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2012/06/02

耳嚢 巻之四 戲藝にも工夫ある事

 戲藝にも工夫ある事

 

 操(あやつり)芝居に藤井文次といへる木偶遣(でぐつか)ひ有りしが、寶曆明和比(ころ)上手と評判ありしに、戀女房染分手綱(こひにようばうそめわけたづな)といへる淨瑠璃に道成寺のやつし事ありしが、觀世太夫方へ至りて道成寺の能を承度(うけたまはりたき)旨をねがひしが、戲場の者へ傳授等は難成事の由斷れど、其執心を感じて近日道成寺の能申合(まうしあひ)ある間、參りて内見は勝手次第の旨語りしを、大に悦びて其日に至り、右稽古を一心に見しが、右染分手綱の狂言始りて文次より觀世の家内へ見物を乞しゆへ、觀世も見物に至りけるに、染分手綱道成寺に貞之進人形を遣ひしが、觀世が舞ひし道成寺に聊も違はず、其所作いふ計(ばか)りなく面白かりしが、鐘を上げ候節面テを切り候所、暫く手間取いさゝか後れけるやうなり。右相濟觀世太夫其藝を稱美して、右面テの切(きり)かた後れし事を難じければ、至極尤の御尋なれど右は木偶を遣ひ候氣取也。其仔細は貞之進は鐘の内にて腹を切り居(ゐ)候仕組(しぐ)みなれば、面テを切候所速(すみやか)にせざる由答ける。觀世も其藝功の工夫を感じける也。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:連関を感じさせない。今までもしばしば見られた技芸譚であるが、人形浄瑠璃は始めてである。

・「藤井文次」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は『藤井文治』とする。岩波版長谷川氏注によれば、藤井姓を持つ人形遣は、現在、知られる限りでは豊竹座にしかないが、『文治』を名乗る者はその中にはいない、とある。

・「寶曆明和」西暦一七五一年から一七七二年。次注から分かるように、宝暦元年なら、この芝居は出来立てほやほやの新作であったことになり、藤井文次の定之進の演技は正にオリジナルの可能性が極めて高く、更に観世太夫元章は、下世話の人形芝居のことなれば、その筋さえも知らなかった、と考えてよい。そう設定してこそ、本話は生きる。なお、この頃は既に現在のような三人遣いが行われていたので、この定之進も、その主遣が文治であったと考えてよいであろう。なお、この頃、作者根岸は満十四~三十五歳、後半の頃ならば既に評定所留役(宝暦十三(一七六三)年就任)に就いている。

・「戀女房染分手綱」は浄瑠璃、時代物。全十三段。吉田冠子(かんし)と三好松洛の合作。宝暦元(一七五一)年、大坂竹本座初演。底本の鈴木氏の注によれば、『同年秋には江戸中村座の歌舞伎に上演され、四幕目道成寺伝授の段が大当たりをとった』とある。道成寺好きで「――道    中――Doujyou-ji Chroniclといったページを作っている私としては、さもありなん、という気がする。現在上演されることが多いのは十段目の「重の井子別れの段」。全体は所謂、馬追い与作の伝承をインスパイアしたもので、本作自体が宝永四(一七〇七)年初演の近松門左衛門「丹波与作待夜小室節(たんばのよさくまつよのこむろぶし)」の改作でもある。以下、梗概を記す。

――丹波城主由留木(ゆるぎ)左衛門の若殿が祇園の芸妓いろはを身請けしようとするが、実はいろはは由留木家奥家老伊達与三兵衛の息子の与作に惚れていた。与作は由留木家お抱えの能楽師竹村定之進の娘で腰元であった重の井と恋仲にあり、二人の間には与之助という男児が出来てしまったため、秘かに与作の忠僕一平の母に預けられている。与作は若殿からいろはの身請けを命ぜられ金子を預るが、鷲塚八平次らに奪われた上、国元からは横領の疑いを受け、父与三兵衛から勘当されてしまう。

――八平次の兄官太夫は不義の詮議にかこつけて重の井に横恋慕し、重の井の不義が露顕、彼女の父定之進は辞職するが、最後の願いとして、かねてより主君由留木左衛門の所望であった「道明寺」秘伝伝授を願い出る(以上が、初段から四段目までの内容)。

――以下、本作の場面である五段目「能舞台定之進切腹の段」。「道成寺」伝授の日、前シテの白拍子を定之進が、ワキ僧を重の井が舞うが、シテ鐘入りの後、鐘が引き上げられると、後シテの鬼女(演じている定之進は既に切腹している)が現れ、演技半ばに定之進は、命と引き換えにして不義密通の娘重の井の命乞いをする。大殿は、その心根に感じ、重の井を許して娘調姫(しらべひめ)の乳母を命ずる。定之進は祝儀の場故に不浄の死を憚って、瀕死のままに重の井に別れを告げ、籠に送られ出て行く。

――以下、馬子となった与作にいろはが絡み、調姫の関東入間家への嫁入りの東下りの道中、附き添った重の井がひょんなことから子供の馬子三吉(実は与之助)と再会する(ここが「重の井子別れの段」)。

――その後、諸事万端解決へと向かって与作は帰参が叶い、舅定之進の敵として官太夫を討って後、改めて重の井を正妻、小万(元のいろは)を側室、三吉改め与之助を嫡男として大団円となる。

以上は、二〇一一年三省堂刊の「文楽ハンドブック」及び、ちはや様の「虹色空間」『文楽「恋女房染分手綱」』の記事を参照させて頂いた。私は哀しいかな、「恋女房染分手綱」の文楽の舞台を未だ見たことがない。従って注や現代語訳にはとんでもない誤りがあるかも知れない。識者の御指摘をお願い申し上げる。また向後、実見の折りには、本注及び現代語訳を予告なく改訂する可能性があることをお断りしておく。

・「やつし事」姿を変える演出のこと。「やつし」はみすぼらしくする、姿を変えるという意味の「やつす」が名詞化した能・歌舞伎用語である。普通なら、道成寺で鐘入り後に前シテの白拍子が後シテの鬼女に変ずることが「道成寺」の「やつし」であるが、ここは「恋女房染分手綱」で能楽師定之進が前ジテ白拍子で鐘入り後、鐘が引き上げられると後シテの鬼女が現われるものの、それはすぐに演者定之進が覚悟の割腹を図って出現したのであったという真相をも「やつし」に含んでいる点に注意されたい。

・「觀世太夫」観世元章(かんぜもとあきら 享保七(一七二二)年~安永二(一七七四)年)・観世流十五世宗家。観世左近と称した。『国学を好んで考証を好み、田安宗武、賀茂真淵、加藤枝直等の協力のもと、「明和の改正」と言われる謡曲の詞章を大改訂を行い、『明和改正謡本』を刊行。しかし、詞章の大改訂は周囲には不評で、元章の没後数ヶ月で廃された。ただし、すべてが以前に戻されたのではなく、新しい演曲や舞台上の演出に関する詞章の改訂、節付記号などは後代に受け継がれて現在に至る。作品「梅」は観世流の現行曲』。『十代将軍徳川家治の若い頃から能楽の指南を務めた』功績により、宝暦二(一七五二)年に『分家を認められ、弟の観世織部清尚に別家させる。四座一流に次ぐ地位を認められ、幕府の演能にも出演する資格を得』、『宗家伝来の面や装束も分与し、これがのちに観世銕之亟家となる。現在でも、観世流において「分家」といえば銕之亟家を指す』(以上はウィキの「観世元章」から引用した)。「銕之亟」は「かんぜてつのじょう」と読む。

・「傳授」道成寺は難曲中の難曲で、特に鐘入の前後は各流派で異なり、その演技演出、鐘中の仕儀や舞台上での合図などは秘伝に属する。

・「申合」本来は相撲で力量が互角の力士同士が行う稽古、転じて能・芝居の稽古・リハーサルを言う。

・「面テを切り」能で、顔を鋭く早く一方へ動かして物を見る仕草を言う。歌舞伎でも用いる。

・「氣取」趣向・工夫。この場合、筋に合わせた演出方法を言う。

・「仕組」作品の趣向・工夫、ひいてはその筋や構成の意。

・「面テを切候所速にせざる」文次曰く――定之進は鐘入の後、腹を切っている。しかし、劇中では誰一人、それを知らない。それを受けて、腹を切った能楽師が鬼女となって演じた場合を考え、面の切り方をゆっくりさせた、切腹した状態であれば本来の演技が不可避的に遅くなるのが当然であり、その様を微妙に示す演出を施した――というのである。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 戯芸にもそれぞれ相応の工夫のある事

 

 操り芝居に藤井文次とか名乗った人形遣いがおったが、宝暦・明和の頃、上手と専らの評判の者で御座った。

 「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)」という浄瑠璃に、「道成寺」を元としたやつし事があったが、それを演じるに当たって文次は、観世流十五世太夫元章(もとあきら)殿のもとへ出向き、是非とも「道成寺」の能について、お話を伺いたき旨、願い出たが、無論、太夫は、

「――人形芝居の者などへ、これ、伝授など、以ての外のこと――」

と断ったが、執拗に願い出る、その文治の根気執心に感じて、

「……近々道成寺の能の稽古が御座れば……まあ、参りて内輪に見るは、これ、勝手次第……」

と告げたところ、文次は喜色満面となり――

――さても、その日を迎えると、文次はこの稽古を、凝っと一心に――見つめて御座った。……

 さて、その「恋女房染分手綱」の浄瑠璃芝居の興行の初日、文次より観世家方へ、

――お畏れ乍ら 我らが賤しき芝居乍ら 御見物方を乞い願い申し上ぐる――

旨、御座った故、観世太夫も何がなし、興味が持たれて、自身、芝居小屋へと出向いて芝居見物と相い成った。

 「恋女房染分手綱」五段目「能舞台定之進切腹の段」には、能楽師竹村定之進が主君へ「道成寺」を伝授をする場面が御座る。その人形は無論、文次が遣って御座った――

……と……

――その人形の身のこなし……

――これ、観世が舞った「道成寺」と……

――いや、聊かの違いも御座ない……

その所作は――えにも言い難き興を抱かせるまっこと、確かなもので御座った。……

……ただ、鐘を引き上げたという砌、定之進が面(おもて)を切るというところで……文次、暫く手間取って……聊か切れが遅れたように見えた……それを観世太夫は見逃さずに御座った。

 舞台が恙なく終わった後、楽屋に赴いた観世太夫は、実に率直に、その文治の芸の神技ならんを称美した上で、

「――ただ、かの面の切れ方の遅れたこと――これをのみ瑕疵とせんか――」

と、批評致いた。

 すると、文治、

「ご尤もなるお尋ねで御座いますが、あれは人形を遣(つこ)う上での、演出上の工夫で御座いまする。その具体な訳は、このお話にあっては、ご覧戴きました通り、能楽師定之進は、鐘の中にて腹を切っておる、という筋立てになって御座いますれば、腹を切った能楽師の演ずる鬼女の、その面を切る仕草も、これ、素早くは致さぬので御座いまする。」

と答えた、という。

 観世も、その芸の工夫には、いたく感心じた、ということで御座る。

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