耳嚢 巻之四 老姥の殘魂志を述し事
老姥の殘魂志を述し事
御普請役元締を勤ける早川富三郎が祖母死しけるが、隣家の心安くせし同位の者方へ至りて安否を尋ける故、右の妻不快の事を尋、快よくて目出度抔述ければ、病中尋給りて忝(かたじけなし)、暇乞に參りしといひし故、御普請役の家内なれば、旅などへ赴(おもむき)候やと相應の挨拶なしけるに、向ふの町家の心安き者の方へも行て、同じ樣に禮など述ける。久々煩(わづらは)れける老姥(らうぼ)快くて目出度(めでたき)由、暇乞抔の給ひし事もあれば、同輩の妻も町家の妻も、富三郎方へ罷らんと立出に、富三郎方にては葬禮の仕度などなしける故、驚きて尋ければ、右の老姥は今朝相果し由聞て、何れも驚きけるとかや。
□やぶちゃん注
○前項連関:霊異で軽く連関。実は「耳嚢」にはそれほど多くない、文字通り、本格の怪談物である。
・「老姥」は「らうぼ(ろうぼ)」と読んで、祖母の意。
・「早川富三郎が祖母死しけるが」怪談として「死しけるが」は意図的に外して訳した。
・「同位」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は『同信』。後に「同輩」と出るので、主人が御普請役元締と同位の役方の意であろう。
・「御普請役元締」勘定奉行勘定所組頭の下役であった支配勘定(財政・領地調査担当)の、その下役の一職名。底本の鈴木氏注に『御役高百俵、御役金十両』とある。
■やぶちゃん現代語訳
老姥の残魂の遺志を述べた事
御普請役元締を勤めて御座った早川富三郎の祖母、隣家で親しくして御座った富三郎同輩方の屋敷へ参って、かの同輩妻へ無恙(むよう)の挨拶に訪れた故、隣家の妻、富三郎祖母儀は病中にて思わしからざるを聴き及んで御座ったればこそ、かの祖母に、病いの様子を尋ね、
「すっかり快ようなられ、これはこれは、おめでとう御座りまする。」
と言祝いだ。するとかの祖母、
「病中は、お見舞いを賜わって忝のう御座いました。今日は、暇乞いに、参りまして御座います。」
とのこと。御普請役の家内(いえうち)なれば、富三郎儀、職務によって遠国へでも出役するによって、祖母も養生でも兼ねて附き添うて、ともに旅立つのででもあろうかと、隣家の主婦も相応の挨拶をして別れた。
主婦が、その帰るさを見送って御座ると、かの祖母は向かいの、やはり心安うして御座った町家の者のところへ寄って行き、同じ様に礼を述べておる様子で御座った。
そこで、かの祖母の帰るを見計らって、かの同輩の妻、向かいの町家を訪ね、
「久しゅう煩はれておられた老姥(ろうぼ)の快気なされたは、これ、めでたいことにて御座いまする。旅立ちの暇乞いなんども賜わったことなれば。」
とて、同輩の妻も町屋の妻も、富三郎方へご快気祝いに旅立ちのお餞別のご挨拶を兼ね、二人してお訪ね申しましょう、ということ致し、すぐに一緒に立ち出でると、富三郎方へ参った。
すると何やらん、富三郎方にては葬礼の支度なんどを致いておるようなればこそ、驚いて、
「……何方か、御不幸でも?……」
と尋ねたところ……
……かの祖母は今朝……儚くなられた由……
かの両人、
「そんな! 先程、我らが宅へ元気に参られ……」
「そうで御座います、我らが宅へも! そうして何やらん、『暇乞いの挨拶』とか……」
と、驚き叫んだところで……声も出でずになった、とか申すことで御座る……
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