芥川龍之介「上海游記」の「東和洋行」についての新事実
芥川龍之介「上海游記」の「東和洋行」の注に以下を追加した。
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【①の写真及び「東和洋行」についての新事実――二〇一二年七月十三日に配達されたT.S.君の手紙より】
結論から言うと、
――芥川龍之介が最初に立ち寄ったのは「東和洋行」で間違いなかったこと
――「東和洋行」は上海最初の本格的日本旅館であったこと
――写真①に写っている「河濱縁賓館」というホテルは「東和洋行」ではないということ
の三点が今回のT.S.君からもたらされた新事実である。
彼は、私に中国で出版された陳祖恩氏の「上海の日本文化地図」(中国地図出版社・邦訳版)という二〇一〇年に出版された本のコピーを送って呉れた。そこには、「東和洋行」の昔の写真が二枚掲載されている。それと先に紹介した木之内誠氏著になる「上海歴史ガイドマップ」を引き比べつつ、T.S.君が更に推理したものである。
《引用開始》
東和洋行に関して考えたこと
そもそも芥川龍之介はここに宿泊しなかったので、私にはそれほど強い思い入れがあるわけではありません。しかし写真にある東和洋行の建物は、私がカメラに収めた建物とは別物です。少々悔しいので、次のような推測をしました。
「上海の日本文化地図」には「東和洋行は後に北四川路に移転した」とあります。これが前にコピーをお送りした「上海歴史ガイドマップ」上の東和ホテルではないでしょうか。そうだとすれは、「上海歴史ガイドマップ」上の記載がやや分かりにくいのですが、一応一九二九年の移転だと推測されます。私が別に所有している上海の歴史写真集には、一九三四年と注記されたこの辺りの風景写真が掲載されています。そこにはもう東和洋行は見えません。そして私が今回撮影したのと同一と思われる建物が映っています。のっぺらぼうで捉え所がなくて即物的で、私は全く好きになれませんが、これが「上海歴史ガイドマップ」上のエンバンクメントハウス、今の河浜大楼でしょう(同書上では一九三五年という注がありますが、写真集が撮影年を間違えているのかもしれません)。
彼の来訪時、東和洋行は確かに河南北路×北蘇州路にありました。そして、「上海の日本文化地図」所収の写真の建物はまさに彼が立ち寄ったものです。旅館広告の建物写真の横に「蘇州河に臨み」と出ていますから、間違いありません。
なお、写真は交差点の角のようには見えません。建物前の通りの名は何でしょうか。写真中央の正面玄関はどちらの方角に面していたのでしょうか。推測ですが、通りは北蘇州路、正面玄関は南向きで蘇州河に面していたと思います。つまり東和洋行は河南北路×北蘇州路の角から北蘇州路を僅かに東へずれたところにあったということです。なぜなら、広告写真は、路上に射している陽光と木の蔭の具合から、やや逆光気味に見えます。もし河南北路に面しているとしたら、北方から陽が射しているというおかしなことになってしまうからです。
《引用終了》
この写真の分析の妙味には舌を巻いた。私が彼を和製T.S.ホームズと呼ぶ理由がお分かり頂けるものと思う。
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