生物學講話 丘淺次郎 三 産まぬ生物
三 産まぬ生物
[蜜蜂の雄 蜜蜂の雌 働蜂]
[雄蟻 雌蟻 働蟻]
[やぶちゃん注:この図像を見ると、「雌蟻」とキャプションのある個体は頭部が有意に小さい。これは一般には雄蟻の特徴である。このキャプションは「雌蟻」と「雄蟻」とが誤っているのではあるまいか? 識者の御教授を乞うものである。]
次に子を産まぬ生物はないかと考へると、これにも普通の例が幾らかある。世人も知る通り、蜜蜂や蟻の類には雄と雌との外に働蜂とか働蟻とか名づけるのがあるが、これらは一生涯他の産んだ子供を養ひ育てるだけで、自身に子を産むといふことは決してない。蜜蜂でも蟻でも多數集まつて社會を造る昆蟲であるが、その社會の大部分を成すものは右の働蜂または働蟻であつて、雄と雌とはいづれも實に少數にすぎず、蜜蜂に於ては子を産む雌はたゞ女王と稱するもの一疋より外にはない。而してこの少數の雌雄は子を産むことを專門の仕事とし、全社會のために生殖の働を引き受けて居る。隨つて食物を集めること、敵の攻撃を防ぐこと、巣を造ること、子を育てることなどは、總べて働蜂または働蟻の役目となり、朝から晩まで非常に忙しく働いて居る故、通常人の眼に觸れる蜂や蟻は、皆働蜂・働蟻のみである。然らば働蜂・働蟻なるものは雌雄兩性の外に一種特別の性を有するかといふと、決して左樣ではない。何故かといふに、解剖によつて體の内部の構造を調べて見ると、小さいながら卵巣も輸卵管も明に具へて居るから、慥に雌と見做すべきものである。たゞこれらの生殖器官はみな甚だ小さくて實際その働きをなすに適せぬといふに過ぎぬ。言を換へれば、働蜂・働蟻は、生殖器官の退化した雌である。これから考へて見ると、蜜蜂や蟻の雌は、分業の結果二種類の形に分れ、一は生殖器官が特に発達して、全社會のために生殖の働を引き受けるに適するものとなり、他は生殖器官が退化して生殖の働が出來なくなり、その代わりに他の體部の働が進んで、食物を集めること、子を育てることなどは、十分に出來るやうになつたものと見做さねばならぬ。
右の外にもなほ、一度も子を産まずに生涯を終る生物は、人の見慣れぬやうな海産の下等動物には澤山に例があるが、いづれも團體を造つて生存する種類で、その中の個體の間に分業が行はれ、榮養を司どるものと、生殖の働きをするものとの別が生じたものである。斯くの如く一個體を取つて見ると、子を産まずに一生涯を終わるものは敢て珍しくはないが、種族全體として子を産まなかつたならば、その種族は無論一代限りで種切れとなるに定まつて居るから、そのやうなものは實際には決してない。生物でありながら、子を産まぬものは、必ず子を産む役を同僚に讓つて、自分はその他の仕事を引き受けて居る個體に限ることである。