耳嚢 巻之四 賊心の子を知る親の事
賊心の子を知る親の事
京都三條通りと哉(や)らんに商人のありしが、一人の小鬼兒を持しが、彼悴(かのせがれ)五六才の時夏の事也しが、其親へ瓜を食度(くひたき)由を申けるを、後に調(ととの)へ與(あたふ)べしといひて過しに、暫く過て瓜商人來りしを呼て直段(ねだん)を付しが、直段不調(ととのはず)して瓜商人立歸りぬ。又こそ來んといひしに、彼の五六才の小兒、唯今商人瓜を落し置しとて椽下(えんのした)より二つ取出しぬ。其親つくづくと考へて、右の小兒を責め尋しに、直段きめ合(あひ)の内に瓜二つ橡下へ立廻る振り蹴込たる由を申ける故、彼親大に驚き或は歎き或は怒りて、迚も始終親の愁をなすべき事と、稻荷祭禮の節伏見海道人群集の節、突放して不知(しらず)顏にて宿へ歸りぬ。妻には途中にて見失ひしと語りて、鐘太鼓して組合を賴み、二三日は迷子を尋、程過ぬれば夫(それ)なりにして濟(すみ)ぬ。夫より五七年も過て、扨も捨し子はいかゞ也しやと、流石恩愛の忍びがたきにや、伏見海道へまかりし序(ついで)に或茶屋へ寄りて、四五年以前に我しれる人此邊にて子を見失ひしといひし事有りしと語りければ、其子は向(むかひ)の多葉粉やに居候若衆(わかしゆ)也。よき生れ付にて多葉粉屋夫婦實子の如く育て、手跡(しゆせき)抔も書て今は人も羨む程の子也と語る故、餘所ながら是を見るに、其容儀と言(いひ)發明らしき樣子殘る所なければ、扨々殘念成事をせしと思へども今更詮方もなく、又一年も立て其近所にて樣子を聞ば、彌々評判よろしき取どりの沙汰故、頻に殘念に成りて、今や妻にも語り彼多葉粉屋へ至り名乘らんと思ひしが、五六才の時親の愁とも成らんと一度見切りしを、今更飜(ひるがへ)さんはきたなしとて打過けるが、又二三年過て彼所を通りしに、有し多葉粉屋も行方なし。先に腰懸て樣子を聞出せしみせに立寄、四方山の物語の上多葉粉屋の事を尋しに、其多葉粉屋は先に御咄申せし拾ひ子故に、今はいかゞ成けん行方も知らず、恐ろしきは彼拾ひ子、大きなる盜惡事(ぬすみあくじ)をして、親迄も迷惑の事に及びしとの咄を聞て、能(よく)こそ見限りて能も執着を放(はなち)けるといひしとかや。
□やぶちゃん注
○前項連関:巧妙なる詐欺団から根っからの悪党の少年へ悪事連関。今回の訳は、今までのような根岸の語りを意識した、「御座る」調のくだくだしい感じに少し飽きたので(以降ではまた戻ると思うが)、全体に禁欲的でドライな訳文にしてみた。なお会話文ではやや京都弁染みたものを用いたが、私は京都弁をよく知らないので、心内語はほぼ標準語に統一した。
・「食度(くひたき)」底本は『(くはせたき)』とルビを振るが、訂した。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版も『くいたき』とある。
・「立廻る振り蹴込たる」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は『立廻る振りして蹴込たる』とある。こちらを採る。
・「稻荷祭禮の節」伏見稲荷大社の稲荷祭。特にこれは一連の稲荷祭りの中でもその初日に当たる、神幸祭若しくは稲荷のお出(いで)と呼ばれる祭りを指すものと思われる。陰暦三月の中の午の日(二番目の午の日)に行われた(現在は四月二十日の最寄の日曜日に行われている)。なお、三条通りから伏見稲荷へは南北直線距離最短でも五キロ弱離れる。
・「今更飜(ひるがへ)さんは」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は『今更帰さんは』とあるが、本書の方が、父の台詞としてはよい。本書でも実は「飜(かへ)さんは」と訓じている可能性もあるが、私は文字通り、父親が心を飜す、翻意する、の意で採った。
・「能(よく)」は底本のルビ。
■やぶちゃん現代語訳
生来の賊心を持った子を見抜いた親の事
京都三条通りとかに、とある商人があった。彼には一人の子があったが、この悴が五、六歳の時の、夏のことであった。その子が父に、
「瓜、食(た)べたい。」
と言うので、
「後で買(こ)うてやるさかい。」
と言い紛らかしておいた。
その日、暫くして、たまたま瓜売りが通り掛ったのを幸い、家内に呼び入れて値を訊いたが、これが如何にも高い。さんざん値引きを求めたものの、結局、折り合いつかず、買わずに帰した。子には、
「また、直きに他(ほか)のもんが売りに来はるて。」
と言い訳した。
ところが、かの五、六歳の子供は、
「……さっき、瓜売りが落といていかはった……」
と言いながら、縁の下より瓜を二つ、取り出だす。
父は黙って暫く考えていたが、結局、子をきつく問い糺いたところ、最後には如何にも厭そうに、見たこともない悪しき眼つきにて、それも平然と、
「……値(ねえ)をあれこれしとる間(ま)に、瓜売りのそばで、遊んでおるふりして、ぽんと、瓜二つ、あんじょう、縁の下へ蹴り込んだんや。……」
と、嘯(うそぶ)く。……
……その聊かも悪びれる様子もない獰悪(どうあく)の眼(まなこ)に、父は大いに驚き、歎き、怒った。
……そうして……
『……さても、この子は、我ら親の、永き愁いともなろうほどに……』
と、心底、感じる自分に気づいていた。……
翌年、三月の中の午の、伏見稲荷の祭礼の日、父は、かの悴を連れて祭り見物に出掛けた。
伏見街道には稲荷のお出(いで)での参詣人でごった返していた。
父はその人混みの中へ――
――子を
――突き放した
――そうして
――素知らぬ顔をして
――そのまま家へ帰った。……
妻へは、
「……伏見からの帰るさに、はぐれてしもた……」
と悲痛な思いで――を演じて――語り――二、三日の間は、そうした折りの定石通り、人を集めては鉦・太鼓を叩いて迷子捜しに奔走した――振りをした――。しかし、不幸にして――いや、彼には幸いにして――見つかることなく、妻へは神隠しに逢ったと諦めよ――と如何にもな諭しを入れ、それで――仕舞い――となった。
それから五年か七年も過ぎた頃、
「……さても……捨てた子(こお)は……どないしとるやろ……」
と――かくも非情の仕儀を講じた父も――流石に恩愛の情の忍び難かったものか――ある日のこと、所用で伏見街道へ参ったついでに、とある茶屋へ立ち寄って、店の者と四方山話をしつつ、それとなく、
「……四、五年ほど前のこと、我の知れる御仁が、この辺りで己が悴とはぐれてしもうたことがおますが……」
と水を向けると、
「……そら、向かいの煙草屋におらはる、若衆のことやおまへんか?! なかなか、かわらしい子(こお)で、煙草屋の夫婦(みょーと)が実の子のように育てて、読み書きもえろう巧(うも)うての! 今は近隣にても、誰(たれ)も羨むほどの子(こお)でおます。……」
と語る。
「……いや……その子(こお)とは……様子が違いますな……」
と言い紛らして、茶屋を出でて、立ち去る振りをした。
そうして、暫く経ってから戻ると、物蔭より、そうっと煙草屋の方を覗いてみた。……すると……
……その端正な容貌といい……
……利発そうな雰囲気といい……
……最早、かの日の――邪眼の――面影は、これ、微塵も残してはおらなかった。……
『……さてもさてッ!……残念なことを、してしもうた!……』
と思ったが、今更、詮方もなかった。――
また、一年が経った。
また、かの近所にて、それとなく、かの悴の様子を訊く。――と――いよいよ評判よろしく、聴くことは皆、これ、何もかもが――褒め言葉に続く褒め言葉ばかり――であった。――
これを聴くに至って――父は、流石に深く、慙愧の念に襲われた。
『……かくなる上は……妻にも総てを打ち明け……かの煙草屋へと参って……親の名乗り、しょうか……』
と、思ったのだが、
『……五、六歳の時、親の愁いともならんと……一度は見切りをつけて沿道に棄てたものを……今更、子知らずの、かの非道の思いと行いを……都合よう、翻して……返してくれと言うは……これは……汚ない!!……』
と、またしても、何もせず、うち過ぎた。――
かくしてまた、二、三年が過ぎた。
男がまた、かの伏見街道を通った。
そこにあったはずの――煙草屋が――ない――。
四、五年前、最初に床几に腰懸けて様子を訊き出した、あの煙草屋の正面にあった、かの茶屋へ立ち寄って、あの折りと同じ店の者と、又しても四方山話をしつつ、それとなく、なくなった向かいの煙草屋の話に水を向けると、
「……あの煙草屋は、ほうれ、ずうと前(せん)にお話し致しました、あの拾い子のため……今はどないしてはるやろ……一家離散して、行方も知れんようになりましたんや……ああ、恐ろしゅうおすは、かの拾い子……よう言わん盗みや悪事を働き……親御はんともども……仕置きを受くる羽目になりはったんやそうどす……」
と語った。――
「……矢張り……さればこそ……よくこそ……あの時……かの者、きっぱりと、見限ったわ!……よくこそ……あの時……恩愛の執心、美事、見放いたわ!……」
と父は一人ごちた、とか言うことである。