耳嚢 巻之四 咽へ尖を立し時呪の事
咽へ尖を立し時呪の事
小兒抔咽(のど)へ魚の骨を立て難儀の時、鵜の鳥の羽(は)がひの上に觜置(はしおき)て骨かみ流せ伊勢の神風、と三遍唱へて撫(なづ)れば、拔る事奇々妙々の由。或人かたりける也。
□やぶちゃん注
○前項連関:特に感じさせない。先行する呪(まじな)いシリーズの一。株式会社メディカルトリビューンのHPのここにある耳鼻咽喉科専門医の記載によれば、『喉に刺さりやすい魚の骨は、タイやサバなどの太くて大きな骨より、ウナギやイワシ、サンマなどの小骨が多い。刺さる場所は、外から見える扁桃(へんとう)が一番多いが、時には、喉の奥の舌の付け根である舌根扁桃に刺さることもあ』るが、これらの場所であれば局所麻酔を掛けて簡単に抜くことが出来るが、『さらに奥の声帯の裏側の下咽頭に刺さると、刺さり方によっては、全身麻酔で手術することにな』るとある。但し、『しばらくして痛みが消えれば、多分、骨は抜けているので、受診する必要はない』。『痛みが続くと、刺さったと思われる場所を指などで触って、自分で抜こうとする人がいる。あるいは、ご飯の丸のみを試みる人もいる。それでうまく抜ければよいが、刺さった骨の出ている頭の部分だけが折れ、残りの骨は粘膜の中に埋没し、痛みだけが残るケースも少なくない』ので、本記載のようなものも含めて生兵法は禁物である(最後に、食後に骨が刺さったようなチクチクした痛みが二~三箇月以上も続き、首にしこりがある場合は、咽喉癌の疑いがあるので専門医への診断を促している)。底本の鈴木氏の注に「松屋筆記」(江戸後期の国学者小山田与清(ともきよ)の手になる辞書風随筆)の「二」から引いて、『酢味噌をゆるくしたものに広東縮緬の粉をいれて飲ませれば、たちまち平癒するとある』とし(「広東縮緬」は不詳。ちりめんじゃこのことか? 識者の御教授を乞う)、またネット上でも、酢を飲むと刺さった骨が柔らかくなって抜けるとする投稿を見たが、これ、柔らかくなるには相当時間、その突き刺さった骨が酢に浸る必要があり、私は非科学的であると思うが、如何? 因みに、私は小学校二年生の夏、来客の残した鮨のエビの尾っぽの残骸を、賤しくもしゃぶり喰っているうちに咽頭へ突き刺さり、自分で抜こうとしてますます悪化、翌日、母に連れられて行きつけの歯科医に行き、抜いて貰った経験がある。馬鹿正直に当時の絵日記に書いてあるから、これ、否定しようがない恥ずかしい事実である。
・「尖」は「とげ」。
・「鵜の鳥の羽がひの上に觜置て骨かみ流せ伊勢の神風」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では、
鵜の羽の羽がいの上に嘴置きて骨かみながせ伊勢の神風
である。この和歌の意味には当然なんらかの民俗学的な故事が関与するものと思われるが、不学にして分らぬ。上の句の表現するところは、鵜が大きく喉を反らせて自分の羽交いの上に頭部(嘴)を置くことを意味することを考えると、その意を真似て大きく咽頭部を反らせる動作を伴っていた可能性がある。「かみ」は無論、「嚙み」と「神」を掛けて、「神風を」引き出し、その呪力による骨の粉砕を言上げするものであろう。更に、この岩波版の和歌を声に出してみると、明白に、上の句でハ音を、下の句でカ音を多く発音させる意図が見える。これを三度繰り返して顎を大きく緩やかに動かすことによって、咽頭内部の蠕動を促して、突き刺さったものを自然に押し出そうとするのが真の目的ではあるまいか。さすれば、効果のない迷信とも言えない気もしてくる。
■やぶちゃん現代語訳
喉に棘が突き刺さった場合の呪いの事
子供などが喉に魚の骨を突き立てて困った時、
鵜の羽の羽がいの上に嘴置きて骨かみながせ伊勢の神風
と三辺唱えて喉の辺りをやさしく撫ぜると、たちどころに抜けるのは実に不可思議なることじゃ、とある人が語って御座った。
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