和製S・ホームズと相棒直史・ワトソン・藪野、遂に芥川龍之介の立った三門閣を発見せり!
私の教え子が芥川龍之介の「北京日記抄」に現れる幻の「三門閣」を遂に発見! それを含む新知見と画像を「北京日記抄 芥川龍之介 附やぶちゃん注釈」の「窑臺」及び「三門閣下」の注に追加した。
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【二〇一二年七月十三日追記】
《和製S・ホームズと相棒直史・ワトソン・藪野、遂に芥川龍之介の立った三門閣を発見せり!》
つい先日のこと、件のT.S.君から、以下のような内容の消息を貰った。
――彼がネット上で見かけ、私に送って呉れた先の「謝文節公祠」の注に掲げた地図画像を拡大して見てみると、陶然亭(地図下辺の中央寄りやや左寄りの位置にある四つの池――東のものは独立し、西側の三つは水路様のもので繋がっている――)の北に延びる道の途中に、東側に南北に細長い建物があって、そこからこの道のところを塞ぐような形の建物が見えるが、それをよく見てみるとどうも三文字で、且つその最初の二文字は「三門」とあるように見える――
というのである。私も試みて見たが、確かに「三門」に見え、三文字目はそれらより複雑な画数で「閣」であって可笑しくないと思えた。ただ残念ながら画像の解像度が低く、断定は出来ないと返信したところ、本日、中国よりT.S.君が、民国十(一九二一)年作製の「新測北京内外城全図」(中国地図出版社二〇〇八年復刻)を送って呉れた。そこには――
『先生 支那服を着た笑顔の彼に遂に会えました。』
という附箋が、地図に貼り附けてあった。
――勿論、「彼」とは芥川龍之介、そうしてその附箋の示す箇所にははっきりと「三門閣」とあったのである!
以下に、地図の当該部分を示す。
――T.S.君と私と芥川龍之介の三人が――今、一緒に三門閣に立ったのだ――