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2012/07/25

耳嚢 巻之四 亂舞傳授事の事

 亂舞傳授事の事

 

 亂舞(らつぷ)傳授事いかにもうやうやしくせし事、幷に謝禮等も弟子迄も夫々附屆(つけとどけ)いたす事、埒(らち)なき事と咄の序(ついで)に、平賀式部少輔(せう)は七太夫が弟子にて彼道をも深く學びしに、式部少輔申けるは、されば其事也、或時七太夫に向ひ、傳授事の謝禮等あまり事重きは不當(あたらざる)事也、其藝に執心の者も貧乏の者は其志を不遂(とげず)無念の事と申ければ、七太夫答けるは、其職分の者其外格別執心の人には、其謝禮の厚薄を不論(ろんぜず)傳授する事も侍れど、其外金帛(きんぱく)を以て傳授に入用の懸るも譯のある事と存候(ぞんじさふらふ)、其子細は、元來亂舞は遊戲の藝なれば輕しめやすく、金銀不足なれば傳授する事もならずといふ處にて、其藝を重んずる所ありしと答し由。謂なき事ならずと爰に書とゞめぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:技芸譚で、先行する「戲藝にも工夫ある事」に遠く連関。この理屈、何やらん、ピンとくる。芸事に限らず、我らが如何なる行為にも、「執心」のないところ、神懸った超絶の舞い――ドゥエンデは宿らぬのである。

・「亂舞」本来は中世の猿楽法師の演じた舞のことだが、近世では能の演技の間に行われる仕舞などをいった。「らんぶ」とも読む。

・「平賀式部少輔」平賀貞愛(さだえ 宝暦八(一七五八)年~?)。底本鈴木氏注に、安永五(一七七六)年従五位下式部少輔、同九年(二十三歳)に家を継ぎ、御徒頭・御目付を経て、寛政四(一七九二)年長崎奉行、同九年御普請奉行、とある(生年はこの記載から逆算した)。根岸より十九年下で、当時は三十代後半である。「少輔」は律令制の諸省の次官(すけ)の職名で、大輔(たいふ)の下に位する。読みは「しょうゆう」「すないすけ」等多様で、歴史的仮名遣は「せうふ」の音変化した「せふ」とする説もある。

・「七太夫」シテ方喜多流の宗家が名乗る名の一つ。寛政期であるから九世喜多七大夫古能(ひさよし 寛保二(一七四二)年~文政一二(一八二九)年)。江戸生。明和七(一七七〇)年に喜多流を継ぎ、喜多流中興の祖と呼ばれるが、この頃、第十一代将軍徳川家斉に宝生流が重用されたため、喜多流は実際には不遇をかこった。能芸史や能面の研究に精進し、「悪魔払」「仮面譜」などの多くの能楽書を残している。

・「金帛」金(きん)と絹。附届けの謝金や絹織物の巻物(現在の舞踊で客に弁当代やお土産代として「巻物」と称するものを配るのかこれに由来するか)。

・「輕しめやすく」「かろんじめやすく」と読んでいるか。持って回った言い方で、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版の『軽(かろん)じやすし』の方が自然。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 乱舞の伝授事に纏わる事

 

 乱舞(らっぷ)の伝授は、これ、如何にも仰々しく致すこと、また、並びにその謝礼なんども、伝授する師のみならず、その弟子にまでもいちいち附届けを致すことを、

「なんともはや、とんでもない仕儀じゃ……」

などと話しして御座ったところ、その場に御座った平賀式部少輔殿――高名な喜多流宗家七太夫古能(ひさよし)殿のお弟子にて、お若いながら、かの能楽の道にも造詣が深(ふこ)う御座った――その平賀式部少輔が申されることに、

「されば、そのことで御座る。

 拙者、ある時、七太夫殿に向かい、

『……伝授の儀の謝礼など、これ、あまりに高過ぎるは……お畏れながら、聊か不都合にして不当では御座いますまいか? その芸に如何に熱心に精進致いて御座っても――貧乏なる者は――これ、その誠意なる志しを遂ぐる能わざること……これ、拙者、無念のことならんと存ずるので御座います……』

と申し上げた。すると、かの七太夫殿の答えは、

『――能楽を生業(なりわい)の職分と致す者、その他、格別に舞いに熱心にして精進致いておる御仁には――これ、その謝礼の多寡に拘らず、伝授することも御座る。――なれど、見方によっては、それなりの金品の遣り取りが乱舞伝授に入り用とすることも、これまた、訳のあることと、申そうぞ。――その訳は、と謂うに――元来、乱舞なんどは所詮、遊戯の芸なればこそ「たがが乱舞」と軽んじられ易う御座る。――たかが乱舞、されど乱舞で御座る。――「金銀不足となれば伝授することも成り難し」――ということにして御座ったならば、これ――「その芸を重んずる気持ちも自然、生ずるところ」――という道理にて御座る――』

とのことで御座った。……」

 この説、謂われなきこととも言い難きことなれば、ここに書き留めておくことと致す。

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