耳嚢 巻之四 八尺瓊の曲珠の事
八尺瓊の曲珠の事
神璽(しんじ)はヤサカニノマガタマ也といふ説は恐れ多き事にて、雨下(あまさかる)る鄙(ひな)の論ずべき事にあらめ。往古は日本も璧(たま)を以て證據契約珍器ともなしけるや。□□□□□□□といへる人の許にて、先祖より大切になしけるものありとて、靑色の光りある石玉に紐を付印形(つけいんぎやう)程の大さにせしもの、幾重の服紗(ふくさ)の内より取出し、古來より八坂にのまがたまと唱へる由主人の語りしと、予が元へ來る人の語りし也。
□やぶちゃん注
○前項連関:特に感じさせない。根岸の信心惇直なる神道物。
・「八尺瓊の曲珠」「天(あま)つ璽(しるし)」たるところの三種の神器(草薙剣(くさなぎのつるぎ=天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)・八咫鏡・八尺瓊勾玉)の一つ。八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)。「八坂瓊曲玉」とも書く。ウィキの「八尺瓊勾玉」によれば、『大きな勾玉とも、長い緒に繋いだ勾玉ともされ、また昭和天皇の大喪の礼時に八尺瓊勾玉が入った箱を持った従者は「子供の頭くらいの丸い物が入っている様に感じた」と証言している』。『「さか」は尺の字が宛てられているが上代の長さの単位の咫(あた 円周で径約〇・八尺)のことである。ただし、ここでいう「八尺」は文字通りの「八尺」(漢代一尺約二三・九センチ計算で約一・八メートル)ではなく、通常よりも大きいまたは長いという意味である。また、「弥栄」(いやさか)が転じたものとする説もある』。『「瓊」は赤色の玉のことであり、古くは瑪瑙(メノウ)のことである。璽と呼ぶこともあり、やはり三種の神器のひとつである剣とあわせて「剣璽」と称される。その存在について、「日(陽)」を表す八咫鏡(やたのかがみ)に対して「月(陰)」を表しているのではないかという説がある』。『神話では、岩戸隠れの際に後に玉造連(たまつくりべ)の祖神となる玉祖命(たまのおやのみこと)が作り、八咫鏡とともに太玉命(ふとだま)が捧げ持つ榊の木に掛けられた。後に天孫降臨に際して瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に授けられたとする』(アラビア数字を漢数字に直し、一部に読みを振った)。現在、三種の神器は、八咫鏡が伊勢の神宮の皇大神宮の、また天叢雲剣が熱田神宮の、それぞれの神体として祀られており、本八尺瓊勾玉は皇居吹上御殿の剣璽の間にレプリカの剣とともに安置されているとされるが、これらは皆、天皇自身も実見をしたことがなく、歴史的経緯を見ても、最早、実物ではあり得ない。また勘違いしている人も多いが、過去の事例を見ても三種の神器は即位の絶対条件ではない。
・「神璽」古くは清音「しんし」であった。通常、狭義には本八尺瓊勾玉や天子の印のことを言うが、三種の神器の総称としても用いる。
・「雨下る」底本には右に『(天さかる)』と傍注する。「天離る」で、空の彼方遠く離れてあるの意から、「ひな」「向かふ」の枕詞。
・「あらめ」底本には右に『(ママ)』注記を附す。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は「あらず」。だが、私は文脈からは「雨下る鄙の論ずべき事にあら」ず、と言っておきながら、その実(批判的視点ではあっても、事実として)、語り出してしまう以上、ここは実は根岸、「雨下る鄙の論ずべき事にこそあらめ、往古は日本も……」と「こそ」已然形の逆接用法のニュアンスであったと考える。そのように訳した。
・「璧」標題の「珠」と同義で、元来は丸い形をした美しい宝石を言うが、ここでは中国古代の玉器の一つを指す。扁平な環状で中央に円孔を持つ。身分の標識・祭器とされ、後には高級装飾品として用いられた。
・「□□□□□□□」底本には右に『(約七字分空白)』と傍注。神器に関わる禁忌を期した意識的欠字。
■やぶちゃん現代語訳
八坂瓊曲玉の事
『神璽とは八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)である。』なんどという言説は恐れ多くも畏きも天離(あまさ)る我らが鄙の者どもが軽々に論ずべきことにては、これ、御座らねど、往古は日本も璧を以って証拠契約の珍宝珍器とも致いたものなので御座ろうか。
□□□□□□□という人の元に、先祖より大切に伝えて御座るものがあるということで――それは、青色の光輝を持った石製の宝玉に紐を付け、印形(いんぎょう)程の大きさに成形したもので御座るが――それをまた、その主家の者が、幾重もの袱紗を、如何にも厳かにラッキョウの皮の如く何枚も何枚もひん剥いては、その内より大事大事に取り出だいて、
「――これ、当家にては――古来より――オッツホン!――『八坂にのまがたま』と唱えて御座るものにて御座る……」
と主人が勿体ぶって――否、不敬にも――語って御座った――と、私のところにしばしば訪れるさる人の、語った話で御座る。
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