生物學講話 丘淺次郎 二 進んで求めるもの(二)
次に鳥類に移つて、その中で餌の取り方の面白い例を擧げると、先づ海鳥のなかに「軍艦鳥」と名づけるものがある。この鳥は足の指の間に蹼のある純粹の水鳥であるが、自身で水に游いで魚を取るといふことは殆どなく、いつも鷗などが魚を捕へたのを見付けて、それを空中で横取りすることを本職として居る。されば寧ろ海賊鳥と名づけた方が適當であるが、海賊も商船の數に此して餘り多數になると職業が成り立たぬ如く、この鳥も鷗などに比べて遙かに少數だけより生活することが出來ぬから、自然同僚間に繩張りの爭ひも生じて決して油斷はならぬであらう。之と反對に水鳥でないものが水の中へ潜り込む例には「かはがらす」がある。この鳥は名前の通り羽毛が黑色であるが、足の指を見ると「つぐみ」や「ひよどり」の如き普通の鳥類と少しも違はず、蹼などは少しもないが、常に水邊に居て指を以て水草の莖を摑み、それを傳うて淺い水の底まで行き小さな蟲類などを捕へて食ふ。體形は全く水鳥類と異なるに拘らず、斯く水の底まで潜り込むのは、恐らく先祖以來の因襲を破り、冐險的に新領土の開拓を試みて成功したものとでもいふことが出來やう。
[かはがらす]
[やぶちゃん注:「軍艦鳥」ペリカン目グンカンドリ科グンカンドリ属
Fregata に属する種群。彼らの蹼(水かき)は不完全で趾(足指)の間に切れ込みがあり、第四趾が前後に可動する欠全蹼足という特殊な形態である(ウィキの「グンカンドリ属」に拠った)。
「蹼」は「みづかき(みずかき)」と読む。
「かはがらす」スズメ目カワガラス科カワガラス
Cinclus pallasii。水中での索餌時は水底を這うようにして歩き回って川底の餌を探す。水に潜っている状態では羽毛の間に空気が含まれるために全身が銀色に見える。雛は飛べない内から水中を泳いだり歩くことが出来るところを見ると、「先祖以來の因襲を破り、冐險的に新領土の開拓を試みて成功したもの」という丘先生のお言葉が、しっくりする(ウィキの「カワガラス」に拠った)。]
鳥類の嘴は各々食物の種類に應じて形の異なるもので、穀粒を拾ふ雀では太く、蟲を食ふ鷺では細く、魚を挾む「かわせみ」でははなはだ長く、蚊を掬ふ「よたか」では頗る短く、「きつつき」では眞直ぐで、鸚鵡では曲つて居るなどは人の知る通りであるが、同じ仲間の鳥で、殆ど一種毎に嘴の形の違ふのはアメリカ熱帶地方に産する蜂鳥である。この類は鳥の中で最も小形のもので、雀よりも遙に小さく親指の一節にも足らぬが、恰も昆蟲類の蝶や蛾と同じやうに常に花の蜜を吸つて生きて居る。大概孔雀の尾の如き色と光澤とを備へて居るから、その飛び廻つて居る所はまるで寶玉を散らした如くで誠に美しい。蝶や蛾が花の蜜を吸ふには各々專門があつて、筒の長い花に來るものは吻が長く、淺い花に來るものは吻が短いが蜂鳥もこれと同樣で、各々花の形状に應じて長い眞直ぐな囁を持つた種類もあれば、著しく曲がつた嘴を具へた種類もあつて、恰も錠と鍵との如くに相手が定まつて居る。序ながら述べて置くが、凡そ鳥類の中で蜂鳥ほど巧に飛ぶものはない。その花蜜を吸ふときの如きは、空中の一點に止まつて進みもせず退きもせず、恰も絲で釣つてあるかの如くに靜止し、密を吸ひ終れば電光の如くに飛び去るが、他の鳥にはかやうな藝は到底出來ぬ。若し飛行機で空中の一點に暫時なりとも靜止することが出來たならば、偵察用・攻撃用ともにその功用は莫大であらうが、今日の飛行機ではこの事は不可能である。蜂鳥は斯く自由自在に飛ぶ代わりに、翼を動かすことも非情に速で、そのため空氣に振動を起こして蜂や虻の飛ぶときの如き一種の響を生ずる。蜂鳥という名稱は之より起つたものである。古き書物には蜂鳥は往々蜘蛛の巣に掛つて命を落とすことがあると書いてあるが、これは信僞の程は請合はれぬ。
[蜂鳥の嘴]
[やぶちゃん注:『蚊を掬ふ「よたか」』ヨタカ目ヨタカ科ヨーロッパヨタカ亜科ヨタカ
Caprimulgus indicus は夜行性で昆虫類を好んで食い、口を大きく開けながら飛翔し、獲物を捕食するため、口は大型だが、嘴は確かに小型で幅が広い。しかし、蚊を特異的に採餌しているという鳥類学的記載は殆どなく、これは丘先生、やや博物学的な叙述に流れた感がある。荒俣宏氏の「世界大博物図鑑4 鳥類」(平凡社一九八七年刊)の「ヨタカ」の博物誌に、中国ではヨタカ鳴き声が人間の嘔吐する音に似ているとされ、この鳥は一升から二升ほどの蚊を夜吐き出しているという俗信が生じた。「本草綱目」に『中国では、古くから蚊を産出する母体になる生物がいて、蚊母鳥、蚊母樹、』など『がそれだとしている。鳥の場がこのヨタカである。毒には毒の原理に従い、その羽を扇とすれば蚊よけになるという。ただしヨタカは一方で蚊吸鳥といい、蚊を吸って食べるとも信じられていた。はたして吸うのか吐くのか、そこが問題だ』とある(引用は句読点を変更した)。
「蜂鳥」アマツバメ目ハチドリ亜目ハチドリ科 Trochilidae に属する種の総称。最後の部分に、「古き書物には蜂鳥は往々蜘蛛の巣に掛つて命を落とすことがあると書いてあるが、これは信僞の程は請合われぬ」とあるが、これは一七〇五年に女性博物学者マリア・シビラ・メーリアンが書いた「スリナム産昆虫の変態」(驚くべきことに彼女はハチドリを蝶と誤認しているらしい)で、『ハチドリは大きなトリグモに捕えられて血を吸われるだけでなく、普通のクモの巣にかかって命を落とす危険もある』と記述したことに由来する、誤った認識と考えてよいであろう(以上も荒俣宏氏「世界大博物図鑑4 鳥類」の「ハチドリ」の項に拠り、引用部のコンマを読点に変更した)。因みに、私は二十三年前、ペルーのナスカの空港の待合室の庭で花に群がる自然のハチドリを始めて見たが、本当に小さくて、そうして、それはそれは美しかった。
「若し飛行機で空中の一點に暫時なりとも靜止することが出來たならば、偵察用・攻撃用ともにその功用は莫大であらうが、今日の飛行機ではこの事は不可能である」御承知の通り、現在はヴィトール垂直離着陸機(VTOL機 Vertical Take-Off and Landing)が存在する。VTOL機はヘリコプターのように垂直に離着陸出来る飛行機で(回転翼機であるヘリコプターは慣例的にはこれに含めない)、一九二八年に鬼才ニコラ・テスラがフリーバー“Flivver”なる空中輸送装置の特許を得ているが、それが垂直離着陸の実質的最初期形とされる。第二次世界大戦後期に連合軍からの爆撃に曝されることになったドイツは、滑走路なしで離発着可能な迎撃機の開発を急いだが、いずれも実用化されずに終戦を迎えた。一九五三年、イギリスのロールス・ロイスが開発したスラスト・メジャリング・リグ、別名“flying bedstead”(空飛ぶベッドの骨組み)と呼ばれた飛行体のエンジンから、画期的な推力偏向式ジェットエンジン、ロールス・ロイス・ペガサス・エンジンが開発された。イギリスはこのペガサス・エンジンを装備するホーカーなる実験機(Hawker P.1127)の開発を進めて一九六〇年にはホバリング飛行に成功する。その後、遂に世界初の実用垂直離着陸機であるハリアーが造り出された。その後、丘先生が述べているように、悲しいかな、まさに軍用機としてのVTOL機が更に開発されることになった(私の授業を受けた諸君は、私がしばしば挙げた生物学的知見が近代兵器と一致する哀しい例の一つとして、クサリヘビ科ガラガラヘビ属ヨコバイガラガラヘビ
Crotalus cerastes 英名“Sidewinder”などの多くのヘビ類が持つ赤外線感知器官であるピット器官と、アメリカの短距離空対空ミサイルAIM-9通称サイドワインダーの話を思い出されるであろう。我々の神なき智としての科学は邪悪なものへと連なる技術を野放図に増殖させ、遂には智ある悪魔の世界を現前化してしまったのである。核兵器も原子力発電所も同じ穴のムジナである)。発射すると独特の蛇行した軌跡を描きながら飛行する様子と、赤外線を探知して攻撃することからヨコバイガラガラヘビにちなんで名づけられた。。私たちはまさに今、そのVTOL機を問題にしている――“V-22”――アメリカ合衆国のベル・ヘリコプター社とボーイング・バートル(現ボーイング・ロータークラフト・システムズ)社が共同開発した軍用機――回転翼の角度が変更できるティルトローター方式の垂直離着陸機――そ、あれはヘリコプターではないのだ……愛称オスプレイ(Osprey)……因みに、オスプレイとはタカ目タカ亜目タカ上科ミサゴ科ミサゴ属 Pandion に属する猛禽類ミサゴである……(以上のVTOL機の歴史部分は、主にウィキの「垂直離着陸機」を参照した)。]