生物學講話 丘淺次郎 二 進んで求めるもの(三)
鳥の嘴には隨分奇妙な形のものがある。「いすか」の嘴の上下相交叉して居ることは誰も知つて居るが、これは「いすか」に取つては都合がよい。「いすか」が松の實を食ふ所を見るに、足で摑んで嘴を鱗片の間に挿し入れ、一つ頭を振つたかと思ふと、その奧にある松の種は已に「いすか」の口に移つて居るが、雀や「やまがら」のやうな眞つ直ぐな嘴では到底斯く速には取れぬに違ひない。折角の目論見が「いすか」の嘴と食ひ違ふことは人間にとつては甚だ都合の惡いことであるが、「いすか」は若しも嘴が食ひ違つてゐなかつたならば、日々の生活に差し支へが生ずるであらう。また「そりはししぎ」に似た鴫の一種では、細長い嘴の先の方が右に曲つて頗る不自由らしく見えるが、これは海濱の泥砂の上に落ちて居る介殼を起して、その下の蟲を探したりするには却つて具合が宜しい。外國産の鶴の類には、口を閉じても上下の嘴がよく締まらず、その間に大きな窓の明いて居るものがあるが、これも蛤などを啣へるには或は便利かも知れぬ。總べて動物にはそれぞれ專門の餌があつて、口の構造はそれを取るに適するやうになつて居るから、中々他の習性の異なつたものが、急に競爭に加はらうとしても困難である。
[やぶちゃん注:「いすか」スズメ目アトリ科イスカ
Loxia curvirostra。「鶍」「交喙」などと書く。和名は「食ひ違ひ」→「クヒスガヒ」→「ヒスガ」→「イスカ」と転訛したものとされる。嘴の特異性から「いすかの嘴(はし)」という諺があるが、本邦では冬の渡り鳥ではあるものの(北海道や本州の内陸山間部での少数の繁殖が認められる)、現認数は昔から少なかったか、民俗誌が諺以外にはあまり伝わらない。西洋ではキリストが十字架に貼り付けとなった際、その釘を引き抜こうとして、今のような嘴になったという伝承があり、疾病(風邪・痛風・リューマチ・癲癇など)から人を守る幸運のシンボルとされる。
「そりはししぎ」チドリ目シギ科ソリハシシギソリハシシギ
Xenus cinereus。本邦では個体数は少ないが、渡り鳥として知られる。挿絵のキャプションは標準和名ではなく、「はしまがりしぎ」としか読めない名称で示されてある。コツルシギという異名はあるが、これは異名としても一般的とは思われず、次の「窓嘴鶴」同様、異名ではなく、丘先生による形態を説明したキャプションと採るべきであろう。
「窓嘴鶴」本文でも「外國産の鶴の類」とあるのだが、私はこれはツル目ツル科
Gruidaeの「鶴」の類ではなく、コウノトリ目コウノトリ科 Ciconiidae の「鸛」の類とすべきではないかと思う(実際にはコウノトリは鶴に似てはいるが)。この図や本文にあるような嘴の形状はコウノトリ科のスキハシコウAnastomus oscitans 及び同属の種に特徴的なものだからである。挿絵は頭部が有意に黒い(Anastomus oscitans は白く、より鶴らしくは見える)ので北アフリカに主に群生するクロスキハシコウ
Anastomus lamelligerus (もしくはその近縁種か亜種)を描いたもののように見える。「窓嘴鶴」という名は検索にかかってこない。]
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