀から御褒美を賜ったという、ほれ、善七とかいう者の住もうておった村じゃ――を通った。

 門先で煙草を呑んでおった者へ火を借りんと乞うたところが、

「貸せネエ――」

と断わる。

 かの孝子善七の家のある並びに辿りついたによって、再び火を乞うたところが――燃えさしの木を――投げて与えられた……。

 あまりの仕打ち故、その訳を誰彼に尋ねてみたものの、誰もが、

「……訳は……ある、で、の……」

と口を濁して取り合わぬ。かの善人善七、見かねて彼らに言うた。

「……まんず、若いお人なれば……いや、いたわしいこっちゃ……全く以て、まんまとだまされたものでござろう……みんな……ちゃんと、訳を言うて……聴かしたりや……。」

と言うたが、その外の者どもは、

「……確かに、な……確かに、可哀そうなこっちゃ……」

「哀れなれど……なあ……」

「……いや……訳を言うても……もう、遅いわ……」

「……そやなあ……仕方ないゎ……」

などと、口々に言うては立ち去ってしもうた。

 残された源助、訳も分からず、呆然として暫く立ち竦んで御座ったが、徐ろに善七の方(かた)に向き直ると、

「……こりゃ……一体、如何なる訳が……あると言うんで!?」

と叫んだ。

 善七が答える。

「……お前さんが一両夜泊まった、あの家は……この辺りの穢多頭なんだよ。……あそこに泊まっちまったお前さんは……これもう、火の穢れた人となっちまった、という訳さ……例えば最早、お前さんを泊めて呉れよう者、家に入れて呉れよう者は……これ、もう、この辺りじゃ、一人もおらんぜ……まあ、その……あまりのいたわしきこと故、その訳を、有体に述べたまでの、ことじゃが……」

源助、あまりのことに驚き、

「……こ、この……災難から……の、遁れるには……い、一体どうしたら……」

と歎いたところ、善七、

「……いたわしいことなれど……かの穢多頭は、もうとっくに、素人のお前さんを婿としてとる、ちゅうことを、この近辺で公然と触れ回っておる。……最早、この山里から出る道筋には見張りを置いて御座って、お前さんが、これから山道を出でんとするところを、手ぐすね引いて、窺っとるんだろうなぁ……」

源助は、万事休した己が身の上の難儀を悲しみ、涙を流して善七に縋りついた。

 善七は暫く考えて、

「……されば……我らに老いた母が御座るが、これが日々、下の里の薬師へ参詣すればこそ……これもまた、仏の知遇なれば……かの我が老母に、姿形を似せてみなさるが、よかう……」

と言うと、あれやこれや、老母のさまざまな衣類をとっかえひっかえ着せてみて、一番しっくりくるものを選んでおっかぶせるように着せると、善七の使って御座った下男の背に負わせ、顔まですっかり包み隠いた仕儀で、里方へと送ってやった。

 出しなに善七は、

「――よろしいか? 必ず道中、声をば出しては、これ、なりませんぞ!――」

と厳重に注意致いた。

 いや――まっこと――善七の言う通り、道の各所にて、若い男どもが五、六人、たむろって御座って、

「――なんじゃあ?! 昨日の旅人はどこへ行ったじゃあ?! 不思議に、姿が見えんようになっちまったぞ!!」

と、荒々しう話し合う声なんどが耳を打つにつけ、源助には、まるで野犬や狼の吠え声かとも思われて、心底、恐ろしく、ようよう里方へと抜けられ、ほうほうの体(てい)にて我が家へと立ち戻った。

 後日、機転を利かして救って呉れた善七方へは、人をやって手厚い謝礼を致いた、ということで御座る。

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