生物學講話 丘淺次郎 三 餌を作るもの~(2)
アメリカ合衆國のテキサス邊に住む蟻には一種、收穫蟻と名づけるものがある。これは昔の博物書には、自身にわざわざ種子を蒔いて、絶えずよく世評をして終に刈入れまですると書いてあつたために、非常に有名になった。蟻がわざわざ種子を蒔くといふことは眞實でないらしいが、一種の草だけを保護し、他の雜草を除いて、終に熟して落ちた種を拾ひ集めて巣の内に貯へることは事實である。この蟻も普通の蟻と同じく地中に巣を造るが、巣の入口の穴を中心としておよそ一坪〔一・八メートル×2=約三・三平方メートル〕か二坪かの圓形の地面には、たゞ一種いつも定まつた草のみが生えて居て、他の草の混つて居ない所を見ると、如何にも蟻がわざわざその草の種を蒔いた如くに見えるが、これは恐らく落ちた種から生えるのであらう。そしてこの草は米や麥と同じく禾本科の植物で、莖の先に穗が出來て細かい粒狀の實がなるから、その地方では「蟻の米」と呼んで居る。この蟻のことは我が國の小學讀本にも出て居るが、確に農業を營むものというても差支はない。
[中央にあるのは地下の蟻の巣に入るべき入口 列をなして多數に匍つてゐるのは收穫蟻の働蟻 周圍の草は「蟻の米」と名づける禾本科の植物 産地は北アメリカの中部]
[やぶちゃん注:「收穫蟻」これは先に注で挙げたクロナガアリ属Messorに近い膜翅(ハチ)目細腰(ハチ)亜目スズメバチ上科アリ科フタフシアリ亜科 Pogonomyrmex
属の蟻。北米及び南米に棲息する。英名も“harvester ant”と如何にも牧歌的であるが、騙されてはいけない。シュウカクアリを含むフタフシアリ亜科は非常に強い刺毒や咬毒(噴出毒)を有しており(成分は同族のハチと同様のタンパク質やペプチドその他の生理活性物質の混合物)、例えば同属の
Pogonomyrmex maricopa はLD₅₀=LD半致死量(mg/Kg)が〇・一五で、比較対象として示すならば、例えば、本邦でもしばしば死亡例が報告されるスズメバチ科のクロスズメバチの北米産種の一種である
Vespula pensylvanica では一〇である(Schmidt et al.,(1986)に拠る)。LD半致死量とは、マウスへの当該毒物を静脈注射した場合の半数致死量を示す致死毒性の基準数値のことである。従ってこのLD₅₀は、『値が小さければ小さいほど致死毒性が強い』ということ、少量の毒でも致死性が高いことを意味する。即ち、1キログラムのマウスの半数を殺すのに必要なクロスズメバチの一種Vespula pensylvanica の毒量は一〇ミリグラムであるのに対して、シュウカクアリの一種 Pogonomyrmex Maricopa では、『たったの〇・一五ミリグラム』ということになるのである。「収穫蟻」の中には同時に「殺人蟻」であるものもいる、ということは付け加えておこう。ただ単に私の読者を脅すためではない、それが自然の掟である、という意味に於いて、である。
「禾本科」「かほんか」と読む。被子植物門単子葉植物綱イネ目イネ科 Poaceae の和名別称。「ホモノ科」(穂物科であろう)とも(「禾本科」は中文では正式なPoaceae の科名であり、「ホモノ科は学術論文では現在も用いられている)。約六〇〇属一万種が属する。]
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