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2012/07/14

耳嚢 巻之四 眼の妙法の事

 眼の妙法の事

 

 柳生が元へ來れる八十の翁、眼鏡なくして今に物を見し故、其眼生(めしやう)を賞し尋しに、彼(かの)翁四拾の頃商家に寄宿してありし時、夜々みせの者集りて錢を繫(つな)ぐに、壹人の老人來りて我も手傳(てつだは)ん迚、百文の錢をさしながら勘定するに、壯年の者同樣なれば人々是を賞しけるに、外に藥とて用ひし事もなく、田舍の事なれば眼の爲に醫藥を加へしと云事なし、或人の傳授にて、箒草(はうきぐさ)をひたし物又は切合(きりあへ)にして不絶(たえず)食する由教(おしへ)し故、我等も四十の頃より箒草を日々一度宛(づつ)用(もちゐ)るよし言ひし故、柳生も切合などにして食するに、給惡(たべにく)き物にもなしとかたりぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:医師の薬草採取から民間治療の薬草で連関。しかしこのふらりとやって来た老人というのは、彼の眼の良さの話の盛り上がりの最中、緡から数枚の銭を掠め取って御座ったものではなかろうか? 人が信じられぬ拙者は、どうも意地悪く読み取ってしまうので御座る……。更に意地悪く言うと……根岸は箒草のあえものを果たして食べてみただろうか? 私はどうも食べなかった気がするのである。そもそもこれが妙法と根岸が信じたなら、彼なら即座に実行に移したはずであり、「柳生も切合などにして食するに、給惡(たべにく)き物にもなしとかたりぬ」で話を切るはずがない。根岸はこの話を、実は胡散臭いものとして記している気さえ、してくるのである……。

・「柳生」呼び捨てにしており、不詳。諸本も注しない。先行する該当人物もいない。もし、著名な剣術指南役の家系の大和柳生藩柳生氏ならば、当時の当主は徳川家斉の剣術指南役であった第八代藩主柳生俊則(享保十五(一七三〇)年~文化十三(一八一六)年)であるが、官位従五位下、采女正・能登守・但馬守であった彼であれば、流石に根岸も呼び捨てにはするまいとも思われる。しかし剣の達人が箒草の和え物をせっせと食っている図というは、これ、面白う御座るな。

・「眼生」眼性。眼の性(しょう)。

・「箒草」ナデシコ目アカザ科ホウキギ Kochia scoparia。中国原産。茎が箒のような細く固い。秋に茎ともに赤く紅葉する。古くは茎を乾燥して草箒に用いられた。秋田では、近年は畑のキャビアというキャッチ・コピーで知られる「とんぶり」として食用にする(因みに、「とんぶり」の語源は、ハタハタの卵の呼称である「ぶりこ」(こちらは、江戸初期に水戸藩主佐竹義宜(よしのぶ)が関ヶ原の合戦で石田三成方に加担したことから出羽国久保田藩(秋田藩とも呼ぶ)に転封された際、好きなブリが食えなくなったところ、当地で採れるハタハタを食して賞美し、彼はその後、ハタハタをブリと思って食べ、その卵をブリコと呼んだという説、嚙んだ際のブリッブリッという音に由来するという説がある)に似た、唐(から)伝来のもの、を意味する「唐鰤子」(とうぶりこ)が省略され、転訛したものとする説が有力とする。また、この実は漢方で地膚子(じふし)と呼称し、「神農本草経」の「上品」に『味は苦・寒。膀胱をつかさどり、小便が熱利するのを改善し、消化機能を補い、精気を益す。久しく服用すれば、耳目を聡明にし、身体を軽くし、老いによる衰えを防ぐ』、「名医別録」に『皮膚中の熱気を去り、悪瘡、疝を散じ、陰を強くする』とある。現在の中医学では利水滲湿薬に分類され、皮膚の風を散じ、膀胱の湿熱を清利する薬物とし、陰を強める作用があることから、古来補薬に配合されたことを陶弘景が記している。また性質が寒であることから、「新修本草」には目を洗い熱を去ったこと、「薬性論」には陰部の熱感ある潰瘍に煎じ汁で沐浴することなどが記され、ここでの健眼薬効も挙げられている(漢方部分は株式会社ウチダ和漢薬のHPの「生薬の玉手箱」の「地膚子(ジフシ)」を参照した)。

・「切合」「切り和え」「切り韲え」で、茹でて細かく切り、味噌などを混ぜてあえたもの。

・「給惡(たべにく)き」は底本のルビ。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 眼の妙薬の事

 

 柳生殿のもとへしばしばやって参る八十にもなろうという老人、眼鏡もかけぬのに、よう眼が利く故、その眼の性(しょう)を褒め、如何(いかが)してかくも良きかと問うたところ、かく語った由にて御座る。

「……我ら、四十の頃、商家に寄宿致いて御座いましたが、店の者は毎夜集まって、その日の売り上げの銭勘定を致します。銭の穴に紐を通し、緡(さし)に致すので御座いますが……そんなある夜のこと、一人の老人がふらっと現われ、

「……我らも手伝(てつど)うたろう。」

と、百文の銭を刺しながら勘定致いて御座るのを見るに、これ、我ら壮年の者と変らぬ手際なれば、場に御座った者ども皆して、褒めそやいて御座いましたところが、

「……特にこれと言うて、特効の薬なんどを用いておるという訳にても御座らぬ……生まれも育ちも田舎のことなれば、眼なんどのため、わざわざ薬を服(ぶく)す、なんどというたことも、これ、御座らぬ……ただ、ある時のこと、ある人に教えられて、箒草(ほうきぐさ)をおひたし又はきりあえにしての、しょっちゅう、食べて御座るのよ……それが効いて御座るのじゃろう、の……」

と老人が答えました。……

……はい、それからで御座います、我らも四十の頃より、この箒草を日々、必ず一度は食すように致いて御座いますのです。……」

 これを聴いた柳生殿も、この箒草をきりあえなどに致いて食しておられる由。

 柳生殿曰く、

「そう食べにくいものにても、これ、御座らぬ。」

とのことで御座る。

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