耳嚢 巻之四 痔の神と人の信仰可笑事
痔の神と人の信仰可笑事
今戸穢多町の後ろに、痔の神とて石碑を尊崇して香華抔備へ、祈るに隨ひて利益平癒を得て、今は聊(いささか)の堂抔建て參詣するものあり。予が許へ來脇坂家の醫師秋山玄瑞かたりけるは、玄瑞壯年の頃療治せし靈岸嶋酒屋の手代にて、多年痔疾を愁ひて玄瑞も品々療治せしが、誠に難治の症にて常に右病ひを愁ひ苦しみて、我死しなば世の中の痔病の分は誓ひて救ふべしと、我身の苦しみにたへず常々申けるが、死せし後秀山智想居士と云し由。かゝる事もありぬと、かの玄瑞かたりし儘を記しぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:特に感じさせない。神仏関連の滑稽譚(少なくとも根岸にとって)として軽くは連関するか。
・「可笑」は「わらふべき」と読む。
・「今戸穢多町」昭和七(一九三二)年に浅草今戸町に一部編入された浅草亀岡町の江戸時代の旧地名。穢多頭として知られる浅草弾左衛門は、この付近に住んだ。町名でもこのような公然の差別が行われていた現実を我々は真摯・深刻に受け止めねばならぬ。それが先日迄、たかだか一五〇年の昨日の自分達であったことを批判的な意味に於いて忘れてはならぬ。この根岸の話の主部が、私にとって「可笑」しくないのと同様、こういう事実を知ることは「可笑」しくも嬉しくもない。だが、そこで目を瞑ってなにも語らぬ、何も注せぬ、諸本や現代語訳は、いや増しに、不快、であると言っておく。
・「痔の神」底本の鈴木氏注には藝林叢書本の三村竹清氏の注を引いて、『痔の神は、浅草玉姫町日蓮宗本性寺にある秋山自雲功雄尊霊の事にて、今も祀堂もあり、新川の酒問屋岡田孫右衛門手代善兵衛とて、小浜の生なり。痔疾に苦しむ事七年、延享元年甲子九月二十一日没せるなりと云』とある。この本性寺は現在の東京都台東区清川にあり、医療法人社団康喜会の運営するポータル・サイト「痔プロ.com」の「痔の散歩道 東京編」に、まず奥沢康正氏の「京の民間医療」からの引用として、『秋山自雲尊者、秋山自雲功雄尊霊とも呼ばれる秋山自雲は、延享元年(一七四四)痔病に苦しんで亡くなったという岡田孫右衛門の法名です。岡田孫右衛門は、摂津国川辺郡小浜村(一説に安倉村)の造り酒屋に生まれ、姓は狭間といい、通称を善兵衛といいました。長じて江戸へ出て、酒問屋、岡田孫左衛門の所に奉公しましたが、見込まれて岡田家を継ぎ、岡田孫右衛門と改めました。三十八歳の時に痔病を患い、治療につとめましたが全治せず、ついに浅草山谷本性寺の題目堂に参籠して、法華経を唱え、病気の祈願につとめました。しかしその甲斐もなく、七年間痔病に苦しみ、延享元年(一七四四)九月二十一日四十五歳で亡くなりました。臨終に際して、「願わくば後世痔疾痛苦の者来って題目を信仰せば、われこれを救護し利益を垂れん」との誓願を発して瞑目したと伝えられます。その後、痔を患う友人が、墓前に願を垂れたところ、完治したといい、その噂はたちまち広がって、痔疾平癒の信仰が生れました。はじめは浅草の本性寺に祀られ、後に摂津国小浜村本妙寺と京都東漸寺に分祀され、更に後には、全国の日蓮宗寺院に分祀されていきました』とある(アラビア数字を漢数字に、二重鍵括弧を鍵括弧に代えた。リンク先では門柱の「ぢの神」や自雲の墓、祭祀する題目堂の写真を見ることが出来る)。なお、岡田孫右衛門が罹患していたのは痔ではなく、直腸癌であったものと思われる。
・「脇坂家」播磨龍野藩脇坂家。寛政九(一七九七)年当時の当主は、第七代藩主脇坂安親。
・「秋山玄瑞」脇坂家に仕えた秋山宜修(かくしゅう 生没年未詳)。「脚気辨惑論」などの医書が残る、江戸の著名な医師。
・「秀山智想居士」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『秋山自雲居士』とある。これでないと先に示した本性寺の事蹟とも一致しないし、また――「可笑事」――にもなるまい。但し、附言するなら、これは孫右衛門にとっては真剣な思いであったことを、その遺志は素直に真摯に受け取るべきものであり、「可笑」は私には極めて不快であることを言い添えておきたい。根岸の頻繁に現れる日蓮宗嫌いが悪い形で出た一篇と言えよう。
■やぶちゃん現代語訳
痔の神と痔を患う人との可笑(おか)しな信仰の事
今戸穢多町の後ろに痔の神と称して、石碑を尊崇、香花なんどを供え、これを祈るにしたがって痔の病状が好転快癒を得る、なんどという噂が忽ちのうちに広まって御座って、今ではちょいとしたお堂なんどまで建てられ、参詣する者も多いと聞く。
私の元にしばしば来られる脇坂家の医師秋山玄瑞(げんずい)殿の話によれば……この謂われは……
……拙者、壮年の折り、療治致いて御座った患者に、霊岸島の酒屋手代が御座っての。
……この男、長年、痔疾を患っておって、拙者も種々の療法を試みては見たので御座ったが……いや、これがまっこと、真正の……甚だ重い難治性の痔疾で御座っての。
……この手代、不断に、この病いがため……その激しい痔の痛みはもとより……あれこれと思い悩んで、その、心の痛みにも苦しんで御座った。……
……また、彼は、
「……我ら、(痛)!……我らが死にましたならば……世の中の……痔病の苦艱(くげん)に陥った衆生(しゅじょう)の分は……これ、(痛)! 誓(ちこ)うて、その痛みより……救わんと、存ずる、(痛)!……」
と、我と我が身の、見るも無残なる堪えがたき激痛がために……七転八倒する最中(さなか)にあっても……常々、かく申して御座ったのじゃ。……
……なれど……結局……薬石効なく……亡くなって、御座った。……
……その戒名は『秋山自雲(じうん)居士』と申す。……
……それが、これ……かの痔の神の謂われで、御座る……
……と、いった事実が御座った、と、かの玄瑞が私に語ったそのままを、ここに記しおいて御座る。