生物學講話 丘淺次郎 二 進んで求めるもの(四) / 了
魚類は總べて水中に住むもの故、昔から到底出來ぬことを「木によつて魚を求むる如し」というて居るが、よく調べて見ると、魚でありながら陸上に出るものが全くないこともない。熱帶地方から東京灣あたりまでの海岸に住む「とびはぜ」いう小さな魚があるが、これなどは潮の引いた時は、砂や泥の乾いた上を何時間も蛙の如くに躍ね廻つて、柔かい蟲を拾うて食うて居る。比較的大きな眼玉が頭の頂上に並んで居るので、容貌までが幾分か蛙めいて見える。更に驚くべきはインド地方に産する「きのぼりうを」というふ淡水魚で、形は稍々鮒に似て大きさは一尺〔約三〇・三センチメートル〕近くにもなるが、鰓の仕掛が普通の魚とは少しく違ふので、水から出ても容易には死なず、鰓蓋の外面にある小さな鉤を用ゐて樹の幹を登ることが出來る。されば東インドまで行けば、「木によつて魚を求める」といふ語は、物事の出來ぬ譬としては通用せぬ。
[やぶちゃん注:「とびはぜ」条鰭綱スズキ目ハゼ亜目ハゼ科オキスデルシス亜科トビハゼ
Periophthalmus modestus。は頭頂部に突き出て左右がほぼ接している眼球は平坦な干潟を見渡すのに適応している。胸鰭の付け根部分の発達した筋肉と尾鰭を使い、カエルのような連続ジャンプを行い、想像以上に素早く移動する。トビハゼは皮膚呼吸の能力が高い上に、代謝によって発生する有害物質であるアンモニアをアミノ酸に変える能力を持ち、空気に触れての長時間の活動が可能となった。
「きのぼりうを」スズキ目キノボリウオ亜目キノボリウオ科キノボリウオ(アナバス)
Anabas testudineus。中国南部から東南アジアの湖沼・河川にすむ淡水魚。丘先生は、「樹の幹を登ることが出來る」とするが、参照したウィキの「キノボリウオ」によれば、『実際は木に登ることはなく、実際には、雨天時などに地面を這い回る程度である。
このような名が付いたのは、鳥に捕まって木の上まで運ばれ、生きているのを目撃した人が、木に登ったと勘違いしたためである。このように地上に進出できるのは、同じ仲間のベタやグラミーと同様に、エラブタの中に上鰓器官(ラビリンス器官)を持ち、これを利用して空気呼吸ができることと、他の仲間と異なり、這い回りやすい体型のためである』とあり、私も、木に登っているのは図像ばかりで、かなり湿った草地の泥の中を這うようにしているものしか見たことがない。因みに、上鰓器官とはベタなどを含むキノボリウオ亜目の共通の特徴で、鰓蓋の鰓の鰓上皮組織が変形したもの(構造が迷路状になっていることから「ラビリンス器官」とも呼ばれる)で、口を空気中に出して直接空気を吸い込み、ここを通して直接、空気呼吸をする器官。これは水中の溶存酸素が少ない劣悪な状況にも堪えうることを意味している。]
[長さ二十糎ほどの淡水魚である。東印度の河に産する。水上を飛ぶ昆蟲を狙ひ口から一滴の水を吹き當てこれを落して捕へ食ふ]
尚東印度には「水玉魚」〔テッポウウオ〕といふ面白い淡水魚が居る。これは身長五、六寸〔約一五~一八センチ〕の扁平な魚であるが、自身は水の中に居ながら巧に空中の蟲を捕へて食ふ。その方法は、先づ水面まで浮び出で、口を水面上に突き出して、飛んで居る昆蟲を覗うて一滴の水玉を吹き當てるのである。當てられた蟲は水玉と共に水中へ落ちて食はれてしまふ。「あんかう」の類は海の底に居て、上顎の前方から突出して居る釣竿の如きものを動かし、巧に小さな魚類を誘つて急に之を丸呑みにするが、數百尋〔一尋は、約一・八二メートル/百尋で凡そ一八三メートルであるから、五百メートル前後。日本産アンコウの棲息深度は五百メートルまで。〕の深い底で年中日光の達せぬ暗黑な處に居る「あんかう」の類には、釣竿の先が光つて恰も提燈を差出して居る如きものもある。皆口が非常に大きくて、口を開けば直に胃の奧までが見えるかと思ふ程であるが、深海の底に棲む魚には之よりも遙に口の大きな種類が幾らもある。こゝに掲げた「おほのどうを」〔フウセンウナギ〕と稱するものは、身體は殆ど全部口であるともいふべき程で、口だけを切り去つたら、唯細長い尾だけとなつて身體は何程も殘らぬ。但し二千尋〔約三六五七メートル〕以上の深い海に住む魚であるから、餌を求めるに當つて何故かやうな驚くべく大きな口が必要であるか、その習性の詳しいことは分らぬ。
[おほのど魚]
[やぶちゃん注:「水玉魚」スズキ目スズキ亜目テッポウウオ
Toxotes jaculatrix 及び同テッポウウオ属に属する一属七種の総称。東南アジアとその熱帯域周辺を中心に分布。以下、参照したウィキの「テッポウウオ」には、『体型はタイのように左右に平たい。口先は下顎が上顎より前に出て、前上方に向けて尖る。背鰭は体の後方に偏って臀鰭のほぼ反対側に付き、ここで最も体高が高くなる。横から見ると水滴形を横倒しにしたような体型で』、『口に含んだ水を発射して、水面上の葉に止まった昆虫などを撃ち落とし、捕食する行動がよく知られており、和名「鉄砲魚」はここに由来する』英名“Archerfish”(射手魚)、学名属名の“Toxotes”も「射手」を意味する。『口蓋には前方へ向けて細くなる溝があり、そこに下から舌を当てることで喉から口先にかけて水路が形成される。鰓蓋を強く閉じることで』一メートル以上『水を飛ばすことができる。また、水面近くの獲物はジャンプして捕食することもある。水面を隔てると垂直以外の角度では屈折が起こり、実際の位置からずれて見えるが、テッポウウオ類は屈折を計算して水の噴射やジャンプができる。ただし射程距離や命中率には個体差がある』。本邦には棲息しないと考えられていたが、一九八〇年、沖縄県西表島で
Toxotes jaculatrix が発見された。本国産種はまた、『河口沖合いの刺し網に大型個体が掛かった例が報告されていて、川と海をまた』いで、淡水・汽水・海水の広域に適応している可能性があるとされる。『水面より上の小動物以外にも、水面のアメンボ類や落下生物、小魚や甲殻類など水生小動物も食べる。採餌行動に水鉄砲が不可欠というわけでもなく、どうして水鉄砲による捕食を身に付けたのかは謎となっている』とある。
「あんかう」新鰭亜綱側棘鰭上目アンコウ目 Lophiiformes。現在、三亜目十八科六十六属三百十三種から構成される海水魚で、ここに挙がった頭部の誘引突起(イリシウム)で知られるアカグツ亜目チョウチンアンコウ上科チョウチンアンコウ科チョウチンアンコウ
Himantolophus
groenlandicus を始めとして深海域を生息場所とする種が多い。因みに、イリシウムは“illicium”で、ラテン語の“illicio”(誘惑する)+-ium(ラテン語系名詞語尾で化学元素・器官部名・生体組織名などを表わす)の合成語であろう。このイリシウムから発光液を噴出する様子は昭和四十二(一九六七)年二月に鎌倉の海岸に打ち上げられたチョウチンアンコウを江の島水族館が八日間飼育に成功した際、世界で初めて観察された。その二度目の江ノ島水族館で観測された発光映像がここにある。
『「おほのどうを」〔フウセンウナギ〕』カライワシ上目フウセンウナギ目フウセンウナギ亜目フウセンウナギ科フウセンウナギ属
Saccopharynx の一属十一種の総称。学名のサッコファリンクス属の呼称も一般的である。学名は“Saccus”(ラテン語で「袋」)+“pharynx”(ギリシア語で「喉」)で、「袋状に膨らむ喉(のみの生き物)」の意である。以下、参照したウィキの「フウセンウナギ」によれば、大西洋・インド洋・太平洋の深海二〇〇〇メートル前後から約四〇〇〇メートル付近までの間に生息する漸深層遊泳性深海魚で、巨大な口を持つことで知られる。全長は六〇センチメートルから一六〇センチメートル程度。色は何れも黒っぽく、口器には小さな歯が多く並ぶ。尾部先端には発光器を持ち、『他のフウセンウナギ目の魚と同様、接続骨、鰓蓋骨、鰓条骨、鱗、肋骨、幽門垂、鰾(うきぶくろ)などを持たない。ウナギ目と同様にレプトケファルス幼生(葉形幼生)期を経て成長する』。『その奇妙な形態からかつては硬骨魚類ではないと考えた研究者もいた』が二〇〇〇年代に行われたミトコンドリアDNA解析によって『本科および他のフウセンウナギ目魚類はウナギ目の内部に分岐し、特にシギウナギ科・ノコバウナギ科・ウナギ科に近縁であることが示唆されている』とある。――因みに私はこのサッコファリンクス属の殆んどの種の学名を暗唱出来る程、サッコファリンクス好きである。
フウセンウナギ科フウセンウナギ属
Saccopharynx
ampullaceus
Saccopharynx
berteli
Saccopharynx
harrisoni
Saccopharynx
hjorti
Saccopharynx
lavenbergi
Saccopharynx
paucovertebratis
Saccopharynx
ramosus
Saccopharynx
schmidti
Saccopharynx
thalassa
Saccopharynx
trilobatus
……小学生の時、かの小学館の学習図鑑「魚貝の図鑑」で初めて出逢った、この「口だけ頭」のエイリアン・フィッシュ……奇態な生き物は……ものの美事に……怪獣少年の僕のハートを摑んで離さなかったのだ……
[魚を食うてゐるひとで]
進んで餌を求める動物の例として尚一つ「ひとで」類の餌の食ひ方を述べやう。「ひとで」類は淺い海の底に住む星形の動物で、どこの國でも「海の星」という名がつけてあるが、體には唯裏と表との別があるだけで前も後もない。裏からは澤山の細長い管狀の足を出し、足を延ばして何かに足の先の吸盤で吸ひ附き、次に足を縮めて身體をその方へ引きずつて漸々進行する。好んで貝類を食するから、牡蠣や眞珠の養殖場には大害をなすものであるが、その食ひ方を見るに、小さな貝ならば體の裏面の中央にある口で丸呑みにし、口に入らぬやうな大きな貝ならば、まず五本の腕で之を抱へ、胃を裏返しにして口より出し、之を以て貝を包んでその肉を溶かして吸ひ入れるのである。「ひとで」が暫時抱へて居た貝を取つて見ると、貝殼は舊のまゝで少しも傷はないが、内は已に空虛になつて居る。海中の中に「ひとで」と魚とを一處に飼つて置くと、往々「ひとで」が魚を食ふことがあるが、その時も同樣な食ひ方をする。
以上掲げた若干の例によつても分る通り、進んで餌を求めることは大多數の動物の行ふ所で、その方法に至つては、世人の常に見慣れて居るものの外に隨分意表に出た食ひやうをするものがある。而して如何なる場合にも、同樣な方法で食つて居る競爭者が澤山にあるから決して樂は出來ぬ。