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2012/06/21

耳囊 卷之四 魔魅不思議の事

 

 魔魅不思議の事

 

 或る人の語りけるは、小日向に小身の御旗本の二男、いづちへ行けん其行形をしれず。其祖母深く歎きて所々心懸けしに終に音信(おとづれ)なかりしが、或時彼祖母本鄕兼康(かねやす)の前にて、風與(ふと)彼二男に逢ひける故、いづかたへ行しやと或ひは歎き或は怒りて尋ければ、されば御歎きをかけ候も恐入候得共(おそれいりさふらへども)いま程は我等事も難儀成事もなく世を送り候へば、案じ給ふべからず、宿へも歸り御目にかゝり度候へ共、左ありては身の爲人の爲にもならざる間其事なく過ぎ侍る、最早御別れ可申といふを、祖母は袖を引留めて暫しと申ければ、左思ひ給はゞ來る幾日に淺草觀音境内の念佛堂へ來り給へ、あれにて御目に懸るべしといひし故、立別れ歸りかくかくと語りけれど、(老にや耄(ほ)れ給ふなりとて家内の者もとり合ざれど、其日になれば是非淺草へ可參(まゐるべし)とて、僕壹人召連れて觀音境内の念佛堂へ至りければ、果して彼次男來りてかれ是の咄をなし、最早尋給ふまじ、我等もいまは聊難儀なる事もなしと語り、右連れにもありける歟、老僧抔一兩輩念佛堂に見へしが、其後人だまりに立ちかくれ見失ひける由。召連れし小ものも、彼樣子を見しは祖母の物語と同じ事なる由。天狗といへるものゝ所爲にやと、祖母の老耄の沙汰は止みしとなり。)

 

□やぶちゃん注

〇前項連関:私にはある強烈な連関を感じさせる。それは……かの癩病筋の家に生き残った女人と別れて俗世へ帰還した男の眼差しと、この失踪してたまさか姿を現わした次男の眼の輝きの中に――不思議に共通したあるペーソス(哀感)を感じるからである。……

・「魔魅」人を誑(たぶら)かす魔物。但し、ここでは異界の意の「魔界」と訳した。本話のような天狗による失踪譚や異界訪問譚は枚挙に暇がない。その中でも、天狗の導きによって神仙界を訪れ、そこで呪術修行をして帰って来たという天狗小僧寅吉を保護、その聞き書きを公刊した平田篤胤の「仙境異聞」(文政五(一八二二)年刊)は名高い。天狗小僧寅吉の幽冥界からの帰還は文政三(一八二〇)年の秋の末のこととされる。寅吉は七歳の時に天狗に攫われたとし、あちらの世界にいたのは七~九年とするものが多いので、最長で計算すると寅吉の天狗神隠し事件の発生は文化二(一八〇五)年まで遡れる。本執筆を寛政九(一七九七)年、同年中の事件と仮定すると、その間僅かに九年後……寅吉は異界で――この次男坊の指導を受けたのやも――知れぬな……

・「本鄕兼康」現在の文京区本郷三丁目南側の東の角にあった雑貨店。現在は少し位置を動かしたが「かねやす」として現存する。以下、ウィキの「かねやす」より引用する。『「かねやす」を興したのは初代・兼康祐悦(かねやす ゆうえつ)で、京都で口中医をしていた。口中医というのは現代でいう歯医者である。徳川家康が江戸入府した際に従って、江戸に移住し、口中医をしていた』。『元禄年間に、歯磨き粉である「乳香散」を製造販売したところ、大いに人気を呼び、それをきっかけにして小間物店「兼康」を開業する。「乳香散」が爆発的に売れたため、当時の当主は弟にのれん分けをし、芝にもう一つの「兼康」を開店した。同種の製品が他でも作られ、売上が伸び悩むようになると、本郷と芝の両店で元祖争いが起こり、裁判となる。これを裁いたのは大岡忠相であった。大岡は芝の店を「兼康」、本郷の店を「かねやす」とせよ、という処分を下した。本郷の店がひらがななのはそのためである。その後、芝の店は廃業した』。享保十五(一七三〇)年の大火の後、『復興する際、大岡忠相は本郷の「かねやす」があったあたりから南側の建物には塗屋・土蔵造りを奨励し、屋根は茅葺きを禁じ、瓦で葺くことを許した。このため、「かねやす」が江戸の北限として認識されるようになり、「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」の川柳が生まれた』(但し、後の文政元(一八一八)年に行われた江戸範囲を示す朱引の定めでは、「かねやす」よりも遙か北側に引かれている)。『東京(江戸)という都市部において度重なる大火や地震、戦災を経ても同一店舗が』四〇〇年もの永きに亙って存在しているのは珍しいケースである、とも記されている。――ここはそういう意味でも、普通でないパワーを持つ「魔界」なのではないか? いや、そもそもここが江戸の境界であったとすれば、それは異界との境界でもあったのだ。祖母が失踪した、天狗の仲間となった、異界の者となった次男と遭遇するに、この場所は正しく民俗学的な異界への通路として相応しいということがここに判明すると言えるのではあるまいか?

・「其事なく過ぎ侍る」底本「其事なく過き侍る」。訂した。

・「(老にや……老耄の沙汰は止みしとなり。)」部分は底本に三村本からの補綴を示す右注記あり。

・「耄(ほ)れ」自動詞ラ行下二段活用「惚(ほ)る」。年をとってボケる、耄碌するの意。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 魔界の不思議の事

 

 ある人の語った話で御座る。

 小日向に住む小身の御旗本の次男、一体、どこへどうしたものやら、行方知れずとなった。

 その祖母、深く嘆いて、いつも方々に心懸けて捜し廻って御座ったれど、遂に何の音沙汰も御座らなんだ。

 ところが――

ある日のこと、その祖母自身が本郷兼康の前にて……

――ぱったり――

出逢(お)うた! かの次男に!

「……!……いったい!……どこへおいでたえ?……」

と、あるいは嘆き、あるいはしかりつつ、なおも尋ねたところ、

「……されば、皆様には多大なる御心配をお掛け致しおること、これ、まっこと、恐れ入って御座いまする。……なれど、今にては、我らも難儀なることものう、身過ぎ致いて御座いますればこそ。……どうか、ご案じめさるな。……実家へも立ち帰り、皆様にもお目にかかりたく思うはやまやまなれど……かく致いては……我が身のためにも、あらゆる人々のためにも……これ、よからざることにてあれば……結果、今まで打ち過ぎて参りました。……かくして……御祖母様(おばばさま)……これにて……最早、お別れ……申し上げまする……」

と立ち去らんとするを、祖母、

「お待ち!」

と、孫の袖取って引き留めた。

 細きたおやかなその手(てえ)……流石に孫には……振り払(はろ)えまい……

「……御祖母様(おばばさま)……かくも拙者がこと、心懸けて下すったなれば……来たる〇月×日に……浅草観音境内の念仏堂へ……お参り下されい。……そこにて……今一度だけ……お目にかかりましょうぞ……」

と言うて、雑踏の中に――姿を――消した……。

 家へ立ち戻るや、かの祖母、かくかくと今日の出来事を話いたものの、

「……御祖母様(おばばさま)、遂に……耄碌なされたのぅ……」

と、家内には、誰(たれ)一人としてとり合(お)う者とて、ない。

 なれど、約束のその日になったれば、

「孫は確かに言うたによって、必ず浅草へ参ります!」

と聞かず、従僕一人をめし連れて観音境内の念仏堂へと参詣致いたところ……

――果たして――約束通り――かの次男がやって参った……

「……御祖母様(おばばさま)……どうか最早……我らがこと……二度と、お探しなされるな……我らも今となっては、まっこと、聊かの難儀なること、これ、御座いませぬによって……」

と優しゅう語って聞かせた。……

……その連れにてもあったものか、奇体なる老僧なんどのそれとなく付き添うておるようなる者が一人、念仏堂の近くにて、うろついて御座った……

……が……ふと気付けば……かの孫は……かの老僧と人ごみの中へと紛れ……そのまま……見失(みうしの)うてしまったとのことじゃった。……
 召し連れておった小者も、祖母とかの次男との最後の邂逅の様は一から十まで見申し上げ、かの祖母様(おばばさま)の話の通り、と誓(ちこ)うて御座った。

 聞く者、皆、

「……かの失踪……これ、天狗、というものの、仕業にても、あろうか?……」

と噂致いた。

 祖母耄碌という風評は、これにて家中にては絶えた、とのことで御座る。

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