耳嚢 巻之四 番町にて奇物に逢ふ事
番町にて奇物に逢ふ事
予が一族なる牛奧(うしおく)氏壯年の折から、相番(あひばん)より急用申來(まうしきたり)、秋夜風强き夜一侍を召連、番町馬場の近所を通りしに、前後行來も絕(たゆ)る程の大雨にて、道の側に女など見へてうづくまり居しが、合羽やうのものを着、傘笠の類ひも見へず、確に女とも不見、合點行かず樣子故右の際を行過しに、召連たる侍、あれは何ならん、得(とく)と見可申哉(みまうすべきや)と言しが、いらざるものゝ由をこたへしに、折ふし挑灯を持たる足輕使躰(あしがるづかひてい)の者兩人脇道より來る故、右の跡につき元來し道へ立戾り、彼樣子を見んとせしに、始見し所に何にても見へず、四邊打(うち)はれたる道なれば、何方へ行べきや樣(やう)もなしとて口ずさみ歸りしが、門へ入んとせし頃頻りに寒氣せしが、翌日瘧(おこり)を煩ひ廿日程惱みしが、召連し者も同樣寒氣して熱病を廿日程惱ひけるとかや。瘴癘(しやうれい)の氣の雨中に形容をなしたるならん。
□やぶちゃん注
○前項連関:特に連関を感じさせない。久々の耳嚢怪談である。構成は遙かに複雑であるが、岡本綺堂の「妖婆」は場所も番町で、道端に怪しい老婆を見るという話柄の初期設定はよく似ている(リンク先は青空文庫版)。
・「牛奧氏」「卷之二」の「鄙姥冥途へ至り立歸りし事」にもこの姓の人物が登場する。その話柄も老女蘇生譚で本話と類感する。そこで注した通り、旗本の中にこの姓があり、先祖は甲斐の牛奥の地を信玄から与えられてそのまま名字としたらしい。岩波版長谷川氏注には幕臣で、鎮衛の一族(但し、東洋文庫版鈴木棠三氏注の孫引きの指示有り)とする。ここの底本の注では、鈴木氏は『寛政譜には同姓五家あり、どれか明らかでない』ともある。
・「相番」江戸時代の幾つかの職務の当番や宿直の中には二人一組で交互にその職務を務めるものが多い。
・「番町馬場」御用明地騎射馬場(三番町馬場)のこと。現在の靖国神社参道に当たる。
・「前後行來も絶(たゆ)る程の大雨にて、道の側に女など見へてうづくまり居しが」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は、ここが、
前後行來も絕る程の大雨にて、提灯一つを不吹消(ふきけさざる)やう桐油(とうゆ)の陰にして通りしに、道の側に女子とも見へてうづくまり居しが、
となっている。「桐油」は長谷川氏注に『桐油をひいた紙の合羽』とある。これはあった方が場面の流れとしては自然。底本はここを脱文したと考えてよい。これを挿入して訳した。
・「合點行かず樣子故右の際を行過しに、」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では、
合點行かざる樣子故、右の際を行過しに、
とある。こちらの方がよいが、文脈から言えば、
合點行かざるままに、右の際を行過しに、
とあるべきところであろう。そのように訳した。
・「得(とく)と」は底本のルビ。
・「始見し所に何にても見へす」は底本では「見へす」とある。訂した。
・「四邊打はれたる道」は岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では、
四邊打はなれたる道
となっている。「晴れたる」(見通しがよい)、「離れたる」(淋しい)どちらでも通ずる。
・「歸りしが」相番の急な出務要請を受けているのに、このシチュエーション、そこへ出向く前では不自然である。冒頭で、その帰り、という設定にして訳した。
・「瘧」数日の間隔を置いて周期的に悪寒や震戦、発熱などの症状を繰り返す熱病。本邦では古くから知られているが、平清盛を始めとして、その重い症例の多くはマラリアによるものと考えてよい。病原体は単細胞生物であるアピコンプレクサ門胞子虫綱コクシジウム目アルベオラータ系のマラリア原虫Plasmodium sp.で、昆虫綱双翅(ハエ)目長角(糸角/カ)亜目カ下目カ上科カ科ハマダラカ亜科のハマダラカAnopheles sp.類が媒介する。ヒトに感染する病原体としては熱帯熱マラリア原虫Plasmodium falciparum、三日熱マラリア原虫Plasmodium vivax、四日熱マラリア原虫Plasmodium malariae、卵形マラリア原虫Plasmodium ovaleの四種が知られる。私と同年で優れた社会科教師でもあった畏友永野広務は、二〇〇五年四月、草の根の識字運動の中、インドでマラリアに罹患し、斃れた(私のブログの追悼記事)。マラリアは今も、多くの地上の人々にとって脅威であることを、忘れてはならない。
・「瘴癘」水気を含んだ自然界に生ずる毒気によって起こると考えられていた熱病。
■やぶちゃん現代語訳
番町で奇体なるものに出逢う事
私の一族である牛奥(うしおく)氏の壮年の頃の話。
相番の者から急用の出務要請の使いが参って、秋の、雨風の強い夜で御座ったが、部下一名を召し連れて出で、その帰り、番町馬場の近所を通った折り、前後の往来、人も絶えるほどの大雨となって、提灯一つを大事大事に、吹き消されぬように桐油(きりゆ)の紙合羽の蔭にして、しずしずと歩いて御座った。
……すると……
……道の傍らに、誰やらん、女と見える者が蹲っておって……その者、合羽様(よう)のものを着てはいるものの、番傘や被り笠の類いも見えず……いや実は……確かに女である、とも定かでは御座らなんだ……いやもう、如何にも妖しげな感じのする、『者』で御座った。
合点のゆかぬままに、その者の側を通り過ぎたところ、召し連れて御座った侍が、
「……先程の、『あれ』は……一体、何で御座いましょう?……一つ、確かめて参りましょうか?……」
と申したが、
「……いらぬことじゃ。」
と答えたものの……丁度、提灯を持った足軽風の者が、二人連れで、すぐの脇道からやって参って、今しがた我らが来た方へと向かわんとせし故、不審なる者の由話しを致し、彼等の後について、元来た道を戻って、かの妖しき者の様子をとくと見んとしたところ……
……最初に見かけた場所には……
……何者も……
……何も見えずに、御座った……
……そこは四辺、遙かに見通しのよい、如何にも、もの寂しい道で御座った故、
「……何処(いずこ)へ参ったものであろう……」
「……いえ、短い間のこと故、何処(どこ)へ行けようはずも、これ、御座いませぬ……」
などと、二人して不審を呟きつつ、帰ったので御座ったが、
……屋敷の門へ入らんとした、丁度、その時……
……しきりに寒気が致いて参って……
……いや、もう、その翌日には瘧(おこ)りを発症致いて、そのまま二十日ほど病み伏せって御座った……
……かの召し連れて御座った侍も……
……ほどのう、同様の寒気がし、よう似た熱病のため……
……我と同じく、二十日ほど病み伏せった――との、こと。
……さても……瘴癘(しょうれい)の気が……雨中に人形(ひとがた)となって……姿を現わした……と、で、も……言うのであろうか……
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