耳嚢 巻之四 鯲を不動呪の事
鯲を不動呪の事
鯲を買ふ時、升に入りても踊り狂ふ故、一升調ひて外器(ほかのうつは)へうつせば纔(わづ)か也。末の蓋(かさ)を臍へ當てゝ、白眼(にらみ)つけて計らせれば、頓(やが)て一倍也と人のかたりし也。
□やぶちゃん注
○前項連関:連関なし。先行する呪(まじな)いシリーズの一。――関係ないが、私は大の泥鰌好きである。――「駒形とぜう」を月一遍は喰わないと――致命的な鬱に襲われるのである。
・「鯲」は「泥鰌」「鰌」で条鰭綱骨鰾上目コイ目ドジョウ科ドジョウ
Misgurnus
anguillicaudatus。因みに、私がよく授業で言った薀蓄は、ドジョウは鰓呼吸以外に腸呼吸をすることである。水面に浮き上がって再び潜る時、彼らは口から酸素を吸い、その圧を利用して肛門から二酸化炭素を排出している。彼等は水面に出られるような環境でないと――溺死――するのである。なお、「どぜう」という表記は歴史的仮名遣いとしては明白な誤りである。由来としては「どじやう」が四文字で縁起を気にした江戸商人が同音の三文字に変えたものとも言うが、不詳である。更に関心のあられる向きは、ドジョウの博物誌として、私の「和漢三才圖會 卷第五十 魚類 河湖無鱗魚」の「泥鰌」の項及び私の注を参照されたい。
・「不動呪」は「うごかさざざるまじなひ」と読む。
・「升に入りても」江戸の泥鰌売りは桝売りであった。これを知らないと本話の意味が分からない。tachibana2007氏のブログ「食べ物歳時記」の「江戸っ子と泥鰌と川柳」に、
こはさうに泥鰌の枡を持つ女
と桝にぎゅつと一杯よ、泥鰌売りを睨みつけて買い求めても、
おちつくとどじやう五合ほどになり
という始末で、泥鰌売りは踊り暴れる泥鰌を巧みに計り売りし、泥鰌が桝の中で落ち着いてみれば、半分ほどしか入っていなかった、とある(川柳の一部の表記を正しい仮名遣に直させて頂いた)。この五合が、更に本話柄の最後と繋がるのである。即ち、「一倍」、桝正一合強は買える、というのである。
・「末の蓋」岩波版長谷川氏注に『椀のふたの一番小さいもの。』とある。
・「白眼(にらみ)つけて計らせれば、頓(やが)て」二箇所とも底本のルビ。
■やぶちゃん現代語訳
泥鰌を動かないようにさせる呪(まじな)いの事
泥鰌を買う時、桝に入れても大暴れするゆえ、一桝買(こ)うても、家に戻ってほかの器に移してみると、これ、どうみても、一枡どころか、悲しくなるほど僅かしかおらぬ――というは、これまた、世の常で御座る。
そこで妙法を御伝授致そう。
その一 椀の蓋の一とう小さなを用意致いて、
その二 その蓋を泥鰌の腹の辺りにふと当て、
その三 その泥鰌をぐぃっと睨みつけた上で、
泥鰌売りにそう仕掛けた泥鰌を計らせれば――これ、まさに桝一杯に取れるので御座る……とは、さる知人の語った話で御座った。
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